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【随想】本のほとり#2|辻村深月「君本家の誘拐」

家では「仕事が忙しいから」と言い、職場では「子どもが小さいから」と言う。どっちも中途半端でどこか満たされない。だから、専業主婦の友達に「すごいね〜」などと言われると、嫌味を言われているみたいな気分になった。完全に私の被害妄想だ。

保育園からの呼び出しに内心舌打ちして自己嫌悪。無理させるから完治しない赤ちゃんの下痢に、一生このままなんじゃないか、というくらい落ちて泣きそうになる。母の声が聞きたくなった。

辻村深月の短編小説「君本家の誘拐」は、はじめての子育てに奮闘するママが、赤ちゃんを連れていつものショッピングモールへ行ったときの話。買い物中、ふと気がつくと傍らにあったベビーカーがなくなっていて焦って探すが・・・。

はじめて『君本家の誘拐』を読んだのは、長女が3歳、次女が1歳になり、二度目の育休から復帰して仕事と育児に追われる日々を過ごしていた頃だから今から7,8年前だ。その頃、通勤電車など隙間時間を見つけては読書していたが、現実逃避したかったのかベタ甘な恋愛小説ばかり読んでいた。なのに、なぜか読んでしまった辻村深月の短編集『鍵のない夢を見る』。怖かった。なかでも『君本家の誘拐』はめちゃくちゃ怖かった。リアルすぎて。

辻村深月さん、あなたはどこから私の心の中を見たのですか? 自ら望んで子を授かったのに、休みたい、逃げ出したい、そんなことが一瞬よぎるだけでも罪のような気がしていた。母の偉大さに打ちのめされ、私も子を持ったのだからこうあるべきと自分を見えないロープで縛っていく。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはちょっと違うけれど、子育てのステージが変われば赤ちゃん育ての大変さの記憶も薄れる。いや、大変すぎて記憶をなくしているだけか? ロープにがちがちに縛られていては子ども達との日々に起こる小さな事件にも対応できない。柔らかくしなやかに、と新たな”べき”を抱きつつ、今日も私は子に育てられている。

その後生まれた三女も5歳になり、もう赤ちゃん育ては卒業した。ふと怖いもの見たさで『君本家の誘拐』を再読した。やはり怖かった。苦しかった。悩めるママ君本良枝さんに、もっと気楽に、なんて安易な言葉はかけられない。

この作品は決して大袈裟ではない。いまの子育てって大変そうなどとママ個人の問題として片付けないで欲しい。この作品を多くの人が手に取って社会への問題提起として考えてくれたらいいな、子育て中の一読者として切にそう願っている。


『鍵のない夢を見る』辻村深月(文藝春秋 2012年)

直木賞受賞! 私たちの心の奥底を静かに覗く傑作集
どこにでもある町に住む、盗癖のあるよそ者の女、婚期を逃した女の焦り、育児に悩む若い母親……彼女たちの疲れた心を待つ落とし穴。

文藝春秋公式サイト「文藝春秋BOOKS」文庫版の作品紹介より



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