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「セクハラは受け手次第」 この時点で間違っています! それはアウトです。

1、セクハラ問題

 世間では財務省・福田淳一事務次官による女性記者に対するセクハラ問題が騒がれています。


 今回の問題に限らず、セクハラは度々問題になります。


 そこで行為者行為者を擁護する側の人間からは

「セクハラの境界線は受け手側が不快に感じるかどうかだから、明確な線引きがなくて難しい。」

のような意見を聞きます。


 行為者側でも、行為者に対して批判的な側でも、もしもセクハラ問題に関して

「セクハラは受け手側が不快に思うかどうか次第の問題」

との考え方が最初に出てくる場合、それは根本的な考え方が間違っています。


 セクハラの問題はそうではないんです!



2、セクハラは受け手側次第の考えが間違いな理由

 セクハラは受け手側次第と言う考え方にはある大前提が存在します。


 この考え方には、異性に触れたり、異性に対して性的な言動を行うことが有る程度容認されることが前提に存在します。


 そうじゃなければ、そもそも境界線なんて不要なんですから。



 これは犯罪者によく見られる思考です。

「どこからが警察に検挙される、検挙されない境界線か?」

グレーゾーンぎりぎりを見定めようとする見方と同じです。


 セクハラを犯罪と置き変えたら分かり易いと思います。


 普通は、犯罪とか悪いことをしようとしない限り、

「どこからが警察に検挙される、されないの境界線かな?」

なんて考えないですよね?


 それをセクハラと言う言葉に置き換えただけで、大っぴろげに言っているのが

「どこからがセクハラ?」

「受け手が不快に感じるかどうかです。」

の考え方ですよね。



3、セクハラの大前提

 ではそもそもセクハラを考える場合、根本的にはどうなのか?


 それは根本的に、異性に触れない、性的な言動をしないことが大前提です。

 それが普通の社会であり、普通の人です。


 例えば仕事上指導のためにどうしても必要で、異性に触らなければならないとき、仲の良い同僚同士でも、女性から男性に対してでも、腕や手に対してでも、

「ゴメンちょっと触るよ」

と一言言うのが普通です。


 そして

「触ってごめんね」

と最後に謝ります。


 これが普通です。


 この普通の感覚がないから、セクハラを考える場合、最初にいきなり

「受け手次第」

なんて触ること前提の考え方が出てくるのかと思います。


 犯罪だって、犯罪をしないことが大前提にあって生活していますよね。

 犯罪のグレーゾーンを知らなくたって不便なく普通の生活が営めていますよね?

 同じです。


 他人が使っている物無言・無断で勝手に奪って使いませんよね?

 前もって

「ちょっと借りても良い?」

と声を掛けますよね?


 そして使い終わったら

「ありがとう。ここに置いておくよ」

のように言葉を添えますよね。


 異性に触るとか、性的な言動をする行為も、それと同じです。


 物を借りるときに無言で勝手に奪って使ったら批判が出て、

「窃盗と借りるのとの境界線が分からない。生き難い世の中だ。」

「相手が盗まれたと感じるかどうかで決まる!」

なんていきなり考えますか?


「普通は一声掛けてから借りるから。それをしないで何言っているの?境界線も何も関係ないから!非常識な!」

と思いませんか?


 セクハラに関しても同じです。 


 根本的に、全面的にダメな行為なのですから、ハニートラップ云々もお門違いですよね。

「目の前に財布が置かれていたら盗んで良いのか?」

と同じです。


 相手が性的な部分を意図的に強調していたとしても、根本的に触ったり、性的言動をしてはいけないわけですからね。


「そうは言っても仕方ない。我慢できないよ」

と言うなら、普通に犯罪者予備軍なだけですよね。



4、【セクハラは受け手次第】の本意

 先述したような、異性に触らない、性的な言動をしない。

 これが大前提にある中で、軽い気持ちやその場のノリ等でもしも触ってしまった場合。


 つまり、やってはいけないことをしてしまった場合

 そこで初めて、受け手がどう思うかの考え方が出てきます。


 強調しますが、根本的には美形だろうと、仲が良かろうとダメなことですが、その場合に受け手が不快でなければ誰も不幸になっていないので問題にならないだけです。


 要は犯罪も、セクハラも、人権侵害です。

 だから、受け手次第の部分が大きいんです。


 受け手が不快じゃないとか、

「問題ない」

と感じるなら、人権侵害問題に発展しないと言うだけです。


 窃盗罪だって、被害者が被害届を出さなければ罪には問えません。

 つまり、窃盗行為自体は犯罪でやってはいけないことですが、もしもやってしまった場合、窃盗罪も受け手次第と言えます。


 セクハラも同じです。


「受け手次第でセクハラになるし、セクハラにならない」

と言う考え方はこのような位置付けのモノです。


 間違っても最初から出てくるような考え方ではありません。

 いわば例外措置に過ぎません。


 主題として議論されるような部分では決してありません。



5、最後に

「万引きとかイジメと言うと軽い認識になるから窃盗罪・傷害罪等と言おう!」

と同じかもしれませんね。


 セクハラと言うと軽く感じたり、性差別のように捉えがちで、根本的な部分からズレてしまうのかもしれません。


 ここまで読んでいれば分かると思いますが、セクハラは差別でもありませんからね。

 差別は、他者と比べての取り扱いの違いですから、他者には容認されている部分が存在しないと差別になりません。


 セクハラは違いますよね。

 誰も一切容認なんてされておらず、全面的にやってはいけない行為なんですから。


 先述の通り

「相手次第」

の部分は容認ではないわけですからね。


 根本的な部分を勘違いしないで、セクハラ問題について考えて見ると見え方が変わってくるかもしれません。



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