文章を書き始める、所信表明としての

こんばんわ。朝なんですけど。

つい数日前にnoteに初めて登録をして、文章を書き始めました。
元々何か絵でも漫画でも文章でも、自分の表現というものをしてみたいなと思っていました。

ただ始めるタイミングというのが私には難しく、また情けないことに自分の中から出たものをそのまま出して、自分の空虚さと向き合い、人の目に晒すことが怖かったわけです。そもそも、自分に自信がなかったのです。

生きていると色々な経験もしますし、他人の言葉や表現にもたくさん触れるようになります。不本意な時間も流れていきます。
むしろその方が長いですかね。

そうしていくと、どんどんと膨らむ自意識と言葉の比重に勝手にやられて、あーでもないこーでもないを繰り返し、もっと外界に自分を出していくのが怖くなります。
じゃあなんで書き始められたのか。なんでしょうね、いい意味で諦めがついたのですかね、年齢なのですかね。
大雪警報が出されている最中、慣れない1週間ほどの出張先のホテルで疲労を少しだけ心地よく感じながら、散文的な詩っぽいものを書いて投稿してました。

正直、内容がいいかはわかりません。ただ、これは自分の中では大きなことに感じるのです。なんでもいい、なにかを書いて、外に出せたことが。

タイタンの妖女で知られるSFの大家(この際SFの定義は置いておいて)、カート・ヴォネガットも小説を書くことは職業というよりかは生きることだ的なことをおっしゃってました。それを言っていた本をちゃんと読んでないんですけどね、後日改めてありがたく読みます。

事実、何か書いて投稿すると心が少し軽くなります。自分の思考でがんじがらめになるのを、少し防げます。そして少しずつでも書いていけば、新たに何かが自分の中に芽生えることもあろうかと思います。

あとはそうですね、やはり何かを外に出そうとすると、責任と言っていいようなものも生まれるはずです。少し背筋を伸ばして、これでいいのかと幾度も考えて、時に外を参照したりして。よい副作用として、外界を知ろうとする動きがあります。これが本当にでかくてありがたい。

これから、たくさん書いていきます。小説とかも書いていきます。
外にある自分を拾いにいきます。

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