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5月に入ったばかりだというのに気温は28度。体温調節が下手な私は朝までヒートテックを身につけていた。目が覚めると時刻はすでに昼の1時で少し絶望した。カーテンの隙間から漏れる光が昨日より強い。天気が良くて気温が高いことは知っていた。知っていたからこそ、虚しくなった。こんなに気持ちの良い日に、遠くに行けないなんて。けどそんなこと言ったって状況が一気に好転するわけではないし、私に今できることは大人しく引きこもって生活をすることだけだ。

重い腰を上げてベッドから立ち上がり、廊下に出ると、夏の匂いがした。どんな匂い?と聞かれても、多分説明できない。胸がキュッと締め付けられる、ノスタルジックな、夏特有の空気感が、もうすでに漂っていた。

部屋に戻り、暖房を止めて窓を開けた。昨日まではもうちょっと心地いい風が入ってきていたが、今日はむしろ蒸し暑い。でも、清々しかった。
遅めの朝ごはんを食べながら、ふとアイスを食べたくなった。私は大学の管理下にある学生寮に住んでいる。コロナの影響で寮に住む者以外の構内への立ち入りは禁止されているが、私たちは自由に中庭で日向ぼっこをすることだってできる。構内にある自販機も自由に使えるわけだが、昨年末にアイスの自販機が設置された。唐突にそれを食べたくなった。YouTubeを見ながら朝食を食べ終え、すぐに食器を洗い、歯を磨いて、ヒートテックを脱ぎ、半袖に着替えた。気分が一気に夏になった。財布から300円と、スマホをポケットに入れ、念のため布マスクをつけ、外に出た。全身がむわりとした空気に包まれ、「夏〜!」と大きく声が出てしまった。誰もいないんだからいいだろう。

大好きなチョコ味のアイスを買い、中庭に出た。庭師さんが一本一本丁寧に植えたであろう花が太陽の光に照らされている。池の水がキラキラと輝いている。
静かだった。中庭にはもちろん私以外誰もいない。ベンチに座って、アイスをひと舐めした。冷たい。おいしい。無心で食べ続けた。明後日あたりに肌が荒れる未来が見えるが、今幸せならそれでいいや、と最近思うようにしている。薬塗れば治るし(女として終わっている)。

部屋に戻ると、恋人から電話がかかってきた。彼とは一ヶ月ほど会えていない。最近は2日に1回くらいのペースで通話している。いつ会えるかわからないこの暮らしにお互い限界が来ている。励まし合っていくしかない。好きという気持ちを、伝えられる時に、伝えたいと思った時に、しっかり伝えて、意思を持って彼と末長く一緒にいたいと、この厳しい引きこもり生活の中で思った。支え合うことが大事だと思った。

エアコンの電源を切ったまま夜ご飯を食べ終えた。裸足がすこしつらくなって靴下を履いた。ちょっとでも寒いのが苦手なので暖房をつけた。カレーとナムルを食べた皿を洗った。牛乳をレンジで温めてちょっとずつ飲む。

規則正しい生活ができているわけではない。かわいいお菓子を作っているわけでもない。何か勉強をしているわけでもない。暇だからと化粧の研究をするわけでもない。きっと私の生活は、いろんな人の鮮やかな生活の下に埋もれてしまうような、なんの変哲もない、上等とは言い難いものだと思う。けれど、私は生きている。寝て、起きて、食事をして、洗い物をしている。生活をしている。地獄のような世界に、地に足をつけて生きている。それだけではなまるだと思う。

定期的にくる超絶ヘビーな病み期が先週にあった。何につけても一向にポジティブな考えにならない。本当に辛かった。けれどわかったことがあった。私が病んでしまうのは、だいたい自己顕示欲・承認欲求に強く縛られている時だと。Twitterでいいねがもらえない、友達にかまってもらえない、オンライン飲みに誘われないなど、他人と比べて自分はダメな人間だ、愛されないんだ、まあこんなに頻繁に病んでる呟きする人と誰も関わりたくないよな・・・と、こんな感じで極端な自己否定に走ってしまうのだ。そこで私は一度、すべてのSNSから離れ、1日本を読んで過ごすことにした。
その日は、数年ぶりにエゴから解き放たれた1日だった。SNSから離れるだけでこんなに気持ちが穏やかに、そして豊かになるなんて思いもしなかった。その日から私はSNSで「発信」するのを避けるようになった。以降、今のところ気に病む日は来ていない。我ながら良い発見だったと思う。

コロナによる自粛生活はつらい。会いたい人にも会えないし、行きたいところにも行けない。今までの暮らしが当たり前ではないことを思い知った。「日常」がいかに幸せなことだったのかに気づいた。日頃から「大切なものは失ってから気づく」という言葉を念頭に暮らしていたつもりだったけれど、やはり真理は体験しないと気づけないのだなと思った。けれど、そんな暮らしだからこそ見つかる何かもある。自分の性格を治せるかもしれないきっかけを見つけることができたのは、私にとって大きな収穫だった。

まだまだこの暮らしは終わらなさそうだけど、小さな発見を積み重ねて人間として成長できたらいいなと思う。

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