君に渡したかったコーラと一円玉
ちょうど今日から一年前の日だ。心臓コーラを彼に届けに行ったのは。もう絶対に会えない人に届けたいもの届けることができない、この体験を喪失と呼ぶのだ。そこからの数ヶ月の自分の行動力は驚くべきものだった。心臓コーラを渡すと決めた人には電話をし、出社前や仕事後に夜の公園で飲んでもらった。ガレージやホテルの一室でワークショップを開いた。じぶんの思いと行動が一致すると、グイグイと人生が進むのを感じた。例えば音信不通だった人とカフェで隣の席になるという偶然や、僕が欲している情報を持っている人々と次々と出会った。様々な場所に押しかけ、様々な場所に呼ばれた。数ヶ月のうちに10都府県をまわり、100回近く出張し、数百人の方々に届けた。ただ、それでも彼の口元に運ぶことは叶わなかった。どんなに多くの人々に出会っても、彼の姿はそこにはない。
思う、それだけでは、世界は動かない。はじめて行動に出したとき、何かが変わる。彼に飲んでほしいという僕の気持ちには、行動が足りなかった。彼がなくなったのは去年の10月3日だ。僕が彼に最後に会ったのは前日の夜だった。最後に話したのは「次にあったら俺のコーラを飲んでよ」だった。当たり前に次の日も彼が生きているはずだった。訃報を知ったとき、世界を構成しているパズルのピースが永遠に失われたような感覚がした。欠乏感。あるはずのものがない。そこにあるはずのものがない。数週間、ことあるごとに彼を思い出す。靴紐を結ぶときにふと目に入ったものから、彼を連想する。なにかを食べるたびに彼がよぎる。日常生活にちらばるたくさんの小さな行為や、もの、人との会話から、小さな糸口で彼を結びつける。共に暮らしていたわけでないのに、暮らしの端々の少し先に彼を思い出させる何かがある。
ちょうどその日々は、深刻に自死についても考えているときだった。死を決めるのは、そのときに限っては、自分の小さな意志よりも、抗えないなにかだった。生きているというのは、一体、生きていくというのは、一体、どういうことなのだろう。そのとき、僕の所持金は71円しかなく、何かを行うには全く必要な資金が手元にないように思えた。けれど、彼がいなくなったことで、今すぐに彼に飲ませたかったものを、これ以上後送りにせず、いますぐに作らなければいけないと感じた。彼と親しい人々に彼の味の好みをきき、彼に向けた辛味と薫香のテイストをつけ、なるべく彼の出身地である北海道の素材や、なにかに迷うときはどちらが彼が喜ぶだろうか、と、彼のことを想い心臓コーラを調合した。それがちょうど一年前の今日である。そしてその後、別の友人に電話をかけ「あなたは将来僕の作品を買うから、そのお金の一部を先に支払ってほしい。なぜなら、僕は今すぐに大切な人たちに会いに行き心臓コーラを飲んでもらう必要がある。何人に会いに行くための交通費がこれくらいで、材料費がこれくらい。そして、予備のために少しだけそれより多めにお金が必要だ」彼の返事は「振り込むから口座を教えて」だった。数時間後には振込まれ、僕は電車に乗り知り合いに会いに行くことが出来た。
死のうとしていた僕が、必要に思える資金を持っていなかった僕が、たったひとつの成し遂げたいことをもった途端に、すごい早さで、大切な人々や、はじめましての人々に会いに行き、堂々と自分の気持ちと作品をプレゼンしている。気力が、生きることにつながった。生きているという資源を、じぶんの欲求、使命のために使いたいと思った。
お金はなくとも、なにかを踏み出す勇気をもつこと、それさえできれば何でも可能なのではないか?いちばん大切な原資は、お金ではない。それよりも勇気をだすことではないか?そして、それを支える大前提が、いま、じぶんが生きているということなのではないか?死後の世界はまだ知らない。そこから生と死、1と0について考察をはじめ、『1円奨学金』をはじめた。これは毎月、選ばれた奨学生に1円を奨学金として渡すというプロジェクトだ。想像していたより沢山の方からの応募があり、選考には時間がかかった。1円奨学金で行いたいのは、1と0をめぐる冒険である。僕が毎月1円を送れること、そして相手が受け取ること、これが継続される限りの間、2人の間で生存の相互確認が行われる。この1円は、「受け取ったあなたは生きている。あなたは、望むのなら、なんにでも挑戦することができる。」そんなメッセージである。
今話した心臓コーラも、1円奨学金も、彼がいなくなる前から構想していたものだ。しかし、いつかやればいいと呑気に考えていた僕は唐突に「そのいつかはいつにするの?」と問いかけられることになった。生前の彼には沢山の思い出をもらった。そして、死後も僕になにかを与えている。それが何かというのは明確には言語化はできないが、それは今後もずっと僕の人生の物語に影響を与えていく。その物語の先を知るために、今日も明日も生きようと思う。いつ死が、僕と僕自身の物語を分かつかはわからない。けれど今は、少し前まで終わらせようと思っていた自分の物語の、その先を読み進めるために、何度でも勇気を実行していく。