”時間”が買いたい
時間がほしい。
もしもお金を出して買えるのであれば、私は真っ先に時間を買うだろう。
私の仕事は文字を書くこと。
1週間に山ほど依頼が飛ばされてくる。
今週もデッドラインが近づいている。
かといって稼いでるか?と言えば、そうではない。
でも、不満はない。幸せなのだ。
それは私を求めてくれるから。
"先方がどうしてもchamさんがいいって。指名なんです”
”タイトなスケジュールなんですけど、chamさんの原稿が欲しいんです"
”chamさん!助けてください!"
”先方が取材クルーにどうしてもchamさんがいいっておっしゃるんですけど、明後日飛べますか!?"
chamさんは、ちょろい。
すぐ2つ返事でOKを出してしまうから。
「えー…。」なんて思ったことは、1度もない。
スケジュールがタイトなら、行程を入れ替えてスムーズにすればいい。
指定された期間が厳しいなら、納得できるような代案をこっちから提案すればいい。
決して言いなりになっているわけではない。
その一方で、こんなことも思う。
noteが書きたい。みんなのnoteが読みたい。
写真を撮りたい。エッセイを書きたい。
ダーツが投げたい。違う視点で物を見たい。取材記事をまとめたい。
1日は24時間。私が私であるために使える時間は、限られている。
私という人間は、非常に欲張りなのだ。
”どれかを削りたい”ではない。
どれも好きだから。やりたいから。
時間を買いたい。
そんなことを思いながら、今日もひたすら原稿を書きつづけている。
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