子どもを持てる制度と一緒に考えて欲しい
今日は長文。
なんだか政治的な意味合いで『LGBTQ』 の周辺が騒がしい。
「LGBT理解増進法案」……誰に向けて増進していくのかな? って思う。秘書官の差別的発言。うっかり口が滑ったって感じだったから普段からこんな内容の会話してんだろうなって思った。
政治家の人たちの理解が深まってないからなのか、区別や差別をしない考えを持ってないからなのか、この法案を推進しようとしている人たちの意図が見えない。
理解のない人たちの集団が頭を捻るより、『LGBTQ』当事者の方に先ずは聞いてみたらいいのにって思う。
私は『LGBTQ』ではない。区別、差別、偏見もない。理解しているというよりも個性として当たり前に受け入れていたので正直『LGBTQ』という言葉に違和感を覚えている。既に区別されていると感じるからだ。
肉好きな人もいれば魚好きの人もいる。また逆もしかり。肉嫌い、魚嫌いの人もいる。そこには当たり前という感情が存在するからお互い受け入れている。なのに『性』の事になると周りが急に敏感になる。
私が小さい頃、そういう偏見はあった。小学生2年生の頃、近所の家族と兵庫県にある有馬温泉に泊まり行った。大きなロビーのあるどちらかと言えば高級な旅館。
天井から見たこともないシャラシャラのシャンデリアがあるステキなロビーで幼い私はプリンセス気分でいた。
その煌びやかなロビーで男の人か女の人か判断出来ない美しい人と華があるという表現がぴったりの女の人がエンジ色のソファで手を握りながら談笑していた。田舎にはない華やかな人のいる光景に凄いなぁとウットリしていた時……
『女同士で気色(きしょく)の悪いっっ!』
気色(きしょく)悪いとは関西の方言で、不愉快とか気持ち悪いなどを表す言葉だ。
誰かが2人にわざと聞こえるように、周りの人たちにも分かるように嫌悪感丸出しであからさまな負の感情を人から人へぶつけるのを初めて感じた瞬間だった。目を見開いた2人の表情が哀しみに溢れていたので幼い私はびっくりして泣いてしまった。
気色悪くない。美しいと感じるもの好きなもの、人それぞれではないだろうか。
里親制度、養子縁組は敷居が高いと聞く。ハードルが高すぎて子どもを育てたくても引き取れない人がたくさんいるという。
反対に育てたくても育てられない人もたくさんいるだろう。
お金がなければ不幸せだろうか? 片親だと不幸せだろうか? 偏見の塊のような政治家が判断することでは無いと思う。
親は選べないというが、育てる人はそんなにそんなに選ばなければいけないのだろうか? 何故、そんなに選ばないといけないのか。
行政の基準を満たしている親に育てられた子どもは全員幸せですか? 不幸になったらダメなのですか? どちらが幸せと言えないのならどちらも選べる制度であって欲しいと願う。
子どもを育てたい人たち全てが、もちろんLGBTQの人たちも区別せず、親になる選択肢も含めて考えて欲しい。
少子化を加速させたくない政治がどうしてそこの部分に目隠しするのだろう。せつなすぎる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?