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テレビCMは不確実(多分)

テレビを見ていて、競合企業同士のCMがやたらと似ていると感じたことはないだろうか?

例えば、携帯通信会社のCMは、大体コメディーっぽいシリーズものだし、ビールのCMは、草原や謎の白い空間でタレントがごくごくビールを飲むか、夕暮れに女優がビールを持ってるかの二択である。

なぜこんな風に一見差別化しそうな競合企業のCMであっても、似た内容になるのだろう?その答えを、社会学の「同型化」という概念から探ってみたい。「同型化」とは、複数の組織が行動するなかで、何かしらの理由によって同じ組織体制や行動を取るようになることを指す。以下ではまず、その類型を紹介したい。

なお、この文章はテレビCMの効果自体を否定するものではない。テレビCMが持つ効果は、数値的に実証されているようである。詳細はこちらの記事を参照。(https://liskul.com/tvcm-effect-29217

同型化の類型

同型化は、競争的同型化と制度的同型化に分けられる。

  • 競争的同型化
    各組織が、各々の技術的環境の中で最適な行動を取ろうとした結果、類似した外観を持つようになることを指す。合理的な主体を想定しており、ある組織が行った行動は、環境に対して最も科学的に合理的な行動であったと説明される。

  • 制度的同型化
    各組織が、制度的環境の中で行動を選択するとする。ここでの制度とは、主に非公式制度を指すが、非公式制度とは、社会通念や価値観といったものである。したがって、制度的同型化では、組織は社会全体で共有された何らかの信念に整合するよう行動すると説明される。競争的同型化と対置して非合理的な主体を想定していると言える。また、制度的同型化は、以下の三つにさらに分類される。

    • 強制的同型化
      その組織が所属する組織や、影響力の大きい組織から公式または非公式の圧力がかかることで、半ば強制的に同調的な行動を取ることである。行政などの、官僚制的な性格の強い組織に多い同型化である。

    • 模倣的同型化
      目標に対する手段が不明確であったり、そもそも目標が定まっていないなどの不確実な状況下において、その不確実性を回避するために他組織の行動を意識的に真似ることを指す。同じ状況下(企業であれば市場)にある組織のなかで、比較的成功している組織を模倣する。

    • 規範的同型化
      専門性の高いテーマについて、その専門知を持つ集団のなかで確立された認識や規範により、選択肢が絞られることによって起こる。その集団内で選択肢が絞られれば、その集団が持つ正統性に従って他の主体も、同じ選択を取ろうとする。

同型化とは、以下のように分類される概念である。では、どの類型がテレビCMの同型化を説明するうえで最も説得力があるだろうか?最も説得力がある類型として、規範的同型化と模倣的同型化を推したい。その理由を消去法で説明する。

まず、強制的同型化は、競合企業に対して同じようなCMを制作させるような圧力を持つ組織は存在しないし、そのようなインセンティブも競合企業は持たないため、消去される。

次に、競争的同型化や規範的同型化といった、その組織が含まれる環境での様々なデータが必要になる類型のみではCMの同型化を説明できないことを示す。テレビCMによる消費者への影響は、測定が非常に困難である。テレビCMは、終局的にそれが紹介する商品やサービスの消費量を増やすことを目的に制作されるが、どのようなCMがどのような影響を与えるか、がある程度具体的に把握されなければ、CMをデータに基づいて合理的に企画することは難しい。

CM効果測定の困難

テレビCMの効果を測定する方法として、最もシンプルなもので、「GRP」や「GAP」というものがある。「GRP」は、そのCMの視聴率である。「GAP」とは、テレビで流されているCMを視聴者が実際にどれだけ注目しているのか、を示す指標である。消費行動への影響は不明だが、視聴行動を知ることで、消費行動を起こす可能性のある個人の母数を知ることができる点で、意義のある測定手法だ。

また、実際の売り上げやインターネット上での検索履歴等と組み合わせることもできる。CMが出稿されている期間中の売り上げや検索数を照らし合わせれば、そのCMの効果を大まかに知ることができる。とはいえ、社会経済状況の変化や、他企業の広告との関係を考えると、因果関係が複雑であり、社会科学の常ではあるが、純粋な効果を知ることは不可能である。

さらに、CMの好感度や購買意欲についてアンケート形式で調査を行うこともあるだろう。個々のCMについての調査としてはコストがかかりすぎるため、シンクタンクなどが全般的な調査として行っているようである。

このように、テレビCMの効果測定は、広告会社やシンクタンクなどがリサーチを行い、ある程度の専門知が確立されている。これらは、どのようなCMを出稿すれば、どういった影響が起こりやすいか、視聴者はどういった印象を持ちやすいか、といった傾向を知ることに有用であろう。しかし、冒頭で紹介したような通信会社やビールのCMのような同型化が起こるほど専門知は積み上がっているのだろうか。専門知のみで確立されているとすれば、爽やかなCMにすれば良いというだけでなく、背景の印象やタレントの表情・セリフなどが個々に持つ影響についても実証的に説明されているということである。しかし、その想定をすることは難しい。テレビCMの効果測定は、一般的な法則性はある程度導くことはできても、CM内の個々の要素の効果を説明できるほどの緻密性は持つことができないはずだからである。これは、テレビCMに限ったことではなく、社会という無数にある要素が絡み合った存在を調査対象とする社会科学全てにおいて言えることである。

また、近年増えている自然環境保護への取り組みを謳ったCMでは、海岸沿いの風力発電を背景に純白の服を着た女性をよく見るが、これらの要素が全て計算されたうえで配置されているとは言い難い。自然環境保護に関するCMは、近年増えてきたものであり、それらの影響についてすでに実証されていることはないはずであるが、すでに同型化が起こっていることを考えると、規範的な側面以外の影響が同型化を起こしていると考えるべきである。

模倣的同型化

そこで、模倣的同型化が起こっているという説を推したい。広告会社間や会社内のディレクター間などで、他のCMを模倣しようとする力学が働いていると考えるのだ。確かに、テレビCMの緻密な効果測定が困難である以上、不明確な部分については、挑戦的な演出をするよりもそれまでのCMでも用いられていた演出を再利用したほうが無難である。演出によってによって何かしらのネガティブな影響を与えることがあってはいけないからである。

同型化は、経済学でも研究されている内容であるが、社会学の模倣的同型化に対応する理論として、「名声モデル」がある。「名声モデル」は、能力の低い主体が、能力の高い主体の行動を模倣することで、自らの能力の低さを隠し、市場価値を保とうとすることで同型化が起こるとする。ある主体にとって、情報が不足しているのであれば、別の主体の行動をまねることは、広告に限らず様々な状況で見られることである。そして、たとえある程度の知識を持っていたとしても、さらに詳細な部分については、模倣をすることがあっても不思議ではない。特に、社会という複雑で繊細な対象を扱う場合はそのような模倣が起きることは自然でさえある。会社であれ、ディレクターであれ、市場の中で自らの価値を示しつつ、広告という繊細なものを扱うのであれば、模倣的同型化は不確実な状況下での合理的な選択であると言える。

以上、テレビCMなどの広告では、実証的なデータに基づきつつも、模倣的同型化が起こることで、その外観が類似しているという説を示した。なお、自分は広告業が専門でもなければ、特別なリサーチを行ったわけでもないので、主観で判断しているところも所々にある。(CMの効果測定方法については、広告に関する企業やメディアの記事を数十分さらっただけである。)

広告業を生業にしている方が見て不快に感じたら申し訳ないが、雑にまとめた割には説得力のある文章になった気がする。

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