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人生で大切なことは‘’誇り高き敗者‘’になれるかどうかである!…と、満を持して非モテがドヤ顔で遠吠える

“地球に生まれてよかったー!!”

織田裕二の自虐ネタともいえる最後の叫びに思わずふいた。
あぁ、この人、ノリのわかる人なんだ。
突如として同志として認識し、確かな“友情心“が芽生えた瞬間だった。

かくして世界陸上が終わった。


短い期間であったものの
ボクは一心に胸に日の丸を背負い、テレビにかじりついて熱狂した。
一昔前は、日本の陸上界で期待できる種目はマラソンのみと言われていたが、
今やそんなことはない。

世界で堂々と戦える新星が次々と出てきて、観戦する方にも力が入る。
なかでも男子4×400mリレー、競歩での日本勢の活躍はとても誇らしかった。

日本に生まれてよかったー!!

…という感想になるわけですけど、

どうみてもこの感想。
織田さんをパロった上、また頭の悪そうであるがゆえに、
ボクは今、皆様からボキャ貧もしくはハイパードキュンのたぐいだと思われたかもしれないが
その評価は甘んじて受け入れたい。
激熱の夏バテで頭がからびる中で、文章の区切りとしてはこれ以上のシャレた感想が浮かばず、いささかパニックになってしまったのだ。

さてさて。

よくよく考えてみると陸上競技というのは非常にわかりやすい。
順位であったり、タイムであったり、跳んだ長さであったり、誰がすごくて、誰が調子が悪かったのかが一目瞭然である。

この結果のシンプルさが、ボクのような素人でも入り込みやすく、そして熱狂できる要因でもある。

一方でフィギュアスケートや体操は難しい。
明らかに凄ければ分かるが、そうでなければ凄さを正確に認識すること自体が困難なのだ。

3回転であろうと3回転半ジャンプであろうと、解説者のように一瞬で判断がつかないので
とりあえず「クルクル回って、着地失敗しなければOK~♡」くらいなもんで、
「うわっ、三回転からのサルコウ、トウループができなかった…」
なんてのは、リアルでみてもまったく判別がつかない。選手の凄みを理解するのが、陸上競技と違ってきわめて困難なのだ。

サッカーワールドカップの話題が賑やかになってきた。

サッカーは“点取り合戦“と言う面で見ればわかりやすい。
ゴールラインの内側にボールが入れば1点。そして多く点をとった方の勝ち。

とてもシンプルだ。

しかし、とりあえずワールドカップくらいは観るくらいの“にわかファン“であるボクにとっては、試合の中で“誰が凄かった“かを評価するのはフィギュアスケートに似て難しい。

前回のW杯。

大迫半端ねぇぇぇぇ~と“にわか“のボクが盛り上がる中、
「いや、あの試合の最高殊勲さいこうしゅくん選手は長友だった」
なんてコアなサッカーファンや解説者の語り   口をよく聞くたびに、

せ、正解は長友だったのか。
マ、マジか。
すげえ、こいつやるな。
わかってるな、となる。

サッカーを長年なんとなく見てきたが、いつになってもまるっきり選手の凄みの判別がつかない。
メッシがスゴイ、本田がスゴイ、中田がスゴイ、いまのゴールはトリッキーでスゴかった、はなんとなく分かるが、

自慢ではないが、
「あいつのディフェンスは“アジアの壁“」「ヨーロッパ1の鉄壁のディフェンス」「お、先ほどからこのディフェンスのこのプレーが効いているな」
などと気づけたことはまるっきりない。

“にわか“中の“にわか”
少年サッカー選手よりも“にわか“なのだ。

あれ、なにやら‘’にわか‘’の主張がうるさい。長い。

そう。
ここまでで約1000文字。

ボクはいま、入念に‘’にわか‘’保険をかけることに余念がないのだ。
日本で最も競技人口の多いスポーツであるサッカー。これについて今から本SNSで偉そうに語りたいと思っているが、

もしかしたらサッカーファンから袋叩きに合う可能性もあって
“にわかである旨をどうか皆様ご容赦いただきたい“
‘’どうか優しい目で見てやってくれ‘’

と思っている。

“にわか“が語るサッカー論。
なんだか嫌な予感がするな、って人は、
ここでどうぞ、ブラウザをそっと閉じてください。


前回のワールドカップ。

実のところボクが一番印象に残ったのは、
半端ねぇ大迫でも、
アモーレ長友でも、
ケイスケホンダでもなく
いや、素人だからですけど、

監督の采配だった。

西野監督。

あの熱狂した一日をみなさま覚えているでしょうか。
平均視聴率44%という紅白歌合戦をはるかにしのぐ驚異的な数字を叩き出したあの一戦。

グループリーグでトップだった日本が予選通過を決める大事な最終戦。

相手はすでに敗退の確定していたポーランド。同リーグの2位、3位であったセネガルとコロンビアが星のつぶし合いをするので、

勝ち→確実突破
引き分け→確実突破
負け→コロンビアとセネガルが“引き分け“でなければ突破 ※イエローカード数の条件付き

という、“予選リーグ突破“という目標に対して、日本は圧倒的な優位で迎えた最終戦であった。誰もが予選突破の瞬間をリアルで観戦し、そして勝利の美酒に酔いしれ、
日本に生まれて良かったー!!
と叫びたいと思っていた。

しかし、ふたをあけてみると、あろうことか日本が予選通過できない最悪のシナリオでゲームは展開した。

試合は両チーム決め手を欠いたまま、スコアレスで後半に突入。14分、相手のFKからDFヤン・ベドナレクに先制ゴールを許したことで、事態は風雲急を告げる。この時点で、他会場のセネガル―コロンビアが0―0だったため、このままなら日本は1次リーグ敗退。だがその後、コロンビアが先制点を奪い、日本は勝ち点で並ぶセネガルとの比較からフェアプレーポイント(イエローカードの差)で優位に立った。

東京スポーツ新聞

ラスト10分。

指揮官、西野監督は動いた。

日本は攻撃的メンバーを下げ、ディフェンシブなメンバーを投入し、それからは前線へパスを送らず、相手のいない後方でボールを回し始め、試合終了のホイッスルが鳴るまで約10分間、ひたすら時間稼ぎを続ける作戦を決行したのだ。

たしかにこの作戦であれば1点差で負けることは確定するだろう。
どうあがいても予選リーグを突破できない対戦相手のポーランドは、
このゲーム自体には勝っているのでパス回しを行っている日本陣地に無理してボールを奪いにくることもないし、
もちろんラフプレーが起こることもない。イエローカードもない。

つまるところこのままいけば、日本はこの試合には1点差で負けるが、予選リーグ突破を決めることができたのだ。

でも、もし他会場でやっているセネガルが同点に追いついたものなら、
その瞬間、日本は全力で点を取り行かなければならなくなるという、
ものすごい他力本願の“賭け“となる作戦を、ワールドカップという‘’サッカー最高峰‘’の大舞台で決行したのだ。

緊張感のなかでの「時間稼ぎ」

もしこの賭けが失敗に終わり、予選リーグを突破できない事態になったものなら
世界中から笑われ、フェアプレー精神の欠如やら、一国の恥さらしやら、大批判を浴びることは確実であった。

失敗を認めない、
とことん責任を追及する、
そんな‘’ゆがんだ批判文化‘’が根付く日本では、

最終戦の前までは、救世主とまで称され“功労者“の評価がなされていた西野監督であろうと、この一戦によっててのひらを返し、サッカー界に居続けることが困難になってしまったであろう。

しかし、西野監督は批判を恐れることがなかった。もっとも決勝トーナメントに行ける可能性が高い方法を選択した。

おそらく西野監督は、どこまでもリアリストであり、合理的な監督であった。
そのため「ゲームの客観的評価」よりも「本来の目的」を天秤にかけ、
‘’カッコよく負ける‘’ことを捨て去り、
‘’批判される負け‘’を選んだのだ。

結果、想定どおり1点差の負けを見事に維持し、予選リーグ突破を果たした。

ボクはこのとき、
あぁ、日本のスポーツ界にもこんな形の‘’フェアプレー‘’精神をもった人がいるんだ、ってとても感銘を受けたんだよね。

‘’負けの美学‘’、‘’減点方式‘’を採用する日本では、この判断をくだすのは容易ではない

2年前。

プロ野球で8月末時点で首位を独走していた読売巨人軍が8回の時点で0-11と大敗していた阪神戦で、まだ4人の投手が残っていたにもかかわらず、内野手をリリーフに起用した。

いわゆる大敗が確定的な試合に、本職の投手をこれ以上投入しない、休ませようっていう采配であった。

この継投に巨人軍OBからは
‘’これはやっちゃいけない。巨人軍はそんなチームじゃない‘’

と大批判されるなど大きな物議をかもした。120試合の中で、ラスト40試合程度。首位を独走しているチームが、負けが濃厚の一戦でも全力疾走の
‘’カッコよく負ける‘’
ことを求めようとする日本。

そんな風潮が、たとえ重度の熱中症状であってもマラソンを完走することが美学のように扱われることがある。それが後遺症のリスクと天秤にかけたときに、まったく割に合わなくても。

仕事に目を向けたってそうだ。

なぜ台風の中、サラリーマンは会社に向かうのだろう。いつだって台風の日の駅は、止まった電車が動きだすのを待って、15時であろうとわざわざ出社する人の長蛇ちょうだの列であふれかえっている。

朝からずっと駅で待って、
ナニもしなくてもどうにかなってんだから、今日は日曜日だと割り切って、

帰れよ、もう。

なぜ‘’来ない電車をひたすら待つ‘’みたいな無駄に耐えるのかというと、彼らにとって大事なのは

こんな散々な日、どうにもならない日だって
一生懸命会社に行く努力をした

という会社への忠誠心を示すことだからだ。
本来の目的を達成するためなんかじゃない。
批判されないために無意味でも行く。

そういうプレイなのだ。

長くなった。熱くなった。まとめよう。

本来の目的を達成するためならば、
合理的な負け方だってある。

合理的な判断のもと
勝つ姿勢を見せずに負けを認めることに対して
‘’批判されることをするな!‘’
と命じるのは

「利益が不利益を上回ってもやるな」「10,000円儲かっても、1000円のコストがかかるならやるな」

と言っているに等しい。

つ・ま・り・だ、
いいか!強引にまとめるぞ!

ボクのような‘’非モテ‘’諸君。
「非モテ」であることを恐れ、「非モテ」にならないように、あるいは自らの力を証明するかのように女遊びを繰り返す必要はないのだ。

合理的に負けてしまえ!

非モテは気を散らされるものが少ない。
女と連絡を取らなくても済むし、合コンの誘いを断る必要もない。

夜遊びしないから規則正しい生活ができる。

腰を据えて新規事業に取り組もうじゃないか。非モテであるがゆえに、事業の成功はもうすぐだ!

…ん!?え!?

なにこの残尿感。

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