金木犀の花が長雨で散った

空気が軽くなってきた。
夜には風がTシャツの袖をすっと通り抜けて、汗を冷やしていく。
そろそろ上着が恋しくなってきた。

仕事終わりに無意識にスマホを開いて、ため息をつく。

通知の数はさっき見たときと変わらなかった。

ため息をもう一つついた。
モヤモヤしたものは、頭の中にこもって離れてくれない。

きらびやかなショーウィンドウが整列するこの並木道は、近頃人気が少なく静かだ。

私は気分転換に隣駅まで歩いてみることにした。

歩き始めるとスマホが鳴り、通知がきた。

今日も会えない。

鬱々とした気分のまま気がつけば並木道を抜けていて、あっという間に隣駅のすぐそばまで着いていた。

さて、もう一駅分歩いてみるか。

大きな交差点で右折しようと信号を待ち、青になってからふわふわとした足取りで渡り始める。

先ほどの静けさから打って変わって、こちらの道は大きな看板から放たれる強い光と車の走行量のおかげで騒がしく見える。

その中にひっそりとたたずむ神社からふわっと金木犀の匂いがする。
優しい匂いに心が少し落ち着いた。

そのまま少し進んで歩道橋を超えるとまた街が静かになる。

一区画前のような派手さはないものの、こだわりをちりばめたような小さな店が点在していた。
店員と常連が独特な雰囲気で店前に集って他の人を寄せ付けることはない。
なんだか勝手に排除された気持ちになって少しまた落ち込む。

一キロにも満たない範囲で、こうも街並みの雰囲気が変わると気持ちもころころ変わって、時間の進みが遅く感じる。

気がつけば、頭のモヤモヤは少し減っていて、
一歩先の風景が楽しみになっている自分に気がついた。

目的にしていた駅も通り過ぎ、ここまできたのなら自宅まで歩いて帰ろうと意気込み始めていた。

駅前の道を抜けると、突然風景が住宅街に変わる。

マンションのそばを通りかかるとシャンプーと晩ご飯が入り混じった匂いが漂った。

そういえば、シャンプーの香りを嗅いで誰がお風呂入っていると思うかと言う話を前にしたなと思い出す。
私が「小さい男の子が湯船でふざけてお母さんに少し怒られているところ」と答えたら、親子なのかと新鮮そうな顔をしてこちらをみていたっけ。

坂道が続く。
四方を道と小高い建物に囲まれてお椀のように窪んだ十字路があった。
大きなバケツで水を流し込んだらここ一帯は池になるだろうと考えて少し怖くなった。

ランニングをする人の足音が背後から聞こえて、私を追い抜いていった。

大通りに差しかかる頃、そよいだ風に乗せられて、また金木犀の匂いがした。
少し進んだところにある家の垣根からオレンジ色の小ぶりな花が咲いているのが見えた。

黙々と真っ直ぐ歩き、案外すぐに自宅にたどり着いてしまった。
家の中でもくるくると歩いた街並みの情景が頭に浮かんで少し疲れた。
良い疲れだとおもった。

私は返信をした。

金木犀が咲いていたから今度お散歩しよう。

日差しが柔らかい昼下がり。
彼はオレンジ色の小ぶりなその花に顔を近づけて、甘い香りがするねと笑った。

しとしとと降る静かで長い秋の雨。
街中からは、もう甘い香りは漂ってこなくなった。
季節はまた移ろいでいく。
今日も私は散歩をする。

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