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読書記録「読みたいことを、書けばいい。」

衝撃を受けた。正直言って、舐めてかかってたのだと思う。著者の田中泰延さんについては、ほぼ日のインタビューやいくつかのコラムを読んだ程度だった。電通を辞めて「青年失業家」を名乗り、著作活動をしている人で、その文章は関西の人らしく過剰にユーモアがあふれ、正直、ふざけてる人なのかな、と思っていた。だけど、初めての書籍というこの本を読んで、印象が全部ひっくり返った。スパルタだ。まったく甘くない。「読みたいことを、書けばいい」なんて、一見優しいタイトルであるけれど、これだって、「(世界に数多ある本やテキストをできるだけ読んだ上で、それでもまだ「自分の思い」を語れているものはない、と思うのならば、自分自身が)読みたいことを、書けばいい」と言っているのだ。前提知識も持たず、うわっつらの言葉で書いたものに用はないのだ。「誰でも書ける!伝わる!文章術」みたいなぬるま湯のような本を読んできた私にとって、このスパルタぶり冷徹ぶりが衝撃で、寝る前5分だけ、と読み始めたつもりが、結局一気に読み切ってしまった。

この本のテーマとなる文章は「随筆」について。著者の田中泰延さんはまず、「随筆」とは何か答えよと、読者に問うてくる。「思うがままに、つらつらと書いた文章」などという、辞書に載ってる答えを聞いているのではない。書き手であるお前は、きちんと、自分が何を書こうとしているのか、自分の言葉で定義できているのかを問うているのだ。

「随筆」とは「事象と心象が交ざりあったところに産まれる文章」だという。だとすれば、私はスタート地点にも立てていない。何かに、心を動かされることを避けている私には。

「趣味」にしろ、「幕府」にしろ、田中泰延さんは、言葉を定義し、言葉を疑い、その実体を理解せよと続ける。これを読んで、私が今まで書いてきたのは空っぽの何かにだったのかと恐ろしくなった。

この本を読んで、私は決意した。ずっと避けていたものを見るのだ。子どもが生まれて、仕事にやりがいもあって、楽しい人生という、心地の良い場所から動きたくなくて、ずっと目を背けていた事実を見るのだ。子どもはいずれいなくなるし、私はどんどん老いるし、結局ひとりぼっちに戻ることを。ずっと続く気がしている今このときは、どうしようもなく過ぎ去っていくものだということを。

「さみしいきもち」が、私の書く原点なのだから。

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