「性犯罪はフィクションのせい」というレイプ神話をゴミ箱へ
「レイプ神話」という言葉がある。
強姦(強制性交)、痴漢といった性暴力に対してしばしば抱かれる、現実とかけ離れたイメージ、偏見を指してそう呼ばれている。
典型が「性犯罪被害に遭うのは、露出度の高い服装をしていたからだ」「被害に遭いそうになったら、必死に激しく抵抗するはずだ」「被害に遭ったのなら、すぐに警察に相談しないのはおかしい」といったものだ。
酷いものでは「女性は無意識のうちにレイプされるのを望んでいる」などという、正気を疑うものさえある。
実際には、地味な服装をしていても被害に遭うことはある(むしろ、地味な服装をしていたことで「コイツは抵抗しないだろう」と判断されてしまうケースも)し、突然襲われたことによるショックや恐怖で抵抗できなかったり、通報という発想がすぐには出てこなかったりというパターンはままある。
性犯罪とは大抵突然に引き起こされるものであり、そのような異常事態にとっさにベストな対応ができるわけがないのは、考えてみれば当然だ。
このようなトンチンカン極まる「神話」の蔓延は、適切な防犯対策の策定・周知の妨げになるばかりか、被害者が「自分にも落ち度があったのでは」という無用な自責感情を抱く原因にもなる。
正しい情報・知識によらなければ、いくら頭をひねったとしても、有効な性犯罪対策などできるはずもない。
だというのに、ここへきて新たな「神話」を築き上げようとしている者がいる。
この石川優実サンというフェミニストが主張するには、この社会には自分の行為を犯罪だと分かっていない性犯罪者がたくさん存在しており、それはフィクション作品によって形成された価値観が原因なのだという。
しかし、石川氏の説が事実だとすると、実際の性犯罪・性犯罪者の実態に照らして、極めておかしいと言わざるを得ない。
「レイプや痴漢を性犯罪だと分からない」???
以上のリンク先のデータから分かることだが、強制性交や強制わいせつは、人通りが少なく視界の悪い夜間~早朝、第三者の視線が及ばない屋内での発生が多い。
痴漢(迷惑防止条例違反)は電車内、それも通勤・通学ラッシュで乗客が押し合いへし合いしていて、周囲の状況が分かりにくい時間帯で多発している。それ以外の比較的空いている時間帯では、ボックス席の陰といった、これまた死角になりやすい場所が狙われるようだ。
また、犯人が好んで狙うのは、一人で歩いている、あるいは一人暮らしで、警戒心の薄い女性だ。
まとめると、性犯罪者は自らの犯行が露見しにくい状況や、即座に助けに入れる人が近くにいない(抵抗・通報されにくい)標的を好んでいるということだ。自分が捕まりにくい条件を好む、と言ってもいい。
……先ほど「おかしい」と述べた意味が分かっていただけただろうか。
世の性犯罪者が本当に”自分の行為を犯罪だと分かっていない””女の体に勝手に触っていいと思っている”のなら、前述のように自分が捕まらないための適切な判断・行動なんてするはずがないのだ。
本当に”分かっていない”なら、コソコソと暗がりで行動する必要も、人目を避ける必要も、相手の人数を気にする必要もないはずだ。白昼だろうと衆人環視だろうと、何なら鉄道警察隊分駐所の目の前だろうと、何の心配もせずに堂々と行動を起こせばいい。
だが実際の性犯罪者の行動はどうだろうか。
暗闇や物陰に身を隠す。
一人歩き、一人暮らしの相手を狙う(洗濯物や郵便物の情報から、相手が一人暮らしかを探るものも多い)。
電車のドア付近に陣取って相手を痴漢する、自転車やバイクですれ違いざまに触るなど、目的を遂げたらすぐに逃走できるように策を弄する。
交際相手、親族、教師、雇用主などの顔見知りが、その関係性や影響力を利用して、被害を訴えにくくする。
これのどこが”レイプや痴漢を性犯罪だと分からない”人間の行動なのか。
犯行を隠蔽し、自分が逃げおおせることばかり考えているではないか。
己の行為が法に背いた人倫に悖ることだと、しっかりはっきりこっきりくっきり自覚しているという、何よりの証拠だ。
自分のしようとしていることが犯罪だと理解しており、それを完遂するための思考ができ、それを実行に移す判断ができるということは、裏を返せばそれを”実行しない判断”も、その気になればいくらでもできたということだ(適法行為の期待可能性があった)。
悪いことだと知ったうえで、自分の意志で犯罪を実行したのなら、その責任を負うのは犯人以外にはありえない。それが嫌ならば、犯罪を実行しないという選択をすればよかっただけの話だ。
エロ漫画のせいでもAVのせいでもない。他の誰でもない、犯人自身が悪いのだ。
ならば、その責任は犯人が一人で背負うのが筋というものだろう。
「性犯罪はフィクションのせい」???
「性犯罪者たちはフィクションの影響で、自分の行為が犯罪だと分からなくなっていた」という主張。
この”犯罪だと分からない”という文章は、二つの解釈が可能だ。
・フィクションの影響で、違法行為を合法行為と勘違いしていた
・フィクションの影響で、善悪の区別が不可能になっていた
しかし、このどちらを採ったとしても、辻褄の合わない点が生じる。
これが前者の「加害者が法律を知らなかった」という意味ならば「だから何?」でオシマイになってしまうのだ。それはフィクション作品が悪いのではなく、法律を知らなかった加害者が悪いというだけの話だからだ。
創作物やその作者を責めることを正当化する根拠には絶対になりえない。
刑法 第三十八条 第三項
法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
法律を知らないのは、知らなかった当人の自己責任であり、何の言い訳にもならない。法の不知はこれを許さずという法諺がある通り、法律を知らなかったことは、加害者の責任を免除したり、いわんやフィクション作品に転嫁する理由には全くならないのだ(場合によっては情状酌量の可能性はあるにせよ)。
”犯罪だと分からない”というのが後者の「犯人はフィクションの影響で善悪の区別がつかなくなっていた」という意味だった場合、さらにワケのわからない話になる。
先述の通り、性犯罪者は自分の行為が露見するのを明らかに恐れている。
物事の善悪・是非をはっきり区別する能力(事理弁識能力)を有していなければ、そのような行動はできないはずだ。
もしも、世の性犯罪者の多くがこの事理弁識能力を欠いているとするならば、それこそ大変なことになる。
事理弁識能力がないということは、刑事責任能力がないということ。つまり、刑事罰を科すことができないということだ。
刑法 第三十九条 第一項
心神喪失者の行為は、罰しない。
同 第二項
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
心神喪失者とは、重度の精神疾患などの理由で、まさに”善悪の区別がつかない”状態、心神耗弱者とは、その区別が困難な状態の人間をそれぞれ指す。
”性犯罪者はフィクションの影響で善悪の区別がつかなくなっていた”説を肯定するということは、単にエロ漫画やAVを見たことがあるというだけの犯罪者を、このカテゴリーに放り込むことを意味する。
そうなれば、その性犯罪者は無罪放免されるか、あるいは通常よりもはるかに軽い処罰を受けるだけで済むことになる。
もしも、フィクションの影響で善悪の判断ができなくなっていたと一部でも認定されてしまい、そのうえ累犯・併合罪も無ければ、たとえ罪名が強制性交等罪であっても、最高でもたったの懲役十年、下手をすれば執行猶予が付く甘々の判決が下される可能性すら出てくる。
そればかりか、最悪の場合は民事責任を問うこともできなくなる。
善悪を区別する能力のない人間に、刑事的にせよ民事的にせよ、責任を負わせることはできないからだ。
犯人に100%の責任を負わせることと、フィクションに責任を負わせることは両立できない。
創作物・創作者に性犯罪の責任の全部、あるいは一部でも背負わせることは、性犯罪者の責任の一部、あるいは全部を免除するようなものだ。
”フィクションで善悪区別不可能”論は、まさに性犯罪者ボロ儲けの理論といえる。
とはいえ、実際に創作物の影響で善悪の区別がついていなかったとして、性犯罪の完全責任能力が認められなかったケースは、筆者が調べた限りでは見つけられなかった。
平成27年にとある漫画の手口を模倣してわいせつ行為に及んだとされる被告人も、責任能力の欠如は認められず(善悪を判断することはできたと認定された)、実刑判決が下されている。
少なくとも、今日の司法の場においては”フィクションで善悪区別不可能”論が採用されていることはなさそうである。
不思議なのは、この性犯罪者の有利にしか働かない論理を、どうしてフェミニストを名乗る者さえもが手放しに肯定するのか、だ。
「フィクションのせい」という神話を捨てよう
性被害は、被害者の服装のせいでも、態度のせいでも、抵抗しなかったせいでも、ましてや潜在的強姦願望のせいで起こるのでもない。当然、フィクションのせいで起こるのでもない。
犯人のせいで起こるのである。
性犯罪対策は、神話を妄信していては絶対に成しえない。データを地道に分析し、現実に即した対策を実行していくよりほかに、道はないのだ。
エッチな創作物のせいで性犯罪が起こるのだから、ソレを消してしまえば万事解決、めでたしめでたしハッピーエンド、なんておめでたい”神話”など、現実世界のどこにも存在しない。
フィクションを消しても犯人は消えないという、ごくごく当然の現実に早く気が付いてほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?