【エッセイ】日本って物で溢れている
先日、約5年ぶりに日本へ帰国した。
今回は、その時私が感じたとこを書いていきたいと思う。
日本に帰って改めて感心したことがある。それは、物の多さだった。
私の実家はどこへ行くにも車が必要で、隣近所の動向を逐一気にするような田舎。そんな田舎にドラックストアが等間隔にできていた。
そんな所にドラッグストアが乱立する理由を考えてみるが、やはり超高齢化社会だから薬を売る場所がこんなにも必要なかも、なんてしょうもない考えしか出てこない。
ドラックストアなんてどこに行っても代り映えしないのに、商品が大量に陳列されている。お店側も他店と違いを出すために、少しの取扱商品の違いと、1円2円の安さで勝負している。そこに日本の闇が透けて見えるようだった。
私も私でハンドクリームを買いに行っただけなのに、化粧品や美容グッズ、お菓子などに目移りしてしまう。こんなに物があるのに私が欲しいものは本当に1つだけなのかと、つい何かを探してしまう。そして、時間をも浪費する。何かないかと探した分だけ、何か買わないと気が済まなくなってしまう。結局私は、ハンドクリームと、買う予定もなかったメイクブラシを購入した。時間とお金を消費する魔のスポットだと思う。
友達とイオンモールへ行ったときは、さらに驚いた。
なんでもありすぎる。現在私の住んでいる近くのモールもそこそこ大きいけれど、物の量が圧倒的に違う。とにかく日本のモールは雑多だ。
プチプラなアクセサリーと小物だけで成り立っているお店なんてこっちにはない。しかも毛色を変えてそれが何店舗か存在する。よく生き残っているなと感心してしまう。
そして、圧倒的な違いを見せるのは食品系だ。
コーヒー、紅茶、日本茶、チョコレート、和菓子など専門店が当たり前のようにあり、海外から輸入した食品や地域の物産展は人がずっと賑わっている。
これだけ物があると、YouTubeで爆買い動画が好まれる理由が良くわかる。
食品だって決して安いものではないので、ちょっと値を張るものを買って好みに合わなかったときのガッカリ感は、その後人を少しだけ保守的にさせる効果がある。それに、1日3食しかないのに、そこを失敗したくない気持ちは、日本に滞在期間が決まっている私にはよくわかる。人がお薦めしてくれたものや、人気ナンバーワンと謳ってくれているものを買うことが、どれほど安全で楽かが身に染みた。
そんな物に溢れた日本にある実家は、当然余計な物が多い。
久しぶりに過ごした自分の部屋には、いつか片付けなければいけないモノだらけで、憂鬱になってしまった。当時の私の若い価値観と感性が誇らしげに、まだまだ現役かのようにそこにあった。そのモノも思い出も感性も価値観も、全てをまるっといつか供養してあげなければならない。私は歳を重ねたことを身にしみた。
そんな実家から今住んでいる家に戻ってきて、我が家の物のなさに心底驚いてしまった。
我が家は物が少ない。誰かを家に招待するわけでもないので、お洒落よりも機能重視だ。それに、物が多いと掃除が面倒だという理由でなるべく物を増やさないようにしている。
それなのに、必要最低限の暮らしで不自由なんてしていなかったはずが、日本から戻ってきたとたん物足りなさを感じてしまった。そして同時に物がないことへの寂しさも覚えてしまった。
物がないと寂しいなんてただの思い込みなはずなのに、気を抜くと物を増やしたい衝動に駆られてしまう。家の快適さは物の多さではないことを、自分に再確認させる作業をしなければならない。生活の質の上昇はアッと言う間に慣れてしまうことを身をもって実感した。
日本の物の多さは凄かったな、なんて思い巡らせていたら、ふと、あれだけ物がある日本で「モノより経験にお金を使え」なんて、酷なこと言うなと少し笑ってしまった。
きっと、日本に住む多くの人が、日本に物が溢れていることを当たり前のことだと思っているだろう。何を持っているかで自分のいる環境やレベルが決まったり、それ周りに合わせて生活をしている人は、あっという間にお金が消えてしまうだろう。物に使っている意識すら、ないのかもしれない。
そんな私も、日本に滞在している間は瞬く間にお金が減っていった。いったいどこへ消えたのだろう?
日本は無意識にお金を使わせるのが本当に上手だと、感心した。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?