サーカス

小さな石に躓くたび、今を生きていないという事実を突き付けられる。後ろを何度も振り返ったり、かと思えば遠くの霧の先に目を凝らしたりしているから、こんなに小さな、誰もが無意識のうちに避けて歩くような小石を踵で踏んで、よろけてまた膝を擦りむいている。大きな岩にぶつかるのが怖いから、これまでの道から学んで、この先の障害物に意識を集中しているだけなのに。またやってしまった。私は今を生きることがどうも苦手らしい。

この先どう生きていこう、なんて考えでいっぱいだ。三十歳を迎えてから漠然と目の前に現れたこの考え事は頼んでもいないのに私の生活の中心に堂々と居座り、早二年になる。スタート地点から見てみれば今なんてもう充分“この先”だ。言ってみれば一秒後だって“この先”なのに、もう二年分の“この先”が死んでしまった。何も答えが出ていないのに、だ。どうしよう、どうしようばかりで何もせず、遠くの霧の先にばかり目を凝らしている。あるかもわからない大きな岩にずっと怯えている。

ここで少し昔話をしたい。
昔、ちょっとだけ好きだったアーティスト、これを仮にバンドAとする。バンドAの奏でる音楽は、幻想的でおとぎ話のようで、どこか夢見がちな印象を受ける、おもちゃ箱の中で鳴っているオルゴールのような音楽だ。そこに重なる分かりやすい歌詞が受けて、一時期はかなりの人気を誇っていた。
十年前の私はそのバンドAの音楽を「もっと歌詞が凝っていればなあ」だとか「曲はいいのになあ」などと思いながら、無遠慮な一消費者として聴いていた。

先週から続いていた体調不良もようやく収束の兆しが見え始めた一昨日の夕方。エアコンの効いたいつもの部屋の窓から、まだ昼間の熱が残っているであろう外の道路を眺めて、ついでに西の赤らんだ空を確認してからカーテンを閉めた。友人から譲り受けた間接照明を付けて部屋がほんのりオレンジ色に染まったところで私はなんとなく、バンドAのプレイリストを作っていた。たぶん間接照明の暖色の明かりが、バンドAの音楽のイメージと重なったんだと思う。ベッドに腰掛け、イヤホンを付ける。

途端にぬるい夜風が肌に触れた。私が座っていたベッドはゆらゆらと浮かび上がって、いつの間にか全開になっている窓から、船のようにゆっくりと外に出た。急に怖くなってベッドから垂らしていた脚を引っ込める。所謂体育座りの格好をした部屋着の私を乗せたベッドはぐんぐんと高度を増して夜空に舞い上がっていく。恐怖から高鳴っていたはずの鼓動が不思議な高揚感とともに落ち着いていく。眼下には私の大好きなコメダ珈琲や町中華の看板が発する光が点々と広がる。もうずいぶん小さな灯りとなって、星空のような地上絵を描いている。イヤホンからはピアノと花火のようなティンパニの音。夜空の奥深く、遠くに目線を向けると時計台が見える。ボーンという定期的な低音がもう音楽なのか時計台の音なのか判別できない。下ばかり見ていたから気付かなかった。私の周りには、同じようにベッドに乗った大人たちが何人も、何百人も地上の光を受けて顔を輝かせている。
そうして夜風を全身に受けながら星のひとつとして浮かんでいると、いつの間にか私はオレンジ色の電飾で彩られた空き地に降り立っていて、見たことのないようなガラスや飴細工を売る出店の前にいた。見上げれば風に靡くカラフルな三角旗と満天の星。乱立する出店の奥には移動式サーカスの大きな入り口、重たいカーテンがぬるい夜風に揺れ、大人たちはりんご飴を食べながら思い思いに踊っている。ピアノが鳴る。ティンパニが響く。花火が上がる。

曲が終わり、イヤホンを外して目を開けると、私はいつもの部屋にいた。間接照明のオレンジだけが、曲の余韻を纏っていた。
バンッと外で何かが低く爆ぜる音がした。遠くで花火が上がっていた。

「整った」と感じることがある。持病の影響でサウナに入れないので、一般的に言う「整い」を経験したことはないが、一昨日のあれで私は充分に「整った」と感じた。整ったというより、戻った。自分がフラットな位置まで引き戻されて、“今この瞬間だけ”をはっきりと体感していた。私のいるべき位置はたぶんあの時計台の見える夜空であり、移動式サーカスの開演を祝う夜の広場なんだと思う。
そこでは未来も過去もなければ「この先どうしていこう」なんて考えが浮かぶこともない。ただ幻想的な音楽と、電飾と星の光があるだけだ。

おそらく私が今を見続けることができるとは思えないし、またすぐ遠くの霧の先に目を凝らす日々に戻ってしまうんだと思う。ただ帰るべき場所を見つけた今、定期的に自分を整えて“この先”に挑んでいきたい。
広場で買ったガラス細工は、本棚の上に飾った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?