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「考現学入門 / 今 和次郎」読書連想文04

「ブラタモリ」を愛せるような人には、ぜひ手に取って欲しい。この本から溢れ出る探究心。奇人・変人の域に達しており、南方熊楠を思い起こす。「考現学」とは、柳田國男の「民俗学」が古い昔の物や事象を扱うのに比べて、こちらはいま現在の物や事象をリアルタイムで研究する学問として創世された画期的なもの。


自殺場所分布図の作成から、道を行く人の髪型の観察、とある食堂カケ茶碗の観察など、その興味の範囲は非常に多岐にわたる。本を読めば、ありふれた日常に対するあなたの観察力が呼び起こされる。興味の持ったものならば記録してしまわねば、という執念をも感じさせる味のあるスケッチは眺めているだけでも面白い。

前回の読書連想文はこちら「自分の薬をつくる/坂口恭平」


本との出会い

大学を卒業するために、卒論を書く研究室を探していた。それまでの私は、服、建築、音楽、文化人類学の研究室に所属していた。どんどんと移り変わる興味を、卒楼という形ですぱっとまとめ上げるにはどうすればいいか。その時に思い至ったのが、身体知である。私は、それまで物作りに関心があった。服、建築、音楽。自分の外側に新しい現実を生み出すこと。そこから、自分がいかに世界と接し、世界を捉えているのか、という興味に移り変わった。それゆえに、身体知、つまりは身体が感じ取っていること。身体と外界との関わりについて研究することは、卒論としてふさわしいと思った。

その身体知を扱っている研究室は諏訪正樹教授によるもの。その研究室に入るための課題図書のうちの一冊が、この「考現学入門」であった。柳田國男に興味があったので、今和次郎という名前は、みたことはあった。しかし、どんな人なのかは全くわからない。しかし、この読書の時間は非常に有意義になるだろうという確信のもと、新宿紀伊国屋にて本書を手に入れた。


かけ茶碗採集と、井之頭公園の調べ

特に面白いと感じた調べについていくつか書いてみる。まずは、かけ茶碗の記録について。

とある食堂でみかけた茶碗のかけ具合が、あまりにもひどいものだから、それを記録したらしい。私はこれまでの人生で、かけ茶碗の採集など見たこともないし、思いついたこともいない。今さんの飲食店への愛憎が、紙の上にきれいに並べられた茶碗たちのスケッチの線に感じられる。ちょっと欠けたり、割れたりしているレベルではなく、器の1/3程度が失われているような、破片と呼ぶべきような茶碗さえもあった。


次は、「井之頭公園の調べ」について。私の地元は三鷹市井の頭であるので、この記録は、個人的ななじみという観点から興味を引いた。この調べでは、花見客の分布図を採集しており、2人で5分で公園を駆け巡って記録したという。2人とも大そう足が早いものだと驚いた。記録には、どこにどれくらい人がいたという分布と、「みかんを食べている」などの観察記述がある。大急ぎで走り回ってよくもそこまでみることができるなぁと、関心した。そして、採集とは、こうも知的で動的なものかということを知った。


スケッチと写真

わたしは普段、写真を撮り、それはファインアートだとか言われるものを撮っているつもりなのだが、散歩中に面白いと思ったものなどを記録用に撮るという写真もある。そういった写真と今さんのスケッチとを自然と比べるじぶんがいた。スケッチとは、自分が見たもの、もっと言えば、自分が選んだものを現実世界から抜き取り描写する技術だ。対象物の背景を透過し、対象物だけに目をやる。スケッチの線によって簡略化される分だけ情報量は減るのだが、その分、何を対象物としているのか他者と共有がしやすく、着眼点を突き詰めるには適した方法だ。

写真では、撮りたいものだけを撮ることはできない。近づくことで、対象物にクローズアップすることはできるが、切り取られた四角い平面では気が散漫になり、に興味を持っていたのかさえあやふやになるかもしれない。スケッチと写真では、同じものを選び取っているようで、情報の抜き取り型の作法が大きく異なる。デジタル写真では、ぱっと、ほんの一瞬で記録をすることができる。しかし、細部を観察し、個人的な着眼点を掘り深めるという点ではスケッチに軍配が上がるように感じる。

家の記録

今さんのスケッチを見ていると、自分でもなにか記録をしたいと思えてくる。私は早速、家のスケッチを行った。部屋の広さはどうで、部屋のどこに何が置かれているのかを観察し、記述してみることにした。

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スケッチをすることで、見えていなかったものを見えるようになった。それは、部屋と部屋との間にある壁の分厚さ。そして、柱という存在について。私の住んでいる家は築60年ほどの二階建て古民家で、私は左上の和室からスケッチを開始した。和室は畳のおかげで部屋の広さを把握しやすいが、キッチンはフローリングになっているので、部屋の広さを感じるために、躰をつかって部屋の広さを計測した。

また、見取り図を書くにあたって、どこに扉がありどのように扉が開くのか。押入れの広さはどれくらいか。家の周囲はどのような凸凹があるのか。庭は実際にはどれくらいの広さなのか。今まで疑問に思ったことのなかったことが次々に気になって、現場に行って、観察した。部屋の隅々にまで目を光らせると、これまでまったく起こり得なかった興味が巻き起こる。観察は、日常に、新しい現実を出現させる。解像度があがると、日常がまたたくまに面白くなる。

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