子どもの恐怖の「なんで?」攻撃が、新たな恐怖を生んだ話
子どもの「なんで」の質問には覚悟して回答しなければならないなと悟った話である。
3才以上の子どもは、知りたいことがあるとひっきりなしに質問攻めをしてくる。
「なんで芝生は緑なの?」
「なんでちょうちょには大きな羽があるの?」
「あの車はなんで白いの?」
「あのお兄さんは走っているけどなんで?」
もうエンドレスである。
どこの親でも
「子どもの好奇心の芽を摘まない」
ために、最初はそれに一生懸命に答える。
しかし、5回も10回も
「なんで?」
が続くと、さすがに答え続けるのも困難になってくる。
こうなってくると質問には真面目に答えず、ジョークで返したり煙に巻いたりすることもあるが、
子どもの「なんで」に対する親の回答は、生まれて初めての「知識」「発見」となることを頭に入れた上で回答する必要がある。
僕の母ちゃんの話
昔は小さくて線の細い母ちゃんだった。
小さな町のミスなんとかに選ばれたって、よく自慢げに話していた。
それが60歳超えてから会うたびに一回りずつ横に大きくなっていって、今ではドテっとした小太りのおばあちゃんである。
振り返れば僕とはよく対立した。
「あんたとは縁を切る。」
高校時代以降、何度も言われた。
社会人になってからもそうだった。たまに電話かかってきてどうでも良いことで口論になる。
それはもう結婚式前日まで喧嘩になった。
結婚式に行かない、もう来るな、本当に来なくていいんか、対立は至るところで勃発した。
子どもができてからは、たまに毒舌もあるが昔の勢いはどこにいったのか?
と思うほどにやさしいおばあちゃんになった。
我が実家では長女は初孫で、それはそれは大喜びだった。毎日のようにLINEのテレビ電話。着せ替え人形かと思うくらいに
「可愛い服を見つけたんだ」
と大量に買って送ってくる。
ようやくやってきた孫に、30年前の自身が子育てをした頃に想いを巡らせていたのだろう。
初節句の贈り物
女の子の初節句のひな人形は、昔からよく母親側のご両親がお祝いするのが一般的とされているが、両家円満に話し合いの上、我が家は初孫(妻側は3人目)ということをご理解頂き僕の実家からお祝いする形になった。
ごっついのだけはやめて欲しいと希望をだして、結局「お内裏様と御姫様」だけのガラスケース入りの雛人形をプレゼントしてもらった。
※参考画像
それから毎年、桃の節句の時期にトランクルームから出してきて数日間飾った。
部屋に飾っている数日間、子どもたちは大喜びで興奮する。再三注意をしてもガラスから雛人形を取り出して遊ぶのだ。
気が付いたら御姫様がリビングに転がっている。
「大事なものなんだから片づけなさい!!」と怒って、片づけて。
その繰り返し。
ガラスケースのオープン扉にセロハンテープを貼って開かないように止めるものの気がついたらそのテープを剥がして人形を取り出す。
人形の頭部を口に入れた手で触ったり、
チョコレートを食べた手で触ったり、
もうひっちゃかめっちゃかである。
片づけるときは、もともと人形に付属していたスモールサイズの「毛ばたき」でママが顔についた汚れをキレイに落とす。
※参考画像
2年前の桃の節句が終わったときのことだったかな。
二人娘が少しずつお話ができるようになった3歳、5歳のときである。
「毛ばたき」で掃除するママの姿をジーっとみて長女も次女も
「なんでそれするの?」
「それって何なの?」
エンドレスに「なんで」が始まる。
このしつこい「なんで」口撃に
ママが
「ゆーちゃん、おーちゃんが、
おばあちゃんからもらった大事なお人形さんの顔を汚したからでしょ!!
汚いものはこうやってキレイキレイするの!!ごめんねしなさい!」
怒り気味に言う。
「ごめんなさーい」
と言って今度は
「わたしもキレイキレイやりたい」
「私がやるの!」「次は私なの!」
が始まる。
毛ばたきの取り合いだ。
ガールズトークのガールズ喧嘩。
そこにママの怒り声。
もういつもの光景である。
年に一度の帰省
僕たちは毎年海の日を絡めて3泊4日で実家に帰る。実家は砂浜海岸が有名なところにあって、ジジババに会わせて墓参りするだけでなく、子どもたちを海に連れて行く目的も兼ねている。
2年前の夏も例外なく帰省して、海行って、ビニールプールに入って、花火して、バーベキュー。いつものお決まりコースを堪能した。
妻もジジババとは適度な距離感をもってわきあいあいとしていた。とは言っても所詮他人の親である。
やはり見えない姑圧力はあるのだ。
姑がたまに小言を言うが、とりあえず短期間の辛抱だ。
「そうですね(ニコッ)」
と妻はうまくやり過ごしていた。
決して関係性は悪くないが、冗談を軽く言えるようなリラックスできる相手ではない。
3日目に朝から動物園に行くことになっていた。前日、遅くまでカラオケ行ってお酒が入って疲れていたのもあったのだろう。
僕ら夫婦は、子ども達よりも遅く目覚めた。子ども達はすでにリビングに行って前日に買っておいた菓子パンを食べてる。
ジジババはすでに動物園へ行く準備が終わっていてダイニングテーブルの椅子に座って子どもたちとお話をしていた。
僕たち夫婦が顔を洗ってリビングに行くと、どうやら化粧も終わって行く準備万全になったばあさんの雰囲気がおかしい。
それは一瞬で察した。
妻に対しての
「おはよう」
が心無い他人行儀。
僕は慣れてる。
無視してさっさと菓子パンを食べ始めた。
確かに一番遅くに起きたが、動物園出発の約束時間まで1時間以上も前。
文句言われる筋合いはない。
僕は何か言われた時を想定して戦闘モードでいた。
「今日、天気よくてよかったですね」
「一日動き回りますけど大丈夫ですか?」
待たせてしまっている現実に後ろめたい気持ちがあったのだろう。
一生懸命、妻がばあさんに話題をふる。
しかし明らかに反応が鈍い。
そんな雰囲気の悪いやりとりが数回あって、やっぱり言わなきゃ気が済まないと思ったのだろう。
ばあさんがズバッと切り込んできた
「子どもって純粋だからあまり陰で人の悪口は言わない方がいいよ。すぐに本人に言ってしまうから。私の悪口は離れているからいいけど、保育園の子の親のことなら大変なことなるよ」
視線は子どもに向けて、言葉は明らかに妻に向けて発している。
ただならぬ空気に緊張が走る。
言っていることは正しい。
そのことは気をつけてきたつもりだ。
しかしこの場面、この雰囲気で言われると誰でも何かあったんだと勘ぐってしまう。
僕らからしてみれば寝ている間に何があったんだって話である。
妻が
「なんのことですか?昨晩のことですか?」尋ねる。
まず真っ先に浮かぶのが昨晩のアルコールが入った席のことだ。何か言ったかな?って。それとも娘が訳のわからないことを言った?
「ゆーちゃん、おばあちゃんに何か言ったの?」
「ううん、なんも言ってないよ」
5歳児に聞いても自分の発言で何を言って良かったのか悪かったのかなんてわかるわけがない。
ばあさんが少し声を震わせながら言った。
「私は顔が汚いから大きなメイクブラシでキレイにしているって、家ではそう言っているのでしょ。」
はぁ?
まだわからない。
すると5歳児のゆーちゃんが言った。
「おばぁちゃんな、汚い顔してるからあの棒で顔をキレイキレイしとってんな。ママが汚い顔の人が使うって言ってたあの棒で。」
あー、、、
僕は化粧に詳しくないが、昔の人だからか、ばあさんが使うメイクブラシは特徴的で大きい。言われてみればあの雛人形の
「毛ばたき」そっくりである。
ゆーちゃんの言葉で妻が悟って吹き出す。
僕も3月の記憶だがうっすら覚えてて笑ってしまう。
※参考画像
以前、それで
「大きいですよね」
「そんなの見たことないですぅ」
と妻とばあさんの二人の間では笑いながら話していた。
ばぁさんからすれば実家ではそうやって楽しく話していたのに、自分の家に帰ってから子ども達には
「あれは汚い顔の人が使うんだよ」
って説明したと思いこんでしまったわけだ。
そりゃあ、気を悪くするわけだ。
当事者の妻も笑っている。
笑いすぎて説明もできない。
どんどんばあさんが不機嫌になる。
まさに笑いたくないのにくすぐられ続けられる状況と似ていた。
これ結局笑いごとでした、チャンチャンってならなくて、娘のカタコトの言葉が話をややこしくしてしまった結果、フォローアップするのにかなりの時間を要した。
「おばぁちゃんな、汚い顔してるからあの棒で顔をキレイキレイしとってんな。ママが汚い顔の人が使うって言ってたあの棒で。」
これ言われたら、説明するのがかなり難しい。ましてや理解力もなくなって、思い込みもはげしい70歳近いばあさんである。
機嫌がなかなか治らず、弁明はいらん、もう動物園は行かないとかなんとか。
結局、1から説明しなおして、客観的なじいさんも巻き込んで、ようやく分かってもらった頃には出発時間を1時間も押してしまってた。
・・・
子どもの「なんで」の質問には覚悟して回答しなければならないなと悟ったので、みなさんも注意してくださいねというお話でした。
「なんで」は、なぜ3歳以降に多いのか
諸説によると、140億個あると言われる人間の脳神経細胞をつなぐ回路が急速に形成され始めるのが3歳頃と言われている。
急成長するこの時期に、たくさんの情報を取り入れ整理し、知的好奇心が活発になるらしい。
だからと言ってこの「なんで」に毎回向き合い続けるのはさすがにキツい。
だからと言って間違ったことも言えない。
「なんで」って言われたら「なんでか考えよう」って言うか?クイズにしようか?
これは何が答えかわからない。
う〜んなんで?
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