見出し画像

おウワサはかねがね その18「好きの証明と付随する依存」

「おウワサはかねがね」は、お互いの「ウワサ」だけは知っている波多野伶奈(俳優)と野花紅葉(劇作家)がnoteを通じてやりとりする企画です。会ったことのない2人の関係はどう変化するのか、2人が本当に会う日はやってくるのか。毎月0のつく日は野花紅葉、5のつく日は波多野伶奈が更新します。

前回のおウワサはかねがね【その17(6月30日)】


もみさんへ

珍しく今日はスマホから打ち込んでいます。どうでもいいですね。波多野伶奈です。また遅くになりすみません…

7月から急に馬鹿ほど忙しくなりとうとう東京に戻ってまいりました。本音を言えばこんな時期に都心へ戻るのは危険すぎるし三ヶ月引きこもった私は外に出るだけで体力を消耗し吐きそうになっています。物が立体に見えるだけでめまいする。こんなんで生きていけるのか?

さて、今回の本題であります「依存」のはなし、の前に私はもしや内臓露出狂いなのではという話をします。前回もみさんが

「相手の中身=内臓が見れるんだったら自分の内臓が露出しててもどーでもいい」……ここなんすよね……え、強くね!?!?!?どーでもいいのですかちゃんさんは。

と書かれていて(「」内は前々回の私の発言)、よくよく考えなおしてみたところ、「むしろ私は自分の内臓をみてほしいのでは?」という結論に達しました。以前おウワサはかねがねその8・10にてコンプレックスのお話をしましたが、そこでの「ありのままの自分で受容されてーーー」こそが真理。自分のグロい内臓を見せても相手が好きと言ってくれるのなら私の全ては肯定されている。「好き」と言ってもらっても所詮ただの音なわけです(めちゃくちゃひどいな)…それよりも私の内臓を見てもなお私と一緒にいてくれる事実の方がよっぽど「好き」の証明となる…良い自分も悪い自分も闇に閉ざされ馬鹿になってもそれでも私のことを好き…とまで行かないとエー!本当に好きじゃん!と思えないのです。だから私は内臓を見せてしまう。好きの証明をしたいから。それで拒否されたら所詮それまでの好きだったのだ、と納得するし、そのリスクを負ってでも証明できる方が自分は安心に向かえる。

エー!エゴがすぎる!!!!

それって相手を試してるし相手の好きを自分の尺度で測ろうとしてるってことじゃん!安心のための恋愛?愚か!これらのことがコンプレックスに繋がっています。

前述が長くなっちゃった。ここからが依存の話で、おそらくお察しの通り、内臓まで見せて好きの証明を果たした相手に安住し、自分の生活の一部に相手を組み込んでしまうんですね。端的な言い方をすると相手を「自分に承認を供給してくれる装置化」してしまう(これは自分と相手を傷つけてしまう言い回しだけど直接でわかりやすい)。また、本来さまざまな人々となされたはずのコミュニケーションが恋愛一極集中されることで生じる「その人がいないと成り立たない生活」(ほかに友達がいないから)
毎日電話するのもLINEで自分の生活をいちいち報告するのも、私の生活のルーティーン。それらがないと自分の正常な生活ではないように思える。毎日承認が得られないと不安になるような生活を自ら築いてしまう。前々と前の相手にそういった依存をしていたことに気づいて、今の相手とは下手なりにうまい距離感を探しているつもりです。出来てるかなー?!オーイ

以上が私の好きと依存のはなしでした…。恋愛と承認欲求と依存と…ぐちゃぐちゃで私もよくわかってない多重の問題なので、また話すと思いますが今日はここまでで!もみさんの依存のはなし、ぜひ次回聞かせてください〜!

また音楽を貼ろうとしたらスマホからだったからサムネで貼れなかった…。今日用意していたのはまた今度で。

ではまたー!低気圧がしんどくて夏バテで飯が食えなくて辛いですが、いつかもみさんとご飯が食べたいです。

ちゃむ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?