失われた時はどこへ

読書量がめっきり減ってしまっていた。たまに読むのは、仕事に必要な本くらい。「メディア運営の~~」とか「ペルソナ設計の~~」とか。文学作品どころか、軽めの小説やエッセイなんかも読まなくなってしまった。読書スピードも遅くなって、ますます量は減っていった。

本を読まなくなり、語彙も増えるどころか減ってくし、何より、身の回りのことにしか興味のない、つまらない人間になりそうで怖かった。

思えば母も、まだ私が小さい頃は活字をよく読んでいた。歴史小説がいくつもあったし、向田邦子のエッセイなども。それがやがて、「眠る前に小難しいものを読みたくない」といって、徐々に活字から離れていっていた気がする。
私も気づけば母と同じ道を辿っていた。

抗いたい。でもどうすればいいのだ。仕事もあるし、手がかかる子どもが3人。時間はないように思えた。

隙間時間を使えばいいのかと、スマホにKindleを入れたりしたが、うっかりマンガを読んでしまい肝心の本が進まない。

半ばヤケになって、スマホからあらゆるアプリを消した。ゲームを消した。Kindleも消した。暇がないといいながら、暇つぶしアプリがたくさん入っていたことに驚いた。するとどうだろう、時間が生まれたのだ。食事の後、眠る前の数分、手持ち無沙汰になり本を手に取るようになった。無い無いと思っていた時間は、名も無きアプリに吸い取られていただけだった。

今、少しずつ読書量が戻っている。喜ばしいけれど、名も無きアプリに吸い取られた時間はどこへ行ってしまったのか。もう帰ってはこないのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?