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「こといづ / 高木正勝」読書連想文01

ありがたい本が届いた。ありがたい言葉と一緒に。誕生日のプレゼントに、とMさんから、この本を送っていただいた。その言葉は私の心の中にとっておく。しかし、Mさんが届けてくれたメッセージは、私が高木正勝さんに感じていることと似ていた。私は高木正勝さんの『Girls』という楽曲と映像。それに出会ったときに、心が沸き立つという体験をした。心を掴まれる。比喩ではなく、私は心を掴まれ、世界にこんな人がいたのか。そして、その人がまだ若く、この世に生きていることを、ありがたく思った。

本が届く前、私は死ぬことを考えていた。今思えば、それは死にたいではなく、このままでは死んでしまう、という躰からのサインだった。意識の言葉と、躰の言葉を見分けるのは難しく、そういった内臓の言葉を誤変換し、「死にたい」と思っていた。自分を殺すほどの生命力が自分の中になかった為に、死ぬことはなかった。初めて死を手に取ろうしたのはいくつか思い出せない。15歳のときには、鬱になり、私は自殺未遂をした。だが、私は生きた。そのときに私が死ぬことを辞めたのは文学だった。太宰治の「人間失格」を読み、死ぬことを、辞めた。生きたい、というより、まだ、死んでたまるか、と思った。

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非凡な才能に出会うと、生きていたからこそ、と思える。そのような体験を促してくれたものに、非凡な才能と感じるのかもしれない。もし、私が先週死んでしまっていたら、Mさんが私の中に何かを見出してくれたナニカには触れることがなかった。だから、生きることで、多くの非凡の才能に出会いたい。生きたい、と光を見せてくれるような作家。それが私にとって高木正勝さんである。私は高木正勝さんの「こといづ」との出会いで、じぶんの中にいる天才を見いだすことを、光を当てることを、それはとても真っ当なことだと思うようになった。自身を天才だと誇張する。ハッタリをかます。そうではなくて、じぶんの"中にいる"天才を喜ばすという考え。じぶんの中の天才が出て来やすいように、その天才が持っている力を発揮しやすいように、手を取り合う。

なにより、自分は最高!天才!と思うことが大事です。もっと細かくいうと、「普段は出てこないけれど、いざとなったら出てくる自分の才能」、これに対して、あっぱれ!と信じえ、当てにするのがいいです。
自分の天才を外に出すこと。どうやったら、このてんさいが生み出す素晴らしい何かをきちんと表に出せるのだろうか。悩むのだったら、その部分に対してきちんと悩んで、あとは悩まなくていいと思っています。
どうやったら自分が喜ぶのかより、どうやったら自分の天才は喜ぶのか。そこに想いを巡らすと楽しくなります。なかなかうまく進めない時は、天才を喜ばす経験が足りていないのかもしれない。あれこれ悩むより、一歩、「今の自分」の外に出て、自分の中の天才を喜ばすあれこれに出会う旅に出たいものです。

私ははっとした。「どうやったら自分が喜ぶのかより、どうやったら自分の天才は喜ぶのか。」という言葉は、柔らかいですが、甘やかすような言葉ではありません。どのようにしたら、じぶんの天才が外に出て来やすくなるのか。出てくる頻度を高めて、常日頃、その天才を喜ばす為にはどうしたら、よいのだろうか。私は2019年の末に、小田原の米神(こめかみ)という所に移住をした。2018年の夏にこの近くを訪れたときに、ここでものを作りたい。そう思ったからである。つまりは、じぶんのなかの天才が喜ぶ土地だと感じた。何かの決断をするときに、そこには複雑に考えごとが泡のように浮かぶけれど、「どの道が、いちばんじぶんの天才が喜ぶのか」と問うてみたら、すんなりと道が決まるかもしれない。少なくとも、喜べない道を、あれこれメリットという目先の計算では捉えなくなる。

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高木正勝さんの初エッセイ集である「こといづ」。6年間ソトコトで連載されていたものを一冊の本に、という経緯だが、書籍化が進んでいく中で高木さんは編集者さんに「坪根さんの欲しい本をつくってください」と言ったそうだ。私は、この本を手にとり、坪根さんが欲しいとおもったものは、ぼくの欲しい本でもありました。そう、お礼を言いたい。素晴らしい本に出会うとき、そこには著者と、編集者さんがいることに気づかされる。世に出してくれて、ありがとうございます。「おわりに」で、高木さんが書かれたことを紹介したい。

「はじめに」にも書きましたが、この本を一番喜んでいるのは僕だと思います。今、全部読み終えて、この6年を鮮やかに取り戻せました。
井口さんからは『こといづ』という素敵なタイトルをいただいて、「コトが出づる」というのですから、子どもの頃の話や、作品はどうやってうまれてくるのかなど、原初的な何かに触れるような話を書いてみよとしましたが、どうにも発展しません。それで妻に相談してみました。「ちょっとお願いがあるんやけれど、挿絵を描いてもらえへんかな。それやったら気負わずに真一の暮らしのままで書けそうな気がする」。

その日から、僕が文章を書き、妻が絵を描くという、そんな特別な日が毎月訪れるようになりました。

この文章を書き写しながら、頭の中で、一緒に何かをしてみたいひとの顔が浮かんだ。その人と、どんなことが出づるのか、もう楽しみだ。そして、その人に、じぶんの天才を合わせたい。色々な人の天才と出会いたい。このような気持ちに、このような言葉を産むきっかけになった本を、プレゼントしていただいたMさん。ほんとうにありがとうございます。より多くの人が、みずからの天才と出会い、喜び、喜ばせ合うような世界でありますように。


みなさんもぜひ、読んでみてください。大切な方のプレゼントにも。




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