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『カッコイイ』を生き甲斐にする人たち

MBA取ってまでグローバルにキャリアをガンガン上り詰めて、
今や何もない南仏で専らアーティストの様な生活をしているので、周りの人は混乱していると思う。(苦笑)
でも、私自身のコアはそんなに変わってないなーと思うので、今日はそのことに触れたいと思う。


『ダサい』は悪。
『脱個性』は悪。
『イケてる』は正義。

この歳になって、より自分の周りをイケてるもので囲みたい願望が強くなった。

ギャルだった青春時代。
ファッション、部活、勉強、恋愛、ボーイフレンド、価値観。
若いエネルギーはそれだけでイットを放つものだけど、
自分なりに、それなりに一生懸命に頑張ってきて、それなりにモテた。
当時はViViやSweetといった、作られた『モテ』のバイブルもあったから、
ロールモデルさえ見つければ、学歴や見た目の努力と、逆らえないメインストリームの波でなんとなく『私』が出来上がっていたと思う。

社会人になって、ロールモデルがなかなか見つからず、
仕事に忙殺され、なりふり構わなくなって、
『イケてる』基準がわからなくなった時期がある。

出産後しれっと会議に出席してくるバイキャリな先輩
マニッシュなスタイルが最高にコンサバでセンス抜群だけど自他共にストイックな上司
『可愛い』を永遠に維持している生きる力や要領が強かすぎる友達。
共感性が薄く、私がなりたい像との乖離にいまいちスタイルが確立できず、
かといって仕事面で自分を表せるほど、仕事の質も幅もなく、
ネイルのお手入れどころか、
そもそも全てがABテストで、『この料理の写真はどっちがイケてるか?』みたいな質問にさえも『この先輩だったらどう言う?』『これを見るターゲットはどっちが好き?』と地震暗鬼になって正解が見えない時期が続き、自分が死んでいく感じがした。

今考えると、『イケてる』の基準をつくる為の経験と引き出しがなかっただけで、
徐々に死んでいく私は、立派に生きる為の付箋だったと思う。


『立派に生きる』と『死ぬ』の間には、たくさんの生き方があって、
だらしなく、もどかしく、一心不乱な時を経てフラットになったとき、
自分があがる瞬間や、業界での正解、好きだと思えることの解像度が増していった。

どのカテゴリでも良い女、イケてる女になりたかったが、『モテ』は最早どうでも良くなり、どう見られるかより、どうなりたいかが重要だと、経験と共に30代になってようやく理解できる様になってきた。

判断基準が明確になる度に『自分』を発見していく過程が面白い。似合うものへの理解が深まり、より自由度が増えた。

そうしたら、言い訳や謝りなしの『これがイケてる』が、ようやく腑に落ちて、
判断に自信が出てくる様になった。


今は仕事もメイクもファッションも髪型も、昔よりも1番イケてる私が好き。歳を重ねるごとにこれがアップグレードして行くのが楽しみで仕方がない。

『カッコイイ』が原動力になる人は、バイタリティがある。ポリシーがあって、自己がある。

良い意味で理想がないから、理想を作ってく。
今の自分が最高にイケてるけど、時の流れと共にもっと自分は深みを増してカッコよくなる。
努力やチャレンジは裏切らないから、やりたいこと、自分を高める事に貪欲になれる。

私も私の周りも、こんな人達が多くなってて、
『個』の力が強くて好き。
カッコよくなりたい人に、悪い人はいない。


そんなカッコイイ人と繋がる為のプロダクトの一つとして、E CA QUIがあります。(告知w)

絵の具を調合するようにインフュージョンを仕立てるのは、スーツのテイラーの心構えに通ずる。
E CA QUIは、カッコよくなりたい人のライフスタイルを少し豊かにし、理想に近づいてもらうためのプラットフォームなので、これからもその活動は乞うご期待です。

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