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苦しい

長女を産んだ時は地元から離れたアパートに親子三人暮らしだった
ワンオペなんて言葉も知らないくらい私は世間知らずで、
家事から初心者だった。
当時の旦那は毎晩日が変わるくらいに帰宅。
仕事も忙しかっただろうけどそこそこ遊んでもいたようだった

技術職から営業に配属が変わった元旦那はストレスから転職を希望し、親に頭を下げて異業種へと転職。それに伴い私達も引っ越しをすることとなった。またも地元からは少し離れたところ。
私の実母は世話好きなタイプで弱音を吐けば駆けつけてくれることも多かった。でもそれでは自分がいつまでたっても母になれないような気がして、途中から甘えることができなくなった


今朝近所の親子の会話が聞こえてきた
きっとお子さんは保育園に行くのを嫌がっているようだ
玄関先で
「ママ大好き、ママがいい。ママ大好きなの」
と泣きながら訴える
「ママぎゅってして、ママ大好きなの」

でも若いママさんは
「わかるけど忙しいんだしうるさい」
と右から左へ流すように支度を急ぐ

子供の懇願する声だけ、車のドアが閉まるまで聞こえた


胸が締め付けられる思いがした
それは彼らの状況が可哀そう…ではなく、きっと…
きっと私も似たようなものだったから

上二人は聞き分けがいい子たちで、駄々をこねられた記憶がほとんどない
それは元々の性格もあるだろうが、きっと孤独を選んで育児をしている気になっている母(私)に気を使った結果もあるだろう

でも私がそんなことに気づくのはずっと、ずっと後からだった

独りよがりの育児も長男が生まれて、勝手が利かなくなっていく
元旦那は相変わらずの生活で、どこまでが仕事でどこまでが出歩いているんだかもわからない
帰宅してキッチンに洗い物があるのを見ると、子供を寝かしつけていた寝室にも聞こえるような音で戸を開け閉めして怒りを露わにした
恐怖に似た感覚と四六時中走り続けているような疲労感で、子供の事を可愛いなんてほとんど思ったことはなかった

そんな自分のことしか考えられなかったのだ


さっきの親子の会話はそんな自分にタイムスリップしたかのような感覚になった
あのママさんは私だ。かつての私だ


自分勝手な満身創痍にくたびれた結果
その状況から離れることばかり考えるようになった
そのころは自宅を元旦那の実家の隣に新築し、内装は自分好みに仕立て上げたのに。ここからどう逃げようかと考えていた

元旦那の考えも聞かず、たくさんあったかもしれない選択肢を自分で狭めた

でも、子供とは離れられなかった
「子供を置いて出ていけ」
と言われても、罵られても、それは選択になかった
勝手だよね。大事にもできていなかったのに

でもある日「あ、二人を連れて出ればいいんだ」と天からアイデアが下りてきたような気持ちになり、姑に気づかれないようそそくさと支度をして
実家に逃げた


今は、私もことを見ていてくれる
自分のDNAじゃないのにまるっと子供を愛してくれる旦那と幸せだ
多少子供じみていて、ちょっと世間とかけ離れた感覚をもっていようと
この人でよかったと心から思うし、私のいくつもの歪んだ気持ちを治してくれた
いつまでたっても私は身勝手なままだけど、今は「ママ大好き」と言ってくれる三人が愛しくてたまらないし、何にも変えられない幸せと感じる

感じるようになってよかった



忙しいさなかでは自分が忙しいと感じる事もできないことがある
子供を冷たくあしらっていてもそれは仕方ない、当たり前のことと感じてしまう。
でもね、それってあなたが疲れていたり、苦しかったりして目の前にあるご馳走に気づけてないだけ

ママさん達にはまず自分を大切にしてほしい
抱きしめてほしい
あなたは頑張っているよってハグしてほしい

認めることは悪い事ではない
弱いことは悪い事ではない


明日の親子が幸せでありますように

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