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ご祝儀も贈れない私はただひたすらに喪失のベールを纏う。

もう、何度読んでも、必ず泣いてしまう。

「変態ごはん」の作者小林潤奈さんが、2020年10月18日にインスタグラムに投稿した漫画。私がこの記事を下書きにしまい込んでいる間に潤奈さんはインスタグラムを辞めてしまったのだけれど。

(Twitter https://twitter.com/kobayasisters では読めます。)


「推し」を持つ身、持ったことのある身ならば誰もが涙するのではないかと思う。初めて読んだ時に特定の推しを持っていなかった私でも、共感だけで泣いた。思い起こせば推しを推しているときに推しが恋愛関係で報道された経験はないので、実体験に基づく共感ではなく本能から湧き出るそれということになる。尚、推しに出会ってしまった今はもう1ページ目で鼻の奥がつんとするし、4ページ目に進む頃には号泣だ。そんなことに思いを巡らせるだけでも、じんわりと目頭が熱くなるのだから。


自分の推しが結婚するなんて、喪失以外の何物でもない。リアコだなんだと議論するつもりはないが、どうであれ好きな人である。どうであれ大好きな人が自分でない誰かを愛するのだ。想像するだけで心臓が抉られるどころか突き抜けて隣の家の壁まで傷つけてしまいそう。


わかっている。

その推しの、その人の、本当の幸せを願うのが清く正しいファン像であること。

けれども。

私は好きだから、彼が自分でない誰かを世界で一番好きになった事実に打ちのめされてしまう。結婚は結婚をする人にとってはやはりそれなりに人生の一大事で、こちらとしても「一生一緒にいてくれや」だけで結婚を決めるような半端な男を好きになったわけじゃないのだから。


なにより辛いのは、例えばそういうことがあったとしても、だからと言って彼を嫌いになれるはずもないという事実。嫌いにはなれないのに、パートナーまで一緒に愛そうなんて微塵も思えない自分の狭量さを突きつけられて、さらに惨めな気持ちになる。

どんなに泣いた夜があっても、次の瞬間にディスプレイへと映る彼の笑顔は私を引き付けるだろう。どんなに自分を責めた日々があっても、次のステージに響く彼の声は心臓を抉るのだろう。

私は私という、この世にたった1人のファンである。胸を張ってそうだと言えるし、哀しい程にそうでしかない。ほんの僅かな影ひとつでも彼と気付く私と、きっと正対しても私を私と認識しないであろう彼。その関係性は、ひたすらに平行であるという事実。


彼の人生が僅かでも豊かになるように。健康で、楽しく、長生きして、幸せであるように。

タニマチにはなれないし、ご祝儀ひとつ贈ることもできない私は、ただそれだけを願って、日々の時間とお金を(公式に)奉げる。見返りを求めるものではない、などと綺麗事を言うつもりもないし、そもそも奉げたもの以上の慶びを日々返していただいている。なんならこちらの後払いだ。本人にも、それを支える事務所やスタッフやスポンサー各社様にも感謝しかない。

そして彼が選んだ好きな人を私は好きになれなかったとしても、当然だけれど、彼女に対しての批判や非難をすることはない。当然すぎるけれど、危害を加えることもない。例え間接的にでも、攻撃はしないと心から誓う。

例えば上手くいかなくなること、一度は寄り添って生涯を共に歩もうと決意した2人がその袂を分かつ将来もあるかもしれない。

私はただひたすら胸の奥底に彼女への嫉妬を抱き、清々しいまでにフラットなファンとして、たった1人で、身体の隅々までに薄らとした喪失感を纏って生きていくだけなのだ。

だから、せめてこの記事を読んでくれたあなたにだけは知っていてほしい。共感してもらえなくてもいい、気持ち悪い奴もいるもんだ、そういう人もいるのだと知っていてくれればそれでいい。そして心からのおめでとうは言えないことを許してほしい。ファンでしかない私が、それでもファンでい続けることを、許してほしい。


この記事を書き始めたときから、実にもう4ヶ月以上が経過している。

異常なほど早くに始まった梅雨、何処へ行くことも出来ない二度目の夏、そして短すぎる秋。その時間の流れは、ぐしょぐしょに湿った真綿布団ほどもあった喪失感から重さを奪い、しかし薄く強いプラスチックシートのように私に絡みついて、消えることはない寂しさを今も湛えている。


▼かわいい小林潤奈さんのブログ
ブログ「小林おでぶろぐ。」 

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