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彼女は「書く人」だった

その人はバイト先の先輩だった。私より少し年上の女性で、そのとき既に20代前半だったはずだけれど、少し幼く可愛らしい見た目で高校生くらいに見えた。超難関大学を卒業していて、勤務態度はものすごく適当だったけれど、ものすごく仕事ができた。タバコもお酒も大好きなのに、肌が透き通るように白く、たまに仕事をしているところを見かけると、いつもスッと背筋が伸びていて、勝手に育ちの良さを感じていた。かと思えば、一緒に休憩しているときに、暑いねといって脱いだ上着の下からタトゥーが見えたり、実はバツイチだったりと、一言で言えば「こういう人」、と言いにくい、何が出てくるかわからない、びっくり箱のような人だった。

私はその先輩が大好きで、向こうも、何の面白みもない私を、「お互いビールが好き」というだけで仲良くしてくれた。

金原ひとみの本も、村上春樹が訳した小説も、「ハトのおよめさん」も、みんなその人が貸してくれた。バイト中にいきなりジェットコースターに乗りに行ってしまったり、二日酔いで始業時間に来なかったりと色々めちゃくちゃだったけれど、とにかく仕事ができ、アウトプットが完璧だったため、誰も文句が言えないようだった。かっこよかった。

そんな彼女は「そのうち小説家になる」と、「今やってることはすべてネタづくりだ」と言っていた。なるほど、こういう、ものすごく頭が良くて、好き勝手ふるまっているようで冷静に周りを見ていて、底しれぬ魅力を抱えている、こういう人が小説家になるのだと納得した。私はこういうふうにはなれない、とも。

私がそのバイト先をやめることになり、その送別会の席で「私ももうすぐここをやめるのだ」と教えてくれた。とりあえず海外に行って、その先は決めていないと。

その後はお互い連絡することもなく、20年たった。

あるとき書店で手に取った本に、彼女を発見した。彼女とまったく同じではないけれど、どこか見覚えのある名前。あ、もしかして、と思って検索したら、懐かしい顔がヒットした。ああ、やっぱり。彼女はやっぱり文章を書く人になったのだ。嬉しいとか懐かしいとか、すごいな、とかそういう感情じゃなく、「そうだよな」とただひたすら納得した。そうだよな、彼女は20年前から、いずれ書く人だったのだ。

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