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追想 ~最愛の夫へ~

今日は、思いきり のろけようとおもう。

夫とわたしはサイパンで出会った。

わたしは弟と、夫は一回り上の友人と、お互いダイビング目的での旅行だった。

わたしたちは、ダイビングショップを経営しているオーナーのホテルに宿泊していて、そこに夫とその友人が後から来たのだ。

時期も宿も偶然の選択だけど、ダイビングを一緒に楽しむことになったのは必然だった。

だって、その時のダイビング客はわたしと弟、それから夫たちだけだったから。

出会いの時

オーナーは翌日のダイビングのミーティングを前日の夜にしていたから、彼らの到着した夜にも翌日のためのミーティングが開かれ、その時にお互い簡単な自己紹介をした。

それからは、もちろん同じダイビングスポットに一緒に潜り、サイパンの海を満喫したのだけれど、食事や買い物などの行動もほとんど一緒にした。

サイパンに到着したのは わたしたちの方が先だったけど、帰りは同じ飛行機だった。

帰りのサイパン空港

すっかり意気投合したわたしたちは、一緒に搭乗手続きを済ませ、わたしは夫の隣の席に座った。

当時は「写ルンです」とかだったけど、滞在中たくさんの写真を撮ったから、帰ったらそれを現像し、渡すことになった。

成田(夫の右手が緊張 笑)

まずはディズニーランドに行く約束をした。

サイパンに行ったのが お盆の時期、再会は9月、たいして時間が空くわけでもないのに、その間何回も電話で話した。

アナログな時代の終わり頃…

電話は家族共通のアイテムだったから、今までになかった異性からの電話を取り次ぐ家族も すぐに事情を察知する。

聞き耳を立てる家族…
誰もいない部屋に電話を持ち込む わたし…

そんな時間を通して再会したディズニーランドでは、もうすでに恋人としてお互いを見ていた。

火が付いたばかりの恋だったけど、瞬く間に燃え広がる炎は天をも焦がしていただろう。

その年の終わりには、もう将来の話をしていた。

恋をしたのは もちろん初めてなんかじゃなかったけど、同じ未来を描いて期待に胸を膨らますのは初めての体験だった。

時間と距離を埋めるように、わたしたちは隙間を探しては共有した。

携帯電話なんかない時代、公衆電話だって占領した。

どうしても会いたくなったわたしのために、夫が横浜から甲府まで真夜中の高速飛ばして会いに来てくれた日、共有の未来を確信したのは家族も同じだったのかもしれない。

そして、翌年の11月の終わりの日に、わたしたちは出会いの島 サイパンで結婚式を挙げた。

サイパンでの挙式

それから夫は生まれ育った街 横浜を離れ、わたしの住む甲府に来てくれた。

そうは言っても、わたしが東京でも仕事をしていたから、すれ違いも多かった。

だから、わたしの仕事が彼のお休みに当たれば、 東京まで車を走らせて わたしを迎えに来てくれたことも少なくない。

いつだってわたしのために 一緒にいる時間を できる限り作ろうとし、楽しませようとしてくれた。

共働きの日々にも、わたしたちは本当によく出かけた。

息子が生まれるまではダイビングにも行った。

夫はガイドインストラクターの資格を持っていたから、すぐ海の中で迷子になるヘタクソなわたしも安心だった。

息子は結婚3年目に生まれた。

お互い女の子がいいね♡と話してたのに、おなかの中の赤ちゃんには おチンチンが付いていることを、聞いてもいないのに お医者さんが教えてくれたのは妊娠5ヶ月の時。

でも、あっさりとその事実を認めた夫は、本当は男の子が良かったんだと言わんばかりに喜び、ただただ生まれてくる日を 首を長くして待っていた。

そして生まれてきた息子を、本当にこよなく愛した。

生後1ヶ月の息子と

普段から家のことも何でもやってくれたけど、息子の世話も何でもしてくれた。

さすがに う○ちのオムツは苦手で わたしがいれば わたしに回ってきたけど、よくミルクを吐く息子の逆噴射は平気で手で受けていた。

泣き声がとてつもなく大きい息子(2ヶ月半)

夫は小さな小さな息子とふたりでも困ることはなかったから、わたしは息子が生まれて2ヶ月後くらいからは 少しずつ仕事に復帰した。

少し大きくなってからは、美術館の池や荒川が2人の遊び場だった。

美術館の池で 浮き石に乗ってしまい身動きできなくなった息子を助けようと、息子の手をつかんだものの、自分が乗ったのも浮き石で、2人でグラグラ揺れたあと 一緒に落ちた話は何回聞いても大笑いした。

あんな池に落ちる人、他にいるのだろうか…

普段は静かにのどかに泳ぐ鯉たちも、突然の落下物はいい迷惑だったろう。

もう少し息子が大きくなると、授業参観に行っては 子供たちの後ろでコソコソ世間話に花を咲かせるお母さんに うるさいから出ていけと言ってみたり…
それなのに自分は息子の運動会でビール飲んで いい気分で昼寝したり…

夫はそんな自分の哲学を素直に通した。

ディズニーランド
ディズニーランド


旅行の足湯

息子が警察官になったのをいちばん喜んだのも夫だろう。

嬉しくてしょうがないのは、何より表情に表れた。

みんなの同意の元、遺影に選んだのは息子の入校式の写真だ。

2018年4月

調理師だから、もちろん料理も得意だった。

特にパスタを得意としていた。

息子のリクエストで、作ってくれたナポリタンは絶品だ。

夫のナポリタン

そして最近、息子はもうひとつの好物、ミートソースを 夫の味で再現できた!と誇らしげに写真付きで報告してくれた。

(わたしには、まだ試食させてくれません…)

息子のミートソース

夫の料理を楽しんでくれた人はたくさんいる。

最後の職場となった障がい者施設では、利用者の方々に楽しんでもらうために、本当に丁寧に心を込めて調理していた。

めったに外食を楽しむことができない人のために…

他国の料理を楽しむことのできない人のために…

制約される生活の中で、食事は楽しみの一つであってほしいと願ってやまなかった。

この施設では、誕生月にはその月の誕生日の方の食べたいメニューを提供する、お楽しみの日もあったそうだ。

ちらし寿司の日
お誕生日のリクエスト


とにかく「食」に関して楽しんでもらえる限りを尽くした。

裏ごししたものしか食べることのできない利用者さんが、他の人と同じものを食べられるようにとテリーヌを作ったり…

時には職員さんの希望も聞き入れ、揚げたての天ぷらそばを楽しんでもらったり…

天ぷらそば


ミニオンランチ


手作りプリンアラモード


タイ料理を楽しむ日
手作りおやつの日

喉に詰まることを避けるため、普通では出せない大福などを、餅を使わずに工夫して提供し喜んでもらったりした。

クリスマスにはお菓子の家を作るのが恒例行事となっていた。

最後となってしまった去年、お菓子の家の周りを囲んだのは、クッキーになった、その年に亡くなった施設の仲間たちだった。

夫は亡くなった利用者さんのことだって忘れることなんかなかったから。

お菓子の家

これは利用者さんに楽しんでもらうために作ってるんだから、壊してもらっても つまみ食いしてもらってもいいんですよ、と職員さんに伝え、常に利用者さんの立場に立って考えるのは わたしから見ても見事だった。

食事を楽しみにしてくれたのは利用者さんだけではなく、職員の皆さんも同じだった。

お休みの日に、わざわざ食事だけしに来る職員さんもいたという。

そして職員の方の話もよく聞く夫は、いつしか職員さんの相談窓口になっていたそうだ。

困ったことが起こると、小林さんに相談してみたら?…というのは施設ではみんなの常識になっていたらしい。

利用者さんと職員さんから

職員さんは、夫のことを「シェフ」と呼んで愛してくれた。

厨房で働く仲間にとどまらず、施設の職員さんにも愛されたことは 夫の誇りでもあった。


夫は横浜に住む両親のことも大切にしていたけど、わたしの家族も大切にしてくれた。

全員集合

わたしがいなくても、わたしの母と食事にも行ったし、妹とも仲良しだった。

特に姪っ子が大好きだった。

姪っ子と2人でお出かけ

姪っ子は、普段はあんまりベラベラ話す方ではないけど、夫とはとても気が合い よく話したという。

姪っ子との会話の詳細については秘密事項が含まれるから あまり口外できないということだったけど、姪っ子が喜ぶ顔を見るのが本当に好きだった。

…夫はとにかく誰かを喜ばせることが何より好きだったのだろう。

だから、もちろんわたしも例に漏れず。

本当に愛されてた。

夫はわたしに対しては いつも甘かった。

激甘もいいとこだ。

サイパンのスーパーで買って、途中で甘すぎてギブアップした、あの毒々しい色のケーキだって絶対に勝てない。

いつだって わたしの心配をした。

わたしは息子が生まれてから免許を取ったけど、車についてだって すべての面倒を見てくれた。

自動車学校の送り迎えだって可能な限りしてくれた。

ガソリンを入れてくれるのも、洗車してくれるのも、ワックスも、空気圧見てくれるのも、タイヤを交換してくれるのも、全部夫だった。

キレイな車に乗っててほしい、って言ってくれ、その通りにしてくれた。

わたしは女性あるあるで、例に漏れず地図が読めない。

その上方向音痴で、ショッピングセンターでトイレから出れば、どっちから来たか わからなくなる始末…

道だって、今いる場所と目的地はわかっても、その角を曲がるとどの道に出るのか、真っ直ぐ行ったら この先に何がある道なのか、まったくわからない人間だ。

だから、わたしがひとりで知らない場所に行く時は 必ず事前に一緒に下見に行ってくれた。

この道は途中で車線が合流するから、こっちの車線で走るんだよ、とか、この道はこの角から飛び出して来る車が多いから気をつけろって、そんなことまで教えてくれた。

そんな夫が免許を取って最初に乗った車はRX7。

たぶん要するに、かなりの車好き…と言っても ヤンチャな感じで…。

だから、危ないこともたくさん経験し、わたしに必要なことは体験談として教えてくれた。

エピソードは数え切れないほどある。

過剰ではなかったけど、例えば買い物の荷物など、わたしが持つことをとても嫌った。

ガタイがよく、実際力も強かった夫は 重いものは率先して持ってくれたし、力仕事も買って出た。

わたしが困ったり悲しむことを嫌がり、そういうところからは常に離れさせようとしてくれた。

お休みが合えば必ずと言っていいほど ドライブを楽しんだ。

ドライブと言えないほどの、日用品の買い出しのこともあれば、伊豆方面へお刺身を食べに行ったり、諏訪方面へお蕎麦を食べに行ったり…

鎌倉にも行ったし、湘南も好きだった。

ドライブしながら話は尽きなかった。

日常の話から、想像の世界まで…

夫が色を付けたゴッグ

夫はなんでも知っていた。

特に生き物の生態には詳しく、魚類についてはペット屋さんも驚くほどで、さかなクンの間違いまで指摘していた。笑

どんな話題でも膨らんだ。

話してるのが楽しかった。

夫はいつもわたしの靴を選んで買ってくれた👟

距離がちょうど良かったから、萌木の村ROCKには よく行った。

姪っ子は、次はどこに行きたい?と聞いた夫に、ROCK!と答えたのに…夫はその約束は守らずに逝った。

夫は最後の3ヶ月休職した。

そして、その間 わたしと一緒にいる時間を本当に大切に思ってくれた。

いつも わたしの帰りを待っていた。

玄関を開けると、かず~待ってたよ~、と言わない日はなかった。

夫は病気だった。

でも命を持っていかれるなんて思わなかった。

夫は薬のせいで身体も精神も参っていた。

わたしはそんな夫をしっかり受け止めることができなかったんだと思う。

わたしにとって夫は、いつだって強くて、いつだってわたしを守ってくれて、わたしの味方で…それこそ世界人類が背を向けたって わたしの味方でいてくれるって、疑う必要なんかどこにもないような人だった。

その夫が弱っていた。

弱った夫を、わたしはうまく受け入れられていなかっただろう。

言い訳のように言えば、余命のわかる病気なら…
命の危機がわかっていたら…

…接し方は変わってたのに。

ずっとずっと弱った夫でいてほしくなかった心理が、わたしの深くにあっただろう。

夫はわたしを頼り、わたしのそばにいたいと思ってくれてた。

それに自分が応えられていなかっただろうことが心残りで悲しい。

それでも、休職してからも、わたしたちはドライブやらお花見によく行った。

その頃にはわたしが運転席、夫が助手席に変わっていた。

かずの隣で寝る日が来るなんて思わなかったな、って わたしの運転を褒めたのか けなしたのか…

病院にも付き添ったし、家で映画もたくさん見た。

わたしは夫に夢も語った。

いつか、お店の半分でわたしが腱引きやるから、その半分でコーヒー屋さんやって。

気分で軽食とかスイーツとか提供しながら、お客さんの悩みを聞いてあげるの。

それ聞いて、あなたは オレできるかな?ってわたしに言ったね…

そのくらい体調がキツかったこと、わたし ほんとにわかっていなかった。

休職中にドライブに行った清泉寮🐮


それでも休職後もそんな楽しい時間を過ごした、って…
そんなのは わたしの自己満足だけど…


でも、夫は最後まで わたしを愛し、わたしを守り、わたしと生きた。

これは絶対、ひとりよがりなんかじゃない。


…夫の変化に、わたしは気づけてなかったのかな

そんなこと考え始めればキリがない。

後悔とは違う、切なさが胸を締め付ける。

いつも揺れて揺れて、揺れ続ける気持ちは定まるところを見失ってる。


誰も想像もしてなかったのに、夫は本当にあっさり逝ってしまったのだ。

わたしの知らない間に。

わたしの知らないところで。

本当に前触れもなく、夫はひとりで逝ってしまったのだ。


夫に会いたい。

とてつもなく寂しくて、とてつもなく会いたくて。

…うん、そりゃ、いつかは会えるだろうけど。

生きる、しばらくは あなたのいない世界で。

…そう、でもあなたが わたしから離れることは もうできないよ。

あなたはひとりで逝ったけど、わたしはこうやって あなたをここに閉じ込めておくことができるんだから。

…あなたとの未来はなくても、今までの想い出は。

ううん、未来は…わたしがおばあちゃんになってからに持ち越しただけ。

ちゃんと見つけてね、おばあちゃんになったわたしを。

看取ってね、って頼んだのに…

あの時、しょうがないなぁ、って答えたのに…

約束破ったんだから…

その時は迎えに来てね。

ずっとずっと待たせちゃうけど…

約束を破ったあなたには、迎えに来る義務があるから。

その時会えるのを楽しみにしてるよ。

その時はちゃんと向き合って伝えるね。

…この世で言えなかった、ありがとう、を。

眩しいの?って聞いたら「ウインクしたんだよ!」
2人で撮った最後の写真♡


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