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指導者を目指したあの日

どうもまちおさんです。

最近はジメジメしてほんとにきっつい日々が続いてます。

こんな日はプールにでも行きたい気分になる
季節な訳ですが、こんな状況ですから
できるわけもありません😔


早く元通りになって欲しいものです。


さて、そんな中、陸上競技では、
様々な新たな風が吹いてきています。


紹介しようとしたのですが。
多すぎて名前が覚えられません。😇笑
これが令和だ!と言わんばかりの企画が盛沢山で
とても賑やかになってきましたね。


現在の様々なオンライン企画の先駆けになった
山形競歩のオンラインタイムトライアルを初め


福岡アスリートビッグバンプロジェクト

という新たな企画も動き出したり
様々な企画が出ております。笑


ファボプロは私の中学の頃からの
少ない陸上仲間が主催しており
すっげーなーと思いながら
ただただ感心してる限りです。



とてもいい企画になることをとても楽しみにしてます


さて、話は変わりますが

今回は私が指導者を目指した日から


そして、今の私の指導の考え方や感じた事
について書いていこうかなと思います。



学校の先生になろうと思った話ではなく、競歩を教える指導者としてのキッカケになります。


目次
1.きっかけ
2.スタート
3.今を振り返ると
4.最後に

1.きっかけ

まず、競歩という競技を教えれるように
なろうと思ったきっかけは

この時期になりますね。

私は、高校の頃は、ある程度の記録を持っていながら

これは自分の努力のおかげ
絶対いける、負けるわけが無いと



慢心・周りの声を聞かずに突っ走った結果

県大会で失格したことが

きっかけになります。



それだけ死ぬほど競歩のことに没頭していて
記録もどんどん伸びて楽しくて仕方がなかったが故に
これは全て自分の努力と思い込み
周りが見えなくなってしまいました。

自分の意見にそぐわなければ聞きませんでしたし
人から否定されるのにほんとにムカついていました。



失格した時、私は反省するのではなく
帽子を地面に叩きつけ、その場で号泣し
審判員の方々に対して
初めは凄く苛立ちがありました。


悔しくて仕方がなかった。
でも、その当時の顧問の先生に言われた言葉が



「1度立ち止まって良く周りを見てみなさい、お前は1人でここまできてない」



という言葉がつきささったのをよく覚えてます。
自分がほんとに沢山の人に支えられて
ここまで来ていたのに。



こうなるのを避けるチャンスはいくらでもあったのに自分を見失って招いてしまったのかと


取り返しが付かなくなって気付きました。


元々教員を目指すと決めていたのでそこで



九州に競歩専門の強い大学はないけど、

自分で作って続けてようと決心しました。



その決心を決めた日にサブトラックで
今現在大変お世話になっている


JRWJの矢野先生から競歩を続けるの?と聞かれて、続けます!フォームも治して頑張ります!

と伝えた記憶は覚えています。


それが私の指導者として、
選手としてのスタート地点でした。
ほんとにここから沢山の出会いがありました。


今となればここでこの道を選んで良かったと心から思えます。


2.スタート

スタートしたはいいものの、何をしていいか分からず私は初めて、計画を立ててみようと
2つの大きな計画を立てました


1つ目

高校生だけど他人に競歩を教えて
知識と経験を積んでみる


2つ目

大学3年目で結果を出す3年計画



をやってみようと思い、始めました。


思えばこの今まで


行き当たりばったりだった
考え方を変えたいと思い、立てたこの計画が


私の後の活動に大きく生きてきたのを
今は凄く感じています


今回は2つ目の内容は
また別の日にかいていきたいと思います。


1つ目の計画

高校生だけど他人に競歩を教える。


やってみようと思ったものの
これには正直抵抗がありました。

なぜなら、私自身が失格するフォームだからです。
自分が教えて失格したらどうしよう。と不安を抱えながら教えていたのを凄く覚えてます。

ですが、教えるからには
絶対に中途半端な事はしないと決めて
取り組みました。



そして、私は高校生~大学1年生の間に4人程の選手を指導しました


初心者の選手もいれば、
歩型が悪い選手様々な選手を教えてみました。

それが表紙の森くんだったり

右側の相原だったりと縁があり、
教えさせてもらいました。


2人とも自己ベストを

32分台~25分台
23分57~22:34へと

大きく自己ベストを更新してくれて
私の凄くいい経験と手応え


そして、教えるのは奥が深く面白い。

と気づかせてくれた良い経験になりました。



こういった縁もあってか
この画像の1位のむっちゃん
2位の武田とも


大学で共に競技をして
フォームを教えたりする仲間になったというのも
また1つの縁でしょうか。笑



教えて見て感じたこと

それは一人一人歩きの癖があり

良さがあるということ



これが私の気づきでした

歩型が崩れてるのを自分が治してやる

型にはめるというスタンスではなく



「何を改善するべきかを気づかせ、どうすれば良くなるかを考えさせること」


「その子の個性を引き出すための言葉掛け、知識等の助言を行う」

ことが大切なんだなと気づきました


これが今の私の
指導スタンスの核と言えるものになっています。
他にも色々と大切なことはありますが。。


私の考える指導というのは、

選手・指導者の能力を

最大限に力を引き出すための

方法は異なると私はおもってます。

それは競技の練習の組み方なども同じで


「自分らしさを引き出せる

自分にあった方法を

自分で見つける」



ことは何事も大切と気づいたのも
こうして教えた経験があったからだと思います。




ほんっとに今でも鮮明に思えるほど
一人一人が癖が強くて手を焼きましたが。

その経験の1つ1つが私にとっての今は財産です😌



3.今を振り返ると

今となればほんとにこの高校から指導する経験を積んでいたのは良かったと思いました。


最初は大学で2人で始めた共立大競歩も


卒業する頃にはこんなに沢山の仲間が増えて
選手としても、指導する1人としてもとっても貴重な経験ができました😌

ほんとに共立大で競歩を
2人で作ってよかったと今では思います。



そして、今は、またこの経験を生かして
新たな私の指導者としての
終わりのない歩みを突き進んでいます。

初めたとこから、継続的に指導するのは2015年以来
で不安しかありませんでしたが。


昔からの経験の積み重ねが
今のこの子達の笑顔があると私は思っています。
これも私にとっては大きな財産になる
経験をさせて頂いてますので。
精一杯頑張りたいと思います😌




あの時は嫌いだ!と思っていた審判員方とも
今では協力して
福岡競歩を盛り上げるために
様々な活動をしたり


共に審判や指導を行う関係になりました。


高校生の頃の自分に
今のこの状況を見せてやりたいくらいです(笑)
びっくりするだろうなー笑

高校のことはよく今では笑い話になりますね笑



今の私は道のりのゴールではありませんが。

あの時の先生の

お前は1人でここまで来ていない



という言葉は今では良く分かります。

私自身が凄く色んな人の支えられて今があり、


こうして、競歩という競技を教え
やらせて頂いているのですから。


あの言葉、あのきっかけがあったからこそ


時間はかかったけれど
回り道をしながら沢山気づき

今ではこうしてやって良かったと言える自分がいる

今、競技だけに限らず、
何かに迷い、悩んでる方が
もし見てくれているのであれば。


1度立ち止まって良く周りを頼ったり
見てみることで気づくことがあるかもしれません。



きっかけは意外と近くにあるもので
そこからそこへ、根気よく向き合うことが
大切なのかもしれませんね。


4.最後に

これが松尾直哉という1人の一般人が指導者を目指そうとしたきっかけとその経緯です。


ほんとは書くより話す方が大好きなので話しかけてくれたら無限に話し続けます。笑


これからも福岡競歩を盛り上げて行けるよう色んなことができるといいですね😌


これからが凄く楽しみです。


今回は大変ボリューミーになってしまいました🙇‍♂️


喋り出すと止まらないので、
書き出すと止まらないのです。笑


最後まで見ていただいた方は
ほんとにお付き合いありがとうございます🙇‍♂️


これからも精進して参りますので
末永くよろしくお願いします😌


最後にこの記事を拡散して
頂けると凄く嬉しいです。笑

ではではおやすみなさい。



















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