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戦わずして負けない/to dance2

目に映るもの全てが灰がかかったように、白くぼんやりと観える日もあれば、目に映るもの全てが少し水に濡れ、太陽の光を浴びた時のように光っているようにまで観える日もある。

今年もコロナ禍の中時間だけが進み、同じ地形の上にあるのに、海を隔てただけの言葉も文化も違う国では戦争が起こっている。

明日は我が身だと訴えるSNSも、評論家の御託を並べたようなテレビショーも、持てる知識を皆んなに共有し、今起きている事を真摯に受け止めるには十分すぎるほどの情報量だ。
なのに、全てどこか他人事のように思える。
ニュースや情報から学べることは唯一、事実というよりも考える力なのかもしれない。
事実なんてものは、当事者でさえも曖昧になる。
知識や経歴が、信憑性を増すのならば全て起きなくて良い事柄にすぎない。

受け止めようとすればするほどに、心は楽しさを求める。

これは、私が無知だからなのだろうか。

実際に渦中にいる人達と違うことは分かる。

分からないことが多すぎて、ひたすらに怖い

それでも今目の前にある生活も、人たちも無視できないのだ。いつもと同じ時間を繰り返す中で、見えてしまう綻びに苛立ち、文句を吐く事も屢々で、、、小さな氣付きや春の芽吹きに心を弾ませる毎日。

これは、戦争が起きていないからなのか、起きても同じなのか考えたところで答えは出る訳もなく、時間は進む。

時間は有限だ。

考えたところで埒が開かない。

動こう。

論より証拠と言ったものだ。

踊っている時は全てから解放された気持ちになる。空間が歪む感覚と言うのか、世界の矛盾も霞んだ色からはっきりと色味が見えてくる。 
逃げているのか、違う。逃げたっていいじゃないか。
立ち向かうだけが正義でもなければ、逃げるが悪でもない。

ならば楽しい!に私は素直に生きる。

そうだ、私は踊らされているのかもしれない。

自ら踊りたいのと踊らされていることが同時進行ならば、迷わず踊る。

自らの意志と、自分の足で踊る。

明るい方へ足を進めよう!

P.S

聞いていた30歳とは到底かけ離れている。

全然動ける。むしろ動ける。

年齢ってただの数字。目安だな。

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