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「何もかもがうまくいっている」「友達に恵まれている」「明るい」「悩みなさそう」
そんな「パブリックイメージ」に追い詰められる人はどこの世界にもいると思う。そういう人ほど、「病む」方法がわからず、突然ダメになってしまうこともあるらしい。吐き出す場所はなかったのだろうか。吐き出し方がわからなかったのだろうか。そう考えた末に、きっとこの「パブリックイメージ」が、それを無い物としてしまっていたのではないかと気づく。

私が長らく応援しているアーティストは、数年前にブレイクを果たした。多岐にわたる活動全てが評価され、テレビや雑誌など、メディアに引っ張りだこだった。何もかもがうまくいっているように見えたが、実際は「よく笑う明るい人」というパブリックイメージに苛まれ、精神的に相当追い詰められていたと後に明かしている。そして、そこから助け出してくれた友人の存在も。

今日、いなくなってしまったあの人は、なぜそのような選択をしたのか。何かできることはなかったのか。きっと、身近な人からお茶の間まで、誰もが思っているだろう。「これが原因なのではないか」とツイッターでトレンド入りをしているものもあるが、結局は憶測でしかない。ほんとうのことは、いなくなってしまったあの人本人にしかわからないのだ。

自分のことを一番わかっているのは、自分ではなく他人だと言われることもあれば、その逆もある。悩みや苦しみという観点では、おそらく後者だと思う。どんなに悩みがなさそうな、明るくポジティブな人間でも、大なり小なり悩みはあるだろう。だが、そのような人ほど、影を見せないことが多い。
そもそも悩みが全くない人ってそんなにいないと思う。いつも病んでいるのが目に見える人(ツイッターで病みツイートを多くしているなど)は、非常にわかりやすく悩んでいることがわかるけれど、ポジティブな人ほど、自分の弱さを気軽に言語化することに抵抗があるのではないだろうか。「ポジティブ」というイメージを守ろうとする人もいるのではないだろうか。
別に、悩みがあったら全世界に公開しろと言っているわけではない。病みツイートを垂れ流せばいいと言っているわけでもない。人によって「楽になる」手段は違う。ただ、この世界からいなくなることだけはその手段の一つにしてはいけないと思う。

パブリックイメージなんて糞食らえだ。そんなもの、他人が勝手に押し付けている理想に過ぎない。それが崩れたとしても、その人が責められる必要はない。極端に言えば悪いのは、勝手にイメージを押し付けた他人だ。民衆だ。芸能人で、ここに苦しむ人は多いのではないだろうか。そしてそれはいつもポジティブなわけじゃなくて、「強面」とか「ワイルド」とか、そう言うこともあると思う。そういう人は大体、「ギャップ」という言葉を使って遊ばれる。イメージアップ戦略にはなるかもしれないが、果たして全員が全員それを喜んで享受するのだろうか。いち視聴者、いち民衆として疑問である。

芸能人に限らず、周囲からの期待、押し付けられた理想に苦しめられる人はたくさんいると思う。ありきたりなことかもしれないが、どうか囚われないで欲しい。「こんなことをしたらイメージと違うって思われるかもしれない」とか考えないで欲しい。よほど悪事でないなら、自分のやりたいことを思う存分やって、言いたいことを思う存分に発信して欲しい。パブリックイメージなんて関係ない。誰かの期待に応える必要なんかない。あなたは誰の人生を生きているの?自分の人生は自分で道を作っていくべきだと思う。誰かを傷つけてはいけないということだけを胸に刻み、誰もが周囲に抑圧されず、自由に自分の道を歩くことができる世界が来ますように。

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