映画 『FLEE』

観てきました。
きっかけはアカデミー賞。
産後初めての映画館、久しぶりです。
客入りは公開をむかえてから初めての水曜日、すなわちサービスデーということもあり(レディースデーではなくなったのっていつごろですか)、まぁまあな感じ。
で、感想。
は、何から書けばいいのかな、もう断片的に書いて行ったほうが、どうせ説明下手だし、その方がいいんだろうな、ということで。
まず、見ながら、起こった年代を見てると、あれ、もしかしてアミンは同世代なのか?そういうことやんな、、、ということで、終わってからパンフレット買って読んでみたら、監督とアミンが出会ったのが15歳、今から25年前とあったので、まさに。
そうなってくると、もう、彼がデンマークに辿り着き里親の家で暮らす15になるまでのあまりに過酷な人生、そして、呪いのようにつきまとう難民という立場の危うさ。
ロシアという国の特性は今も変わってないのだな、と、近頃の政治情勢とリンクしながら思い、中東という国を長い間誤解していたけれど、そうか、彼が幼い頃は女性が皆スカーフやベールをかぶっていたわけではなかったんだ、ということを映像で知る。
アニメーションが主だが、時折、その時代時代の映像が流れる。
そこには普通の生活があったことが窺える。
それもまた陰鬱な気持ちにさせられる。
その生活を奪ったのは、世界の利権者であって、彼ら自身はそんなことカケラも望んでもいないのに。
故郷を追われ、難民としてほっぽり出される。
この国でも、難民に対して手酷い扱いがニュースになったりする。
その問題は根深いようで、勉強不足もあり、ただただ深いため息が出る。
もし、日本から追い出される時があれば、自分は、チャコは、どこを目指せばいいのだろうか。とも。
そのためにも、海外の人と繋がりを持っておくのは大切なことなんだろうな。
そして、アミンがゲイであること、それに対する苦悩も取り上げられている。
彼が、相談員に「薬が欲しい。この性癖を治す薬が」と訴えるシーンがある。半信半疑で見ていたが、その後にたまたまSNSで見た誰かの投稿で、「男を好きになるのは今だけで、治ると思っていた」という文面があった。そうか。同性が好きというのが容認されているという言えない社会では、自分が病気か異常のように捉えてしまい苦しむんだな、ってことが、なんか実感できた。
前までも、男しか好きになれない自分に長く苦しんだ、っていうつぶやきをしている人もいたんだけれど、その時は、そっか、とスルーしてしまっていた。どこかその人だけのもの、と思っていた。けれど、それが共通の苦しみであることを知ることができた、というかな。
だからこそ、社会がもっと容認し、おかしいことじゃない、というスタンスに持っていくことが大事なんだな、って気付くことができた瞬間でもある。
そして、もう一つ、彼とパートナーとの関係。
彼が、トラウマのせいでパートナーとしっかり向き合えずに、結婚に少し及び腰になってしまっている面と、彼が自分は家族のためにもっと頑張らなくてはいけないと強迫観念染みたものを持ってしまっている面。
それが、この映画を撮ることによって、心の重荷を吐露し、そのことによる気づきもあり、映画の終わりには結婚まで至ったことが報告される。
心底、おめでとう、よかったね、って思った。
そして家族の物語でもあるな、ってのも思った。
新しい家族を得るとき、現家族を現状維持したまま、ってのは無理で。
やはり、新しく築いていく相手と向き合わなきゃならない。
それが現家族を捨てることになるんじゃないか。
実際はそうではなく、形を変えていくだけなんだけれど。
アミンはできたんだろうな、と。
それを待っていたパートナーさんも。
タイミングの問題もあるけれど、ほんとよかった。
そして、アミンのお父さん以外、みんな無事だったのは、守られてたんじゃないかな、って思う。神でもなく、家族という祖先に。
アミンがお兄さんに打ち明けるシーンもすごく印象的だったな。
あのシーンで、あぁすごく良い家族だな、って思った。
アミンが結局帰る場所に選んだのはパートナーさんと築く場所だった。
土地も確かに故郷ではあるのだけれど、それに固執し過ぎると呪縛となるのかな。
けれど故郷を失う、訪れることも叶わなくなる、というのは、自分のルーツが欠けてしまうことであり、とても辛い。
だからこそ、せめて、難民となった人たちが安寧の地を得られるよう、世界は努力するべきなんだろうなとも思う。その国での争いが一刻も早く終わらせられるように。

今が今だから、本当に色々考えさせられた。
個人と世界と時代が交差する。
とても良い映画でした。

てか、もう、ブルーレイ出てるんや!

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