高橋史郎さん指摘の最高裁生殖要件違憲判決の問題点と最高裁生殖要件違憲判決についてGID特例法守る会さんや女性スペースを守る会さんの声明.私のドイツ連邦裁判所判例から生物学的性別としてのインターセックスの方に第三の性別の性別Xの戸籍や旅券の創設必要の話

高橋史郎さん指摘の最高裁生殖要件違憲判決の問題点と最高裁生殖要件違憲判決についてGID特例法守る会さんや女性スペースを守る会さんの声明.私のドイツ連邦裁判所判例から生物学的性別としてのインターセックスの方に第三の性別の性別Xの戸籍や旅券の創設必要の話



性同一性障害をめぐり戸籍上の性別を変更する場合、生殖能力をなくす手術を必要とする法律の規定について、最高裁大法廷は「違憲」との初判断を示した。最高裁の小法廷は4年前、この規定を「合憲」としており、性別変更要件を緩和する大転換である。
 大法廷は、国民の意識の変化などを理由に挙げたが、わずか4年で国民の意識が変化したという根拠は一体何か?多数意見は「手術を受けずに性別変更審判者が子をもうけることにより親子関係等に関わる問題が生ずることは、極めてまれ」としているが、混乱は限定的だから問題がないとは言えない。

●今後の課題 

 最高裁はもう一つの論点であった、性別変更後の性別の性器に似た外観を備える要件については高裁に審理を差し戻した。性別変更の条件を緩和した結果、社会が混乱するような事態は避けねばならない。
 今後の家事審判や法改正など影響は甚大で、社会不安や混乱が生じないように、国は新たな法制度について、慎重に議論を尽くす必要がある。最高裁決定を受け、国会は特例法などの見直しを迫られる。医師による性同一性障害の診断を厳格にするほか、性別変更を認める際の新たな要件を設けるといった法整備が求められる。
 海外では元女性の男性が、人工授精によって子供をもうけ、出生登録を行った際、「父」との記載を拒否されたケースもある。こうした海外の現状や制度を十分に調査した上で、新たな仕組みやルール作りに向けて審議を尽くす必要がある。
 その際に、自らも性転換手術を受けて性別を男性から女性に変更した「性同一性障害特例法を守る会」などの反対意見にも耳を傾ける必要がある。同会は、1万人以上が手術を受け、手術要件が社会制度に定着しているにもかかわらず、手術を受けないで男性の姿のままで女性であるということが通じるのはよくないと主張している。
 同会は、「女性専用スペースに男性器のある女性が入ることが可能になったり、出産する男性が出てきたりして社会が混乱する」と訴えてきた。LGBT理解増進法が成立し、女性と自称する男性が女性専用スペースに入ることを正当化しかねないとの不安は払拭されていない。
 女性らの権利を守る団体など7団体は、手術要件を外せば、「社会的にも法的にも大変な秩序の混乱が起きる」として、合憲判断を求める要請書を提出していた。こうした声にも耳を傾ける必要がある。

●性別は自分で決められない一共通性と多様性の統合

 勿論、性同一性障害者の人権は尊重しなければならないが、個人が「性自認」に基づき、自らの性別を自己決定できるようになれば、社会秩序が揺らぎ、「性別は自分で決められる」という誤った認識や子供の「性的自己決定権」を強調する行き過ぎた過激な性教育の広がりに拍車をかけることは火を見るよりも明らかである。性別は先天的なものであって、自分で決められるものではない。
 読売新聞社説(10月26日付)が明記しているように、「性別は人格の基礎であり、現行法では一般に、生物学的な特徴によって客観的に決められる」。ところが、近年「性の多様性」や「性はグラデーション」という標語が教科書で強調され、教育委員会が作成した資料や教師用資料にも明記されるようになった。
 性別自体は男女のみであるという厳然たる事実(縦軸の“共通性”)と、「ジェンダー平等」という横軸の“多様性”を混同してはならない。「性は多様で、グラデーション」という科学的根拠はない。
 自然や人間には多様性があり、多様性を尊重しつつ、生物学的性差に関する科学的研究によって解明された性別は男女のみであるという生命の共通性との統合が求められる。横軸の多様な世界において、一つの価値観を認めると、自動的に他の価値観を排除せざるを得なくなるが、縦軸の共通性の視点も加えると、光吉俊二氏が発明した重ね算、動算の如く、包摂・統合する新たな視野が広がる。
 円柱は横から見ると長方形に見えるが、上から見ると円に見えて、対立する。しかし、斜め上から縦軸と横軸を統合する視点から見れば、円柱の実相が見える。

●脳科学・生殖科学・生命科学・行動生態学の科学的知見

 科学的に男女(オスとメス)に生物学的性差があることは明らかである。かつて、学会で対談した『脳の性差』『脳の性分化』の著者である順天堂大学の新井康充教授は、脳科学の視点から「脳の性差は、胎児期におけるアンドロゲンという男性ホルモンの影響の有無によって生じ、左半球と右半球を繋いでいる脳梁と前交連という脳の構造面の違いが『男の脳』と『女の脳』の性差を決定づけており、生物学的には『ジェンダー・フリー』というのは噴飯物だ」と断言した。
 性別の生物学的根拠については、日本政策研究センターの小坂実研究部長が『明日への選択』10月号で「『性はグラデーション』という詭弁」と題する論文で詳述しているように、以下の①生殖科学、②生命科学、➂行動生態学の専門家の科学的知見を踏まえる必要がある。

① 束村博子名古屋大学教授「動物のオスとメスにさまざまな点で差異があると同様に、ヒトにも生物学的性差があることは明らかである」(『ジェンダーを科学する』)
② 中村桂子(早稲田大学教授・大阪大学大学院教授を経て、JT生命館名誉館長)「単なる多様化ではなく、そこで生じる個体が、それまでにないまったく新しい組み合わせのゲノム(DNAのすべてに遺伝情報)をもつということ」(『生命誌とは何か』)
③ 長谷川真理子総合研究大学院大学学長「雄と雌のこの基本的な違いから出発して、雄が適応度を高める戦略と、雌が適応度を高める戦略とは、生活のあらゆる面において異なるものとなる」「(男女の性差は)社会や文化が強制しているだけの表面的なもの」ではなく、「生命という存在そのものに根ざした本質的で深いもの」であり、「性は、38億年の生命の歴史を背負っている」

●最高裁裁判官は国会同意人事にせよ

 また、櫻井よしこ氏は産経新聞(10月26日付)で次のようにコメントしているが、全く同感である。

<15人の最高裁裁判官が幾百世代もつながってきた日本の価値観や社会の根幹を変えようとしている。たった15人の判断でこんなに大事なことを変えていいのだろうか。
 日本では最高裁の裁判官について一人一人のキャリヤや考え方など詳細な情報はほとんど知られていない。指名・任命権は内閣にあるが、弁護士会枠や外務省枠などがあるのが実態だ。法津は日本国民の望む方向に社会をつくっていくためのものだ。なぜこんなに多くの国民が不安を感じ、多くの女性が信頼できないと思っているような方向に社会を変えていくのか、理解できない。最高裁の裁判官は国会同意人事にすべきだ。>

最高裁性別変更決定に異議あり!

髙橋史朗

2023年10月26日

性同一性障害の診断の厳格化・人工授精つまり精子・卵子の移植等は人権侵害ですしAIDSの問題の原因になってますから人工授精使用者と性犯罪者の戸籍の性別変更は認めない又は取り消しの方向性には同意ですが、生物学的男性と生物学的女性だけでなく生物学的に男女どちらでもないインターセックス両性具有として生まれる人も本当にいるんだって、だから第三の性別としてインターセックス両性具有の人向けの戸籍の性別X創設と旅券の性別X日本も創設して下さいってところはあります。


第三の性に関する質問主意書

 十一月八日、ドイツ連邦の憲法裁判所は、生まれつきの性別に違和感を持つ原告が役所に登録されている性別を男性でも女性でもない「第三の性」に変更するように認めるようにもとめた訴訟で、二〇一八年末までに法改正を行うことを国に命じた。ドイツ政府は、憲法裁判所の決定を受け、法改正に前向きな姿勢を示していると承知している。このような第三の性については、オーストラリアやインドの裁判所で、これを公的に認める判断を示している。
 第三の性については、専門家の間でも認識や意見が必ずしも一致せず、学術的にはインターセックスと呼称されている。他方、新生児の二千人に一人の割合で、身体的特徴から完全に男児であるとも女児であるとも判別しづらい身体をもった子どもが生まれると指摘されている。広義な定義としては、「典型的な男性の体、あるいは典型的な女性の体に当てはまらない体を持つ人々」とされているに過ぎない。一九五〇年代以降、医学では「できるだけ早い時点でノーマルな男性もしくは女性に見えるように外科手術をほどこして、本人にはできるだけ事実を教えないのがその子のためである」と考えられてきたが、海外における裁判所の判断に見られるように、第三の性そのものを法的に認め、政府が第三の性である人々が社会生活を営みやすいような措置を取るべきであるという認識が高まっている。
 このような第三の性についての政府の取り組みを確認したいので、以下質問する。


一 現行の法制度において、第三の性を配慮したものは存在しているのか。政府の見解を示されたい。
二 わが国において、第三の性に該当する者はどの程度であると考えているのか。政府の把握しているところを示されたい。
三 戸籍法第十三条では、「戸籍には、本籍の外、戸籍内の各人について、左の事項を記載しなければならない。一 氏名 二 出生の年月日 三 戸籍に入つた原因及び年月日 四 実父母の氏名及び実父母との続柄 五 養子であるときは、養親の氏名及び養親との続柄 六 夫婦については、夫又は妻である旨 七 他の戸籍から入つた者については、その戸籍の表示 八 その他法務省令で定める事項」と規定されているが、性別の明示がない。現行の戸籍法の規定では第三の性に対応することは可能であると考えてよいか。
四 三に関連して、戸籍法第十三条の規定する「記載しなければならない」「事項」において、「四 実父母の氏名及び実父母との続柄」に具体的に、長男あるいは長女などと記載されることで、事実上性別が明示されると思料する。この当該事項に関して、例えば性別を排した長子、二子と記載することは可能か。政府の見解を示されたい。
五 第三の性を認めることは、社会や医学の問題にとどまらず、人権問題に他ならないという見解があるが、これに対する政府の見解を示されたい。
六 ドイツの憲法裁判所の判断や海外における裁判所の判断を受け、政府は第三の性の存在を現行の法制度に整合させるための検討をはじめるべきではないか。見解を示されたい。


 右質問する。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a195039.htm
平成二十九年十一月十四日提出
質問第三九号
第三の性に関する質問主意書

提出者  逢坂誠二



衆議院議員逢坂誠二君提出第三の性に関する質問に対する答弁書

一から三まで、五及び六について


 お尋ねの「第三の性」の意味するところが明らかではないため、お答えすることは困難である。


四について


 戸籍は、民法(明治二十九年法律第八十九号)上の親族的身分関係を正確かつ明確に登録し、公証することを目的とする制度であるところ、同法は、男女の性別があることを前提としていることから、戸籍において、戸籍法(昭和二十二年法律第二百二十四号)第十三条第四号及び第五号に規定する「続柄」として、男か女かを区別することができるようにしておく必要がある。

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a195039.htm
衆議院議員逢坂誠二君提出第三の性に関する質問に対する答弁書



https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_s.nsf/html/shitsumon/pdfS/a195039.pdf/$File/a195039.pdf

https://drive.google.com/file/d/1J6_7cMps2txp7_4ixyu_9G8K5chM5bIz/view?usp=sharing

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b195039.pdf/$File/b195039.pdf


https://core.ac.uk/download/pdf/230837737.pdf


(5) 提案
(a) 総論
省庁間作業グループ「インターセクシュアル及びトランスセクシュア
ル」の資料として連邦家族・高齢者・女性・青少年省は、ドイツ人権研究
所の意見を次のようにまとめている
(96)

ドイツ人権研究所は、連邦参議院およびドイツ倫理委員会によって提案
された「女性」と「男性」と空欄と並んで「その他の (weiteren)」性別
分類の導入が必要とみている。これは憲法の観点から必要である。そのこ
とからも、管轄官庁での宣言による自己決定での性別登録が可能でなけれ
ばならないとする。身分登録法 22 条における性別欄の空欄では、法的に
女性または男性の性別分類に相応しない人を承認できていない。
出生後の性別登録は任意に全ての子についてまずは空欄または延期する
という統一的な規定を推奨する。後での変更は、ドイツ人権研究所の提案
によると、身分登録所で子ども自らの (場合によっては親による代理で
の) 宣言によってできる。14 歳以上の子どもは、指定または変更の宣言
を自ら行うことができるものとする。
公の議論について、子どもの性別登録の延期または性別登録の完全な放
棄は、社会生活における性別の廃止とは全く意味が違う。女性または男性
の役割は、身分登録法の規定とは関係なくその生活を特徴付ける。比喩と
して、民族、信仰する宗教は身分登録簿によって把握される必要はないが、
社会的カテゴリーとして影響力を有することを指摘する。
(95) Althoff, a. a. O., S. 50.
(96) Bundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und Jugend, ,,Forschungsergebnisse
und Erkenntnisse des Bundesministeriums für Familie, Senioren, Frauen und Jugend aus
der Begleitarbeit zu der Interministeriellen Arbeitsgruppe “Inter- und Transsexualität“
(IMAG)“, S. 17f. [online] Bundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und Jugend
2017 [retrieved on 2018-01-30]. Retrieved from the Internet : < URL : https : //www.
bmfsfj.de/blob/120644/43bb314f1e59312be4572a3a87c6d855/neuer-inhalt--1--data.pdf
123(123)
第 3 の性別は必要か
(b) 条文案
さらに、ドイツ人権研究所の報告書では、法律案も提案している。それ
によると、身分登録法 22 条 3 項を削除する一方で
(97)
、性別多様性の承認及
び 保 護 の た め の 法 律 (Gesetz zur Anerkennung und zum Schutz der
Geschlechtervielfalt (Geschlechtervielfaltsgesetz ― GVielfG) ) の提案で
は、2 条に次のように定める
(98)

2 条 性別についての身分登録
(1) 基本法第 116 条 1 項の意味におけるドイツ国籍を有する者は、第 5 条
により管轄を有する官庁に対する宣言により出生登録簿における出生登録
を定める権利を有する。宣言は、公的に認証しなければならず、出生登録
簿に記載する。宣言がされないときは、性別登録は「無記載」のままとす
る。
(2) 性別登録の定めの宣言において、性別を「女性」「男性」「その他の性
別選択」又は「無記載」として登録するのかを示す。「その他の性別選択」
の登録は、最長 30 文字までの自己の記載によって補うことができる。
(3) 14 歳に達しているが、制限行為能力である子は、自らでのみ宣言す
ることができる。行為無能力である、又は 14 歳に達していない子は、そ
の法定代理人の同意を得なければならない。第 1 項及び第 2 項の規定を準
用する。法定代理人が同意を与えないときは、家庭裁判所は、これを代わ
りに行う。手続補佐人の選任は、これにつき常に必要である。
(4) 第 1 項から第 3 項までの規定は、内国に常居所を有し、かつ、民法施
行法第 10 条 a の可能性を行使した、又は民法施行法第 10 条 a 第 3 項に従
い同じく定められ、ドイツ国籍を有しない者に準用する。その他において、
本国の実質法を適用する。
(97) Althoff, a. a. O., S. 72.
(98) Althoff, a. a. O., S. 69.
124 (124)
3 連邦家族・高齢者・女性・青少年省
省庁間作業グループ「インターセクシュアル及びトランスセクシュア
ル」から調査結果をさらに要約した最終報告書を、連邦家族・高齢者・女
性・青少年省は、連邦議会第 18 会期の終了にあたり 2017 年 9 月 21 日に
公表した。この報告書では、インターセクシュアルの当事者の性別登録に
ついて、次のような結論を述べている
(99)

身分登録法 22 条 3 項により性別欄を空欄にできるが、「性別登録を空欄
にすることは、性別の積極的承認ではなく、男性または女性に誤って属す
ることを妨げているにすぎない。したがって、インターセクシュアルの人
は、身体とアイデンティティーの観点において自らの性別を同権的に承認
されることを禁じられている。」
委託したドイツ人権研究所によると、その他の性別分類の導入が憲法的
観点から必要である。
「それゆえ、男性と女性としての二元的性別体系において自らを分類し
ない (できない) 人のために、身分登録法において従来の女性と男性の分
類と性別登録空欄とともにその他の性別分類を加えるべきであろう。」
このように、連邦家族・高齢者・女性・青少年省は、ドイツ人権研究所
の提案のうち、14 歳まで一律に性別の記載をしないという考えを採用し
ていない。むしろ、ドイツ倫理委員会の提案に近いと評価できる。
(99) Bundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und Jugend, “Schutz und Akzeptanz
von geschlechtlicher Vielfalt ― Schlussfolgerungen des Bundesministeriums für Familie,
Senioren, Frauen und Jugend aus der Arbeit der Interministeriellen Arbeitsgruppe Trans
― und Intersexualität”, [online] Bundesministerium für Familie, Senioren, Frauen und
Jugend 2017 [retrieved on 2018-01-30]. Retrieved from the Internet : < URL : https :
//www. bmfsfj. de/blob/119686/619f9892b9f7d198c205dbdc82bcad56/positionspapier-schu
tz-anerkennung-inter-trans-data.pdf >
125(125)
第 3 の性別は必要か
おわりに
1 第 3 の性別の記載
連邦憲法裁判所決定が示したように、性別の記載を廃止するか、第 3 の
性別を設けるのかを考えなければならない。しかし、日本の戸籍では、性
別を男・女と記載する性別欄はなく、続柄で長男や長女と表すことで性別
が示される点で、ドイツの身分登録とは異なる。
性別の記載を廃止することとは、長男・長女という表現から、例えば第
一子、第二子に変更することでも可能である。出生届について、戸籍法
49 条 2 項 1 号の「子の男女の別」という文言を削除するという扱いにな
る。さらに、健康保険証
(100)
などで、「戸籍上の性別」とする場合に、どのよ
うに表記するかが問題となる。
性別に関わる記載を戸籍から削除することは、すべての人々に影響を与
えるため、慎重に対処すべきであろう。ただ、性別未確定であっても強制
的なカミングアウトに違いはなく、インターセクシュアルの人権の保護に
は性別を記載をしないという方法しかないという指摘は留意する必要があ
る。
戸籍に性別に関する記載を残す場合でも、性別未確定の場合に空欄とす
るのではなく、性別に関して「性別未確定」という法的地位を認め、追完
に時間的制限を設けないとする、家永説
(101)
に賛成する。単なる空欄では、男
女のどちらかに早く決めなければならないという圧力から親が逃れること
ができず、子どもに不必要な外科手術が行われる危険が残るからである。
次に、第 3 の性別の記載を認めるかである。第 3 の性別の記載は空欄と
対立するのではなく、併存することができる。性別が未定であることと、
(100) 健康保険証では、性別違和であるなどやむを得ない事由がある場合には、表面には通
称とともに性別を「裏面参照」として、裏面に戸籍上の性別を記載する扱いが認められて
いる。「国民健康保険被保険者証の性別表記について (回答)」(平成 24 年 9 月 21 日付け
保国発 0921 第 1 号厚生労働省国民健康保険課長通知)
(101) 家永・前掲 49 頁。
126 (126)
第 3 の性別であることは同義ではない。自らのアイデンティティーを示す
ために、戸籍に男性でも女性でもない性別であることを積極的に記載する
ことを求める者もいれば、それを望まない者もある。第 3 の性別は、イン
ターセクシュアルすべてではなく、その一部の人を対象としている。
第 3 の性別の記載を認めることで空欄を認めないとなれば、インターセ
クシュアルとして性別が確定された者は自動的に第 3 の性別となり、強制
的にカミングアウトさせられることとなる。これは、空欄により性別が未
確定であることよりも社会で強い印象を与え、性別記載を望まない人に
とっては耐えがたいものとなる。
これに対して、男性または女性であるというアイデンティティーを有す
る者にとって、第 3 の性別ができることで何の変化も生じず、そのアイデ
ンティティーの否定とはならない。
第 3 の性別を認める場合に考えなければならないのは、表記方法と他の
法律への影響である。
出生届では、性別のみを記載するから「その他」あるいは「間性」とい
う表現でもよい。しかし、続柄として記載される戸籍では、別の表現が必
要となる。例えば「長子」「次子」と表記することが考えられる。こうな
ると、先に述べた性別を記載しない場合の表記と同様になり、長男、長女
という表記をやめて長子に統一しても違和感がなく、日本語の語感により
合ったものとなる。むしろ、長子という語をインターセクシュアルに限定
することへの抵抗感の方が強いであろう。
このように考えると、ドイツ人権研究所が提案するように子どもの間は
性別表記をしないという方法は、まずは長子と記載し、一定の年齢に達す
ると自らで性別を選択して、男は長男に、女は長女に変更するという扱い
で取り入れることができる。
国民の大多数が続柄の変更を行うのは煩雑であり採用できないとするな
らば、長男・長女の表記をやめたうえで、続柄欄とは別に戸籍に性別欄を
設けることになる。その場合には、「その他」または「間性」という記載
を出生届と同じように行う。これは、ドイツ倫理委員会や連邦家族・高齢
127(127)
第 3 の性別は必要か
者・女性・青少年省の提案に近いものとなる。
次に、第 3 の性別を認めることで、家族法をはじめとする他の法律への
影響は避けられない。憲法 24 条 1 項、民法 2 条の「両性」という文言は、
明らかに男女 2 つの性別を前提としている。ここでは、第 3 の性別を含め
た全ての性別という意味で解釈することで対応できる。憲法 24 条 1 項で
は、男性または女性が第 3 の性別の者と婚姻できることとなるが、それを
否定する理由はないと考える。むしろ、同性婚を認めることで、区別がな
いようにするべきである。その意味では、家族法改正研究会が日本家族
〈社会と法〉学会で提案した、「異性又は同性の二人の者は、婚姻をするこ
とができる」という規定
(102)
は、異性を“opposite sex”ではなく、“another
sex”と日本語の文字通りに理解することで、第 3 の性別に対処できると
考える
(103)

親子法において、父母の定義に影響を与えるのでもない。母は、分娩者
であり、出産可能であれば女性である必要はない。父もその精子により子
が懐胎した者に限らず、生殖補助医療では非配偶者間人工授精に同意した
者を父とすればよく、男性に限られない。縁組について、民法では「養
親」とするが、「養父」「養母」の用語は用いていないため性別を考える必
要はない。親権者も同様である。
その他の法律においては、それぞれ第 3 の性別を加えることでどのよう
な問題が生じるかを個別に検討する必要がある。一般的には、男女の区別
が弱者である女性を保護するためであるならば、第 3 の性別は弱者として
女性と同じに扱うことになる。
2 性別の自己決定
第 3 の性別を記載するという考えは、性別の考え方が新たな局面を迎え
(102) 南方暁「婚姻法グループの改正提案 ―― 婚姻の成立 ――」家族〈社会と法〉33 号
(2017) 96 頁、98 頁。
(103) 家族〈社会と法〉33 号 (2017) 201 頁において、「インターセックスなどは、今回視野
に入れていませんでした」と発言したが、この提案で対応できると考えている。
128 (128)
ていることを意味する。従来、性別は身体的、生物学的に定まるもの、先
天的なものであり、自らが選択するのではなく、いわば与えられるもので
あった。性別違和を理由とする性別変更は、自らで申し立てるものである
が、日本では厳格な要件が付されている。だが、アルゼンチン、デンマー
ク、マルタ、アイルランド、ノルウェーでは、性別変更について医師の診
断書を不要とし、ジェンダー・アイデンティティーの自己申告 (self-dec-
laration) としての性別変更手続となっている。
さらに、前記の提案では、インターセクシュアルの当事者は、「未確定」
とするか、第 3 の性別の表記かを自ら選択することができる。ドイツ連邦
憲法裁判所の事案はターナー症候群であり、外性器からは女性であって未
確定とはならないが、第 3 の性別または空欄を認めている。
性別の「変更」と、未確定か第 3 の性別かを決定する性別記載の「選
択」の間は、アイデンティティーとして性別という点で大きな違いはない
(104)

本稿では、ドイツ連邦憲法裁判所決定の紹介の他、政府からの委託研究
に限って紹介した。この他に判例の事案に関して学説では多くの論考が出
されているにもかかわらず扱うことができなかった。また、本稿でとりあ
げた研究報告書の内容も十分に紹介できてはいない。いわば、結論のみを
つまみ食いしたようなものである。今後、ドイツでの立法の進行を注視し
つつ、これまでの学説の蓄積についても言及することができればと考えて
いる。
(京都産業大学特定課題研究 E1711)
(104) ドイツでは、連邦憲法裁判所 2017 年 10 月 17 日決定 (NJW 2018, 222) では、2 人の
専門医による診断書の提出を要件とするトランスセクシュアル法 4 条 3 項の合憲性を争う
事案で、上告不受理とした。第 3 の性別でも専門医の診断を求めるのかは、現時点では明
らかではない。
12

https://core.ac.uk/download/pdf/230837737.pdf
第 3 の性別は必要か
―― ドイツ連邦憲法裁判所 2017 年 10 月 10 日決定から ――
渡 邉 泰 彦



(Ⅰ 身分登録法改正概説)はこの点を以下のように整理する(以下,便
宜上,段落を○数字で表示する。)。
“①身分登録法第21条第 ₁ 項第 ₃ 号によると,人の性は出生時に登
録されなければならない。新しい表現形式の身分登録法第22条第 ₃ 項
によれば,新生児の性として,「男性」または「女性」に加え,「多様
性」を登録することもできるし,性別欄は空欄のままでもよいとされ
ている。後者の ₂ つの登録方法(「多様性」,空欄)を利用するために
は,子が男性にも女性にも区分され得ないときという要件が充たされ
ていなければならない。また,新しい身分登録法第45b 条は,「性の
発育における変異」を示している者に,登録後の性の変更を認めてい
る。性の事後的変更には,身分登録事務所でその旨の意思表示を行う
ほか,「性の発育における変異」を確認する旨の医師の証明書が必要
となる(身分登録法第45b 条第 ₁ 項ないし第 ₃ 項)。 ドイツ国籍を有
する者だけでなく,無国籍者,ドイツに住所を有する難民,その他,
ドイツに適法に滞在しかつドイツ法に相当する規定が本国法に知られ
ていない外国人も,その性を事後に変更できる。性を変更する旨の意
思は,身分登録簿における名の変更と同時に表示されることもある。
②新しい身分登録法第22条第 ₃ 項は, ₂ つの動きが合体した結果と
みることができる。まず,ドイツでは既に2013年の段階で,旧来の男
女という性別二元主義が改められていた。2013年に改正された身分登
録法第22条第 ₃ 項は,生物学的な意味での性を「男性」とも「女性」
とも明確に判定し得ない場合,性別欄を空欄とする方法を初めて規定
した。空欄とする取扱いは,基本的に性別二元主義に疑問を呈したも
のではなく,あくまでも暫定的な解決策を提供するものに過ぎない。
というのは,当事者,特に間性の子を持つ親には,子の性を「男性」
または「女性」と決めるための時間が,また性を決めた後でも出生登
録簿に登録するまでの時間ができるだけ多く確保されるべきだと考え
られていたからである。第22条第 ₃ 項の主な立法目的は,親が任意に
ドイツ法における「第三の性」について(2)
3
選択した性への「適合」手術を新生児に受けさせないようにすること
にあった。しかし,性別二元主義に基づく性以外の何か新しい性を登
録することまでは認められていなかった。
③その後,2017年秋,連邦憲法裁判所は,既存の性別二元主義に基
づく法制度を違憲とする趣旨の決定を下した。連邦憲法裁判所は,性
を「男性」または「女性」のいずれかに登録する義務(身分登録法第
21条第 ₁ 項第 ₃ 号)も性別欄を空欄とする義務(身分登録法第22条第
₃ 項)も,当事者の憲法上の権利,特に性自認(性同一性)の尊重を
求める権利(基本法第 ₂ 条第 ₁ 項と関連する第 ₁ 条第 ₁ 項)を侵害す
る旨,確認した。また,連邦憲法裁判所は,当該事案で性差別があっ
たことも確認した(基本法第 ₃ 条第 ₃ 項)。こうして,ドイツの立法
者は,2018年末までに第三の性を選択肢として導入するか,人の性を
登録する法的義務を完全に廃止するかのいずれかを選択する義務を課
された。前述の新しい第22条第 ₃ 項は,連邦憲法裁判所決定の結果で
あり,この規定は2019年 ₁ 月 ₁ 日に施行された。”108)
2 連邦憲法裁判所決定を受けて,出生登録簿における記載の変更のた
めの法律109)
が制定された。同法第 ₁ 条(身分登録法の変更)は,以下の
ように規定する。
“2007年 ₂ 月19日の身分登録法(BGBl. 2007, I S. 122)で,2018年12
月17日の法律(BGBl. I S. 2573)第 ₃ 条により最後に変更されたもの
は,次のように変更される。
₁ 条文目次の第45a 条の後に,次の記載が挿入される。
“第45b 条 性の発育に変異を示している者が性および称する
名について行う意思表示

論 説
ドイツ法における「第三の性」について(2)
─憲法上の評価と国際私法的考察─
Das „dritte“ Geschlecht im Deutschen Recht (Teil II):
verfassungsrechtliche Bewertung und kollisionsrechtliche Betrachtung
山 内 惟 介*



すでに報道などで周知のことと思いますが、2023年10月25日、最高裁判所大法廷は、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(以下特例法)について、その3条4号の「生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠くこと」(以下不妊要件)について違憲とし、また3条5号「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」(以下外観要件)については憲法判断をせずに、審理を広島高裁に差し戻しました。

まったく不当な判決ですし、また、この結果だけ見る限り、違憲となった不妊要件と、現状では未判断の外観要件との間の整合性を考慮していない、異常な決定であると言えるでしょう。裁判官のうち三名は外観要件も違憲という反対意見を述べており、広島高裁で外観要件も違憲という判断が出かねない状況です。

まさに「司法の暴走」と呼ぶべき異常事態です。国民の間では、この手術要件の撤廃についてはいまだしっかりとした議論もなされておらず、女性を中心に「男性器のある法的女性が、女性の領域を侵略する!」という恐怖と危惧の声が強く上がってきています。最高裁には残念なことに、このような声が全く届いていないようです。

今までは手術要件があるために、特に男性から女性への性別移行者(MtF)については、「戸籍性別が女性なら、男性器はない。だから女性スペースに入ったとしても、性被害の可能性が少ない」というかたちで、性別移行者の立場の理解の上に黙認・容認されてきたわけですが、この決定は大前提を崩す、極めて過激な判決です。

問題は実のところ、性的少数者の権利だけの問題ではないのです。性的少数者とそうでない人々との、それぞれの権利の尊重と調整の問題なのですが、この判決では特に女性の立場を軽視する論調が目立ちます。公平と正義を旨とする裁判官が、こんな軽率な判断をしていいのでしょうか?

実際、女性スペース・女性の権利と、性別移行者の人権の間での、個々個別の調整に関する議論はまったく不十分なものに過ぎません。女子スポーツについては、国際的な競技団体では「少しでも男性の思春期を経験した者は女子スポーツに参加できない」という、戸籍性別とはまったく無関係の「性別基準」が設けられています。「法的性別」は「すべて完全に生得的女性と同じ権利」であるとはけして言えないものであり、その法的女性の権利とは、個々個別の問題についての丁寧な議論と同意を以てしてしか、しっかりと調整できないものであるのです。

しかし、このような丁寧で開かれた議論はいまだありません。そのような状況で「戸籍性別と、身体的な性別特徴」とを分離することを法が認めるのならば、今まで漠然と「法的女性は女性」としてきた「社会的区分」が、個々個別の合意として一つ一つ論を立ち上げていかなければ、到底女性の権利と法的女性の権利とを調和させることはできないのです。このような責任は、けして裁判官が負うことができるようなものではないのです。

現在の日本には、まだ「手術要件」を外す社会的条件は整っていないのです。同様に、今回不妊要件と外観要件を別途に扱う判断がなされましたが、これも性別適合手術の現実からは、かけ離れた空論です。

外観要件に従って、陰茎を切除したが、陰嚢がある状況は、「女性としての外観を備えている」と言えるのか?

こう考えてみれば、不妊要件と外観要件を分離すること自体、机上の空論であることは明らかです。このような空疎な議論は、海外の性別移行手術の「常識」に通用するようなものではないのです。もし、この決定通りに不妊要件と外観要件を分離するとしても、MtF (男性から女性へ)の場合には、現実的な手術の術式の問題として、「外観要件を満たすためには、不妊要件も自動的に満たすことになる」か、あるいは「外観要件も違憲だ」という主張の根拠に使われるか、どちらかしかないのです。

またさらに、「専門医による診断」も、現実には極めて大きな問題があります。「一日診断」と呼ばれる、患者の言いなりで15分ほどの形式的な診断で、性同一性障害の診断書を発行するというモラルを欠いた医療が横行しているのです。これでは、「自分は性同一性障害?」と悩む当事者の救いとはならないだけでなく、医療側の「儲け主義」から安易に手術を勧めたり、また本来のガイドラインから外れたような性同一性障害ではない人がホルモン療法や国内外で手術をしてしまい、数年後あらためて後悔するということさえ普通に起きています。
この「一日診断」が当事者の利害と一致するかに見えて、実は正反対の極めて危険な医療モラルの崩壊でしかないのですが、さらにこの診断書を「お墨付き」であるかのように振りかざす、女性に危害を加える犯罪者さえ登場している(注1)のが現実です。まさに「性同一性障害の診断書」の医学的な信頼性はまったくないのです。このようなモラルの崩壊を裁判所は肯定するのでしょうか?

診断書が信用されるためには、診断の厳格化が必須です。同時に性犯罪や暴力犯罪の過去歴がある場合には、性別移行を認めない。移行後に性犯罪を起こした場合などは、性別移行の取消を含む処分を新設する。あるいは、性犯罪傾向を見逃した専門医の責任を追及し処罰する制度など、しっかりとした診断と医療を保証する体制を作らないことには、そもそも自己責任な「美容手術」でしかないと批判されるほどの信頼性を欠いている現実を、野放しに肯定するだけになってしまいます。

このように、現実の性別移行の社会環境は、ハッキリ言って無責任なものでしかないのです。このような状況で性別移行条件を緩和することは、逆に真面目にガイドラインに沿った診断を受け、ガイドラインに沿って性別移行のプロセスを踏んで、その上で社会に埋没する善良な性別移行者も、「性犯罪者と変わらない異常な人々」とみなされるような、特例法以前の状況に逆戻りするのは、火を見るより明らかです。
今年に入って、この問題が少しづつ取り上げられるようになったことが悪い刺激になったのか、「女装して性犯罪を犯す」人たちの事件が多数報道されるようにもなりました。まさに「性犯罪者の言い訳」に、性同一性障害が使われるという、真面目な当事者にとっては不面目極まりない自体がすでに起きています。
まさに、この性別移行条件の緩和は、性別移行者の人権の尊重ではなく、逆に性別移行者への偏見と迫害を正当化するような、悪影響しかないとまさに当事者は危惧しています。実際、「特例法が諸悪の根源だ」として、特例法自体の廃止を叫ぶ団体も活動を始めています。私たちがせっかく勝ち取った「性別移行の権利」が、その権利を悪用する人たちと、「かわいそうだから」で無責任に緩和しようとする「善意の人々」によって、台無しにされる瀬戸際なのです。

このような「性別移行条件の緩和」を、現実的な法運用の場面で許さないように、引き続き私たち当事者は訴えていきます。どうか皆さま、私たちの立場をご理解いただき、引き続きご支援を賜りますよう、また異常な判決を下してしまった最高裁に対する強い抗議の声を上げていただきますよう、性同一性障害当事者としてお願いいたします。

以上をもって、声明とします。
2023年10月26日
性同一性障害特例法を守る会

参考

(注1) 振り袖に“墨汁” 被告の男が起訴内容認める 弁護側「性同一性障害で晴れ着に強い憧れ」 福岡地裁支部https://yotemira.tnc.co.jp/news/articles/NID2023042717580

https://note.com/gid_tokurei/n/n7885ae90c264
最高裁の違憲判決への声明

GID特例法を守る会

2023年10月26日 13:23






LGBTの問題などに取り組む大阪の弁護士に「メッタ刺しにして殺害する」などと脅迫メッセージが届いていることが分かりました。 【動画インタビュー】取材に応じた弁護士「トランスジェンダー当事者へのヘイトクライム」 午前10時半に記者会見を開いたのは、大阪弁護士会所属の仲岡しゅん弁護士です。トランスジェンダーを公表している仲岡さんは、戸籍上は男性でありながら女性として弁護士登録をしていて、性的少数者の人権問題に取り組んでいます。

MBSニュース

仲岡さんによりますと、6月3日に、自身の弁護士事務所のホームページに、同一とみられる人物から「男のクセに女のフリをしているオカマ野郎をメッタ刺しにして殺害する」「Tor通してるから通報しても無駄、やりたければご自由に」「チャンスあったらその時メッタ刺しにするわ、楽しみにしとけなキモカマ野郎。男だから怖くないかもしれないけどな(笑)」などと書かれたメッセージが複数届いたということです。 会見した仲岡さんは、「トランスジェンダー当事者であることを狙って、殺害予告をしているヘイトクライムである」と話し、「こういったヘイト的な脅迫は、いずれ来るだろうと考えておりました。なぜかと言いますと今、特にネット上で、トランスジェンダーに対するヘイト的な投稿が駆け巡っております。私個人だけへの脅しであれば会見は開かない。これは社会的な意味がある事件」と続けました。 仲岡さんは、警察に被害届を提出する方針です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/104cefa26fabdfe5ac9f391e8ccc39aa0f9739fb
【速報】トランスジェンダー公表の弁護士 記者会見で殺害予告の被害訴え「ヘイト的な脅迫はいずれ来るだろうと考えていた」

6/5(月) 10:34配信





さて、前置きが長くなりました。

 まず公衆浴場の問題について、

 「男性器は付いてるけど、女性用浴場に入りたい、入らせろ」

そのように主張しているMTFがどれだけいるのでしょうか?

 いないとは言いません。いやむしろ、確実にいるでしょう。極端な主張をおこなう個人というものは、当該主張の是非はともかく、どのような属性の集団の中にも必ずいるからです。

 しかし重要なポイントは、いるかいないかではなく、実際問題として、それがどれだけの社会的影響力を持っているか、なのです。

 TwitterというSNSの性質上、そのような主張が悪目立ちしている状況があるのかもしれません。また、どんな人であっても公衆浴場を使えるよう、設備の向上や工夫を考えていくことは必要です。

 しかし、少なくとも今の日本では、上記のようなそこまで尖った主張が、何らかの社会的影響力を持ち得るには到底至っていませんし、またMTFトランス及びその支援者の間でも一般的な見解とは思えません。もちろん、公衆浴場で広い風呂に入りたいという気持ちを持つことはその人の自由ですが、未オペの状態でそれを実践すれば、当人自身にとってもトラブルが生じるリスクが高いことは、大抵の当事者は分かっているからです。

 そのような状況下において、上記のような例外的事例を過剰に重大視し、恐怖を煽ることは、特にその対象が社会的マイノリティである場合、当該マイノリティへの強烈な排除や抑圧の効果をもたらします。

 このことは例えば、外国人犯罪が過剰に危険視されたり、あるいは生活保護の不正受給が過剰にバッシングされる状況と似ています。犯罪にしろ不正受給にしろ、その行為者本人においては責任を負うべきことです。しかし、そのような例外的事例が、「外国人」や「生活保護受給者」といった"大きなくくり"で論じられるとき、そこで一緒くたに論じられる当事者は、いわば狙いの定まらない散弾銃の流れ弾に当てられたように、不要な血を流すことになるのです。

 Twitterで繰り広げられている応酬は、いわば散弾銃の撃ち合いのような様相を呈しています。向けるべき対象が個別具体的に特定されているうちはともかく、それが次第に"大きなくくり"へと向けて散弾銃がばらまかれ、そしてその流れ弾は、おそらく意図しないであろうところにまで飛散しています。

 私個人としても、上記のような主張をしたこともなければ、むしろ後述するように、法律家として支持できるものでもありません。しかし、トランス排除の文脈に乗って不用意にばら蒔かれたその流れ弾は、至って穏当に生活しているだけの当事者、つまりみなさんの隣人にも、確実に届いているのです。

 さて、その上で、MTFが女性用公衆浴場を使えるかどうかは、私が把握している限り、公衆浴場組合では戸籍変更の有無にかかわらず、男性器の有無、すなわち性別適合手術をしているかどうかを基準としているようです。不特定多数が他人に裸体を晒す場の管理者としては、事の性質上やむを得ない判断であり、また合理的な見解と思われます。

 そして、そのことを前提とすると、冒頭のような、

 「男性器は付いてるけど、女性用浴場に入りたい、入らせろ」

という主張を実践した場合、何らかの合意を得ているなど特別な事情のない限り、建造物侵入罪の被疑事実で逮捕されるか、少なくとも直ちに立ち入りを拒否される可能性が極めて高いといえます。もし私がそのような法律相談を受けたとしたら、「やめときなさい」と言わざるを得ません。

 つまり、みなさんが懸念するまでもなく、現行法の解釈でも、既に違法なものとして運用されているのです。実務上、自ずから決着が付いており、そもそも論争の実益が薄い事柄なのです。
 落ち着いてください。

 そして、こういった極端な事象を元に、MTFトランスへの恐怖を募らせるのをやめてください。

(後編に続きます)


https://wan.or.jp/article/show/9099
法律実務の現場から「TERF」論争を考える(前編) 仲岡しゅん

2020.08.27 Thu



 まず第一に、「心が女性だ」と当人が言いさえすれば(あるいは当人が思いさえすれば)、直ちにあらゆる女性用スペースを使えるかのような想定が、そもそも日本の法律実務からすれば非現実的なものです。実際の問題状況は、そのように単純なものではありません。



 本人の性自認がたとえどうであれ、我々は他者と社会生活を営んでいます。その中で、MTFトランスによる女性用スペースの使用が妥当かどうかは、"当事者個々の具体的状況と、その女性用スペースの性質との相関関係による"、としか言いようがないと思われます。

 トランスというのは、性別移行です。当然、その過程によって変化し得るものであり、かつ、移行の態様や程度は個人差が極めて大きいものであって、合理的な配慮が必要な事柄にも自ずから差異が生じるからです。個々の具体的事情を差し置いて、何か抽象的な基準を語ろうとすること自体が性質上困難なものなのです。

 その上で、当人の個別具体的な状況と、問題となる事柄の性質に応じて、合理的配慮として何が必要なのかという点が問われることになります。



 例えば、あえて非常に極端な例を上げるならば、『北斗の拳』のケンシロウがある日突然、「オレは女だ」と言い出した場合、それは本人の自由になさったらよろしいですし、仮にそれが本人にとって真意であるのなら、そのこと自体は誰かが否定できるようなものではありません。(なお、ここでケンシロウを例にしたのは、私の漫画の趣味であり、それ以上の他意はありません。)

 もっとも、ケンシロウがケンシロウのまま、直ちに全ての女性用スペースを問題なく利用できるかという点、すなわち、他者や社会との利益調整が必要となる局面においては、また別の問題が生じます。ケンシロウがケンシロウのまま、たとえ「オレは女だ」と言いながら女性用スペースに入ったとしても、何か特段の事情がない限り、実際問題として違法ないし不正な行為とみなされてしまうであろう現実があることは、誰しも分かることでしょう。



 そして、大抵のトランス当事者は、そんなことを他人からいちいち言われるまでもなく、そのようなリスクと隣り合わせの現実の中、それぞれに思い悩みながら、時に偏見と戦いつつ、様々に"折り合い"を付けながら生活しているのが実情です。

 繰り返しますが、今Twitterであれこれ言われているようなことは、まさに性別移行の現場を生きている多くの当事者にとっては、他人からいちいち言われるまでもないようなことなのです。生まれ持って割り当てられた性別が自認と異なることや、あるいはそれがこの社会の中でどのように解釈されるかは、当事者の多くがその経験の中で日々突き付けられているからです。(そして、そういった状況の中で今、時に性犯罪者らと括られながら、時にパス度などで切り分けられながら、「議論」の対象とされている当事者の心境を、少しだけ想像してみてください。)



 逆に、女性用スペースの使用がその人の状況に照らして合理性が認められるものである場合、違法性は生じないでしょう。

 例えば、先日報道され話題になった経産省事件の判決でも、「自分は女だ」と言いさえすれば女性用トイレに直ちに入れるかのような、雑な判断がなされたわけでは全くありません。個別具体的な事情を考慮した上で、むしろ女性用トイレの使用を認めないことのほうが違法だという判断がなされているのです。

 そのような個々の具体的状況や事柄の性質を捨象して、どこからどこまでが女性用スペースを利用してよいMTFかという形式的基準を論じようとすること自体が、生の現実と乖離した、いわば思考実験に過ぎないのです。



 このことは他の問題で例えるならば、「障碍者ならば、このように扱うべきだ」というドグマを先に設定した上で、どこからどこまでが「真の障碍者」かを議論するかのごとき、ナンセンスなものと言わざるを得ません。言うまでもなく、障碍者と一口に言っても、求められるべき合理的配慮は、個々の状況と事柄の性質によって大きく異なります。

 トランスを巡る昨今のTwitterでの紛争も、そのような歪な観念論に陥っているような気がしてなりません。



 そしてもう一つ、身も蓋もないことを言ってしまうと、女性用スペースの安全性のためにトランスが云々という切り口から「議論」をいくらしたとしても、そのことによっては、これまで以上にも以下にも、女性用スペースにおいて確保される安全性は大して変わることがないということです。



 日本においては、近年ようやくトランスジェンダーなどLGBTの人権保障の必要性が認識されてきました。しかし、トランスの権利云々以前から、その行為者が女性であるか男性であるか、またトランスであるかシスであるかを問わず、違法な行為に及ぶ人間は現実に存在してきました。

 このような残念な事実は、トランスの権利擁護とは別の原因から生じてきたものであって、決してトランスの権利擁護の高まりによって生じたものではありません。そもそもこれまでの女性用スペースの安全性それ自体が、トランス云々にかかわらず、残念ながら"一応のもの"でしかなかったのです。



 更に言うならば、Twitter上で懸念されているような、"MTFトランスを偽装した者"による違法な目的での女性用スペースへの侵入が、「自分はトランスだ」と言いさえすれば直ちに正当化されるかのような想定も、少なくとも日本の刑事司法の実務からすると、現実を極端に単純視しているとしか思えません。

 私も刑事事件を扱い、またこういった問題について警察へのヒアリングもしたことがありますが、日本の警察もそこまでお人好しではありません。結局は生の事実の中で、当人の事情や、あるいは立ち入りの理由や目的、態様といった具体的事実関係からして違法な行為といえるかが問われることになるでしょう。例えば、盗撮など違法な目的での女性用スペースへの立ち入りであれば、シス女性であったとしても建造物侵入罪になり得ます。つまり、トランスかどうかがここでの本質的な問題ではないため、たとえトランスであると偽称したからといって、違法な目的での侵入が直ちに正当化されるわけではないのです。

 それどころか、むしろ日本の刑事実務では、オペ済みのトランス当事者であっても、法律上の性別変更をしていなければ、もともとの戸籍上の性別にしたがった刑務所に割り振られるという現状があるほどです。



 また、そもそも、外観によって識別される性別というもの自体、実際にはみなさんが思っているよりもずっとファジーなものだということへの認識が必要です。私はおそらく世間の人々より多くのトランス当事者を知っていると思いますが、おそらくみなさんが思っている以上に、トランスジェンダーの人々は既にみなさんの隣人として社会に埋もれて生活しています。

 あるいは、女性の中にも、また男性の中にも、様々な外観の人がいるという事実を認めなければなりません。私の周囲は偶然か必然か、女性の中でも中性的な容貌の人が多いので、しばしば男性だと認識されてしまうという知人も少なくありません。

 つまり、その人がトランスなのかシスなのか、またトランスの中でもオペ済か未了か、戸籍変更までしているか、あるいはそもそも女なのか男なのかさえ、第三者が外観のみから正確に判断しきることは実際には困難なのであり、私たちの社会は、"外観上の一応の記号"によって男女を識別するという、非常にファジーなお約束によって成り立っていると言わざるを得ないのです。



 こういった生の現実がある中で、今Twitterで繰り広げられているトランスを巡る思考実験が、女性用スペースの安全性確保のために、いったいどれほど有益なのか、私は大いに疑問です。

 例えば、女性用スペースの前に「トランスは立ち入るべからず」と貼り付けたとして、外観上誰がどうやって判断するのですか。あるいは、それで性暴力など違法な行為は本当に減るのですか。

 それによって得られるのは、結局、無辜のトランス当事者や、あるいは女性と見なされにくい姿の女性までをもむやみに抑圧するだけの“架空の安心感”であって、実際問題、痴漢などを目的とした悪意ある人間の侵入は、そんなことで防止できないのではないですか…?



 ここまで述べたことは、当然ながら、女性用スペースの安全性が害されて良いということを意味しません。結局のところ、この問題の行き着くところは、トランスであろうがなかろうが、また女性であろうが男性であろうが、性的な暴力それ自体に対する刑罰や被害救済、あるいは教育や啓発の問題として捉えられなければならないはずです。



 しかし、なぜか今、一部の尖った例が引き合いに出され、あたかもトランスの問題かのように「議論」されている状況があるように、私には思えてならないのです。



法律実務の現場から「TERF」論争を考える(後編) 仲岡しゅん



「私たちが求めているのは、自由でオープンな議論」とありますが、この記事を虚心坦懐に読めば、そのような呼びかけを裏切る含意が込められているように思えてなりません。
わたしは、「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/ セクシュアリティ研究者の声明」の呼びかけ人になっているものの、これまで自分自身では、積極的に発言をしてきませんでしたし、SNS上でのやりとりに介入することもしてきませんでした。

その理由は、1. とりわけSNS上で交わされている議論を丁寧にフォローしているわけではなく、どのような発言が誰によって、いかなる文脈でされているかを理解していないこと、2. すでに、トランスジェンダーをめぐる議論は、当事者の方はじめ、研究書としても読むべき論考は発表されており、むしろわたしはそこからトランスジェンダーをめぐる議論を学んでいる側であること、3. 以下本稿のなかで触れるように、わたし自身がLGBTQとして括られがちなレズビアンであり、自身の経験に大きく引きずられ、他の視点に気づかなかったりしがちで、現状や論点をしっかり見極める自信がなかったからです。

そうであったにもかかわらず、今回この記事に対して、わたしなりの批判を加えたいと考えたのは、この記事が喚起しようとするメッセージはいったい何なのかと考えさせられざるを得ないがゆえに、1. 本記事が、とても慎重に熟慮のうえに書かれているとしたら、文章の稚拙さや、文章内の遂行的矛盾も含め、極めて悪質だと思うこと、あるいは、2. 石上さんが、ご自身でTERFという言葉について学ばれる途上で、不安や恐怖を抱かれて、どうしてもみなでそのことを議論したいと思われたうえでの投稿であったとしても、なお、そこに差別の力学が働いていることを指摘すべきだと考えたからです。

以下に、1. なぜ、極めて悪質だとわたしが考えるのか、2. 差別とはなにか、どのような働きかなのかを示し、最後に、3. 石上さんがおっしゃるように、「自由でオープンな議論」にむけて、なにを今考えるべきかについてを若干の私見を述べさせていただきます。

1. 装われる稚拙さと、遂行的矛盾によって惹起される恐怖

わたしは、本記事を読めば読むほど、説明すべき文脈や根拠をあえて示さず、一文に多くのことを書き込むことで(稚拙な文書のように見せかけることで)、はじめてTERF といった言葉を知る人や、これまでトランスジェンダーの権利について深く考えたことがない人たちに対して、トランス恐怖を与え、差別意識を植えつけるようなしかけがあるように思えてなりません。

また、各パラグラフをよくよく比較してみいると、パラグラフ毎に主張が少しづつずれているどころか、矛盾したメッセージを含めることで、現在の焦点であるはずの、トランスジェンダーの差別を解消し、その権利をどのように実現していくかという問題の本質を覆い隠す効果を生んでいるのではないでしょうか。そして、記事の真意は、トランス女性は、なるべく本物の女性がいるところにはいないでほしい、それどころか、そもそもトランス女性は、危険な人なのだと訴えているようにみえます。言葉遣いは丁寧な文書ながら、トランスジェンダーの人たち、直接的にはトランス女性に対して、本物の女性が抱えている不安や恐怖を理解していないと決めつけているようにさえ読めます。

1-a. トランスジェンダーの権利を訴える人を、犯罪者であるかのように描く

記事の冒頭、フェミニストであることが宣言され、あらゆる差別がなくなり、みなが安心できる社会を求めていることが述べられた直後、「私たちはなぜか」TERFと呼ばれ、そう呼ばれることは、「殺せ、犯せ、殴れ」という脅迫に曝されることであるかのように描写されています。ここは、TERF とはどのような歴史を経て生まれた言葉であるのか、TERFと「殺せ、犯せ、殴れ」といった言葉を、誰がどのような文脈で一緒に使用するのかを、説明すべきところです。

なにより、他者にそのような言葉を投げかけることは、脅迫、あるいは犯罪教唆に他なりません。そうした言動をとる人は、厳しく非難され、あるいは告発されるべきですし、その罪は、そうした言動をなした個人にこそ帰せられるべきであり、トランスジェンダーの権利とはなんら関係がないはずです。ところが、石上さんは、自分はトランスジェンダーの人たちと平和的に共存したいと願い、「トイレや風呂」など、ほんの少しの場所で安心して過ごしたいと訴えているだけなのだ、トランスジェンダーの人たちには、そこを理解してほしいと続けます。これでは、冒頭から、トランスジェンダーの人たちは、共存したいと考えている平和な私たちを、「殺せ、犯せ、殴れ」といっていると、石上さんが考えているようではないでしょうか。

1-b. セックスとジェンダーの二元論の強化
 
記事ではそのような用語は使用されていませんが、ジェンダー構造やジェンダー規範については、引き続きフェミニストとしてその影響を批判するとしながらも(「社会的・文化的につくられた性役割は・・・すべての人間を苦しめる」)、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)をその構造から切り離して論じることで、その後につづくJ.K. ローリングの発言とあいまって、あたかもセックスが現実/ 物質に他ならず、ジェンダー・アイデンティティは〈単なる意識〉にすぎないかのように論じられます。なぜかTERFと呼ばれるようになってしまったと訴える石上さんは、ここで、ジェンダー・クリティカルという、近年の欧州諸国におけるジェンダー承認法を批判する議論に言及しています。このことから、ジェンダー・アイデンティティを〈単なる意識〉として軽視し、生物学的/ 解剖学的な身体のみが現実であり、そこに意味を与え、基盤そのものを作り変えていく力もあるジェンダー規範のもつ構築性を軽視する傾向が読み取れます。

しかし、ジェンダー構造や規範と切り離しがたく、自身の身体に統合性を与え、セックスに物質的な重みを与えているものこそが、ジェンダー・アイデンティティだとしたら、「生理のある人を女性と呼べないのはおかしい」という影響力のある著名人の発言をここで繰り返すことは、日本のように厳しいジェンダー規範のなかで、生まれたときに与えられた身体にもかかわらず、男性だと自覚してきた人を〈本物ではない〉と切り捨てることになるのではないでしょうか。ここまではトランス女性の議論をしてきてはずが石上さんは、ここではトランス男性についての議論を混在させることで、「生理のある人」こそが「女性」であるという主張をしているかのようです。

フェミニズム理論において、多くのフェミニストたちが蓄積しながら論じてきたはずの、ジェンダー規範のなかで生まれる言説・社会的現実がいかに、わたしたちの身体や自然を作り上げてきたのかという重要な議論が、ここでは否定されてしまっています。

1-c. トイレ問題/ 安全問題

石上さんは、「女性トイレをはじめとした女性専用スペース」を、戸籍変更して暮らしている--すなわち、性転換手術をした――女性、これまで女性として生きてこられたトランス女性なら使っても構わない、ただ、「ペニスを付けた男性が女性風呂に入ることは、耐え難い」とおっしゃります。おそらく、このような発言は、石上さん以外からも、この社会では何度も繰り返されてきたのだろうと想像できる発言です。しかし、トランス女性にとって、自身にとってまさにプライヴェートな空間に入ることが、誰かに「構わない」と許容されなければならないとしたら、それはどれほどの苦痛でしょうか。また、「これまで女性として生きて」くることが難しかった、つまり、ジェンダーによる男女の振り分けが厳しい現実に曝され、女性として認められないのではないかと悩んできた人にとって、プライヴェートな空間から排除されることが、彼女たちの尊厳をどれほど傷つけることになろうかと危惧せざるを得ません。

なによりも、記事全体では、トイレが争点とされながら、わたしも呼びかけ人のひとりである「研究者声明」の発端となったお茶の水女子大学のトランス女性受け入れに対しては、賛同するかのような言及の仕方がされています。しかしながら、そこでは、あえて石上さんの真意が隠されているようにも感じられます。女子大学に入学する女性たちはすべて、トイレも更衣室も同じであることが当然でしょうし、部活動などでは、お風呂も一緒だということが前提とされるでしょう。そして、現在その大半の受験生が未成年であることから、ほぼ全ての学生にとって、適合手術を受けることは不可能なのです。

1-a. のところで論じましたが、トランス女性に対して、性暴力の被害にあいやすい女性たちのために安全を訴えることは、そのレトリック上の効果として、トランス女性が女性の安全を脅かす存在であるという含意が避けられません。

2. 差別とはなにか

ここからは、なぜTERF と呼ばれるのか分からないという石上さんに対して、わたしが石上さんの記事からどのようなことを想起したのかという話をさせてください。すでに触れたようにわたしは、2018年自民党衆議院議員の杉田水脈氏による、同性愛者を差別する記事に対して、抗議の意味を込めてレズビアンであることをカムアウトしました。LGBTQとして括られるとはいえ、わたしの経験とトランスジェンダーの人たちの経験が同じであるとか、あるいはわたしの経験がレズビアンを代表するといったことを、言おうとしているわけでは決してありません。ただ、それでもなお、日本社会から排除され、抗議の声をあげることに長年躊躇し、抗議した後も、差別を受け続けているわたしが、この記事からなにを受け取ったかについて、お伝えすることには意味があると思います。

2-a. 差別発言の効果

石上さんの記事を読んで受けた衝撃のありかを考え、幾度か記事を読むうちに、わたしは自分自身のいくつかの経験を思い出しました。

わたしは、兄がいたことも影響してか、幼い頃は、そのうち、おちんちんは生えてくるものだと信じているような子でした。男の子によく間違えられ、決して男の子ではなかったので恥ずかしくもあり、苦痛でもありましたが、だんだんと自分の身体が女体として成長することにも違和感を抱き始め、初潮を迎えた日は、その日付まではっきりと覚えています。おちんちんが生えてくると信じていたその幻影は、二〇代まで続いていたように思います。現在では、フェミニストとして女性である自分を喜んで受け容れることができますが、もし青年期に、性同一性障がいという言葉に出会っていたら、自分は間違った身体に生まれたのかもしれないと、おそらく当時とは異なる悩み方をしていたに違いありません。

現在自分の体を受け容れられているのは、しかし、社会からのまなざしが恥ずかしく、苦しんだ末、何か――男になりたかったわけではないので、自己を追い求めること、くらいでしょうか――を諦めてようやく、社会的に安定した生活を送れるようになったからに他なりません。ですから、わたしの身体をめぐる経験とジェンダーアイデンティティの関係は、Sex is real といった言葉ではとても表現できないものですし、身体という物質に先立ち、わたしのジェンダー・アイデンティティは、自分の身体にはないものを投影し、あるものを拒絶していたともいえます。

もちろん、自分の身体をめぐっては人それぞれに、違和感を感じたり、こうなればいいなぁと理想像を投影したりするものです。ですが、わたしの経験から想像するに、トランスジェンダーの人たちのその身体との付きあい方は、わたしの経験とは程度の差に還元できない、大きな断絶があるように思います。その経験を想像してみようとすることすら、傲慢であるとわたしは考えます。

大学生時代には、何人かの友人、知り合いにレズビアンであることを伝えました。そのなかで、〈えっ、わたしを襲わないでね 苦笑〉といった発言に何度か曝されました。今なら、そうした発言は、想像力のない社会とそこに生きる異性愛規範に縛られた人たちの無理解であると、笑い飛ばすことができます。しかしながら、当時のわたしは、身近な人から投げかけられるそうした発言を、抗議したり怒ったりするどころか、むしろ、〈そうだよね、だから人に伝えるのには、細心の注意を払おう〉と、やり過ごしました。いま、トランス女性をめぐって、トイレ・更衣室・浴場が争点であるかのようにフレームアップされていますが、かつて同様の事態が、同性愛者にとっても起こっていたことを、「府中青年の家裁判」から、わたしたちは学んでいるのではないでしょうか。
 
このように、普段忘れて/ 封印して過ごしている過去の経験を、突然想起させることが、わたしは差別発言がもたらす効果がもつ特徴の一つだと考えています。わたしたちの言葉には、その言葉を共有する共同体に投げ入れられ解釈されて初めて意味をもつために、単なる媒介手段ではなく、折り重なる意味と経験と歴史を運ぶ重みがあります。一つの言葉に内包される意味や文脈は、その言葉が背負っている共同体の歴史が反映されます。だからこそ、差別発言は、差別を受けている者に対して、差別されてきた者たちがこれまでも、そしておそらく今後も受けるであろう差別を痛感させます。

差別発言が差別的であるゆえんは、そこで発せられる言葉が示す共同体のなかに、差別されている者たちが(対等な人として)存在していないということを表明する点にあります。そして、差別された者は、その発言に込められた共同体から締め出されていることを改めて――差別されている本人は、そもそもその共同体に自分は属していないとされていることを実感しながら生きています――突きつけられ、誰とも共有できない、その身体とともに一人、自分だけの世界にとり残されます。さらに、急いで付け加えれば、その唯一残された身体こそが、自分を拒絶しているとしたら、これほど悲惨なことはあるでしょうか。

石上さんの記事、とりわけそのタイトルの「排除しているわけではない」は、そもそも、自分が生きている社会から排除されてきた/ いる者たちにとって、彼女たち・かれらの抱えている現実を認めない、とうい宣言に他なりません。いくら、誰かに〈私たちは、あなた(たち)を排除している/ 差別しているわけではない〉と伝えられても、厳然とした差別構造がなくならないかぎり、差別は終わりません。排除している/ 差別しているわけではないと宣言できる人がいるとすれば、日本社会に深く根ざしたこの差別構造を変革しようと努力している者たちだけではないでしょうか。石上さんがフェミニストとしてそのような努力をされているであろうことをここで否定しているわけではありません。ただ、記事からは、そうした努力は読み取ることができませんでした。

2-b. 差別とは何か

2-aで述べたことは、わたしがカムアウトした後、気持ちと体が落ち着いた頃、寄稿の機会を戴いた雑誌『Over』の第二号(2020年)で執筆した、「差別が差別と認識されない国に生きてきて」という拙論でもすでに触れたことです。ここでは、繰り返しを怖れず、差別とはなにかについての私見を述べさせていただきます。拙稿では、わたしは自分が学んできたフェミニズム理論に即して、つぎのように論じました。少し長くなりますが、引用します。

公的領域と私的領域の境界設定、そしてそこに生きる具体的個人の選好に多大な影響を与える力こそが、「政治的なるもの」だとして、フェミニストたちは批判的に考察してきた。その考察から明らかになる差別とは、公私の領域設定に都合よく想定される「主体」から(潜在的に)「逸脱」する存在に対して、社会的な制裁を与え(られるという脅威によって、「逸脱」を阻止し)、その結果沈黙を強い、ときに暴力的に/ 強制的に公的な資格をはく奪し、自由を奪い、構造に適応した多数の者とは同等の価値がないと貶めることである。社会構造上、その――可能性に満ちた――生を生き抜くことが想定されていない者たちが存在している、それこそが差別の根幹である。そして、レズビアンであるわたしは、そう自認してからずっと、日本社会でその差別を生きている。すなわち、差別は社会問題なのだ[前掲、14頁]。

わたしは、差別とは社会構造の問題であって、個人の悪意や意識、理解力は二次的な問題だと考えています。わたしに、〈えっ、わたしを襲わないでね〉と思わず口にした人は、悪意があったわけではなく、また、その後、レズビアンであるわたしとの関係を切ることもありませんでした。彼女は、レズビアンの友人を得て、レズビアンへの偏見を少しは解くことになったかもしれません。ですが、彼女の悪意のない発言は、この日本社会が、そもそもわたしのような存在に対して、生きる価値や尊厳を認めていないがゆえに発せられたのであり、彼女がいくらわたしの苦い経験を理解してくれようとも、〈わたしは、あなたを排除しない〉と受け容れてくれようとも、一時の慰めにはなったとしても、わたしの生が彼女と対等なものになるわけではありません。

杉田議員も、自らの差別記事が批判されると、差別するつもりはなかった、辛さは理解しているつもりであるといった趣旨の弁明をしました。しかし、彼女が国会議員であるならば、この社会で対等な構成員として認められない人を生み、その者たちから幸福を求めて生きる権利を剥奪する現在の社会構造を変革するために、その権力を使うべきです。そうでないとすれば、杉田議員は、決して、〈排除しているわけではない〉と言えないはずです。

2-c. ではなにが、論じられるべきか
 
石上さんは、「すべての差別がなくなり、みんなが安心して暮らしていける社会を求めて」この記事を書かれました。フェミニストとして、わたしも、そうした社会を求めています。そのために、女性が性暴力に遭いやすい、というよりむしろ、性暴力が許容されている日本社会を、根本的に変革する必要があると考えて、自分のできる範囲で努力しているつもりです。女性に対する嘲笑や差別発言、蔑みが商業的に流布されるような現状を変えていくには、わたしたちの意識だけでなく、まさに社会を構成している、さまざまな法制度や慣習、そしてわたしたちの先入観/ 偏見を正していかなければなりません。

この社会が、民族差別、人種差別、女性差別、性差別、その他さまざまな差別によって、多くのマイノリティを生み、排除し、差別し、しかも暴力に対して鈍感であることを前提に、たとえ迂遠に思えても、その差別の構造を一つひとつ変革していくことから、わたしたちは始めるしかないのではないでしょうか。近年の女子大学の取り組みはそのひとつであり、公文書における性別記載蘭の見直しや、とりわけ、トランス・ジェンダー差別・排除に抗議する運動をされている人々の動きは重要であることは言うまでもありません。少なくとも、トイレや更衣室、浴場が問題の本質ではなく、差別や排除にいま直面しているひとたち、あるいは性暴力の被害に苦しむひとたちと共に、この構造と闘う態勢を整えることに力を傾けることが、いま必要なのではないでしょうか。


【関連記事】

法律実務の現場から「TERF」論争を考える(後編) 仲岡しゅん
https://wan.or.jp/article/show/9100
法律実務の現場から「TERF」論争を考える(前編) 仲岡しゅん
https://wan.or.jp/article/show/9099

https://wan.or.jp/article/show/9090
「トランスジェンダーを排除しているわけではない」が、排除するもの 岡野八代

2020.08.19 Wed



https://s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/data.wan.or.jp/data/2019/04/26/73171fb5ee327c48ca367ca20cbd6b46.pdf





⭕️以下、記者会見冒頭での登壇者8人の言葉を、追加していきます。

1 連絡会の調整役 弁護士滝本太郎 署名、メッセージの紹介、問題の所在

2 女性スペースを守る会より 森谷みのり 会の紹介、女性も当事者であること。


 女性スぺースを守る会は2021年9月成立しました。賛同者3100人ほど、そのうち約600人 はレズビアンを中心とした性的少数者です。市井の女性が中心の集まりです。

 署名と共にコメントも沢山頂きました。17日に最高裁判所の担当者にも伝えましたが、
「女性はこの問題の当事者です。男性も当時者。日本に住む人間全てが当事者です。全ての人間に大きな影響が有る裁判なので一般女性は学んだ上で署名をしています。一般女性を無知だと決めつけずに声を聞いて頂きたいです。」
 メディアの皆様も庶民の意見を無視せずに、公平な報道の役割を果たして市民が民主的に話し合う必要を公言して頂きたいです。

3 性同一性障害特例法を守る会 美山みどり 手術要件の捉え方、特例法適用者として。

※同会の以下から転載。15分診断の証拠などもこちらにあります。
https://note.com/gid_tokurei/n/n6c2ff81aba96?sub_rt=share_b

 いよいよ明日、最高裁において特例法の手術要件に、「合憲か違憲か」の判断がなされます。私たちは性同一性障害当事者として「手術要件は合憲だ」「男性器のある女性を生まないで欲しい」と、多くの女性たち、身近な女性たちの立場を気遣う男性たち、また活動家たちに怒る性的少数者たちと連携して、署名活動を通じ、世の中に私たちの思いを伝えてきました。 その署名の数は20102筆にもなります。寄せられたコメントには、女性スペースを何としても守りたい、性被害の拡大に怯える女性たちの声、子供たちへの性加害を心配する親御さん、また家族制度の混乱を心配される方、そして突然政治的な対立に放り込まれて自分たちはいったいどうなるんだろうか?と身の心配をする「埋没」した戸籍変更済みの当事者の仲間たち。そんな多くの声が「手術要件を違憲としないでほしい」「男性器のある女性を法が認めることがあってはならない」と口々に求めています。

 「人権」という言葉は美しいし、また大事なものです。しかし、私たちは「特例」として、手術という条件によって、今まで社会に受け入れられてきました。これは私たちが社会と交わした約束なのです。
 それを最高裁が、上告人の一方的な言い分を聞いただけで「手術を要求するのはかわいそうだから」といった理由で、手術条件という約束を覆して「違憲」などという判断をすることがあってはなりません。いくら家事審判という特殊な形の裁判とはいえ、社会に対する大きな影響、戸籍事務への影響を考えた場合に、偏った情報だけで判断するようなことがあれば、大きな問題です。もし「違憲」という判断をするのならば、「裁判所の独断」「司法の暴走」と世論が裁判所を非難し、司法の権威が地に堕ちることは必至です。その重大性と国民の懸念を、裁判官はしっかりと受け止めているのでしょうか?

 海外は医師の診断だけで性別の変更ができる、と上告人と支持者たちは主張します。私たち当事者には常識なのですが、1日診断と呼ばれる、患者の言いなりで性同一性障害の診断書を発行するモラルを欠いた医師がいるのです。こんないい加減な診断が、実は横行しています。診断書があれば性同一性障害だ、と法廷が信用して果たして大丈夫なのでしょうか?

 また、性ホルモンを使っていれば不可逆的な変化が起きるから、手術をしなくても大丈夫だ、と主張します。そんなことはありません、約4週間で性ホルモン剤は代謝されて体から出ていきます。また、女性ホルモンを使っていれば、勃起も射精もしないか、といえば、私の体験から言えば、そんなことはありません。また、治療を中止して子供を産んだ北海道の方の話も報道されていますね。
 やはり手術という条件は、しっかりとした法的性別を変えるための「担保」であり、客観的な基準となる大事な条件なのです。これをなくしてはいけません。

 さらに海外の状況、というのなら、アメリカを見てご覧なさい。アメリカではこの問題が大きな社会的分断のテーマとなっています。「女性用の入浴施設も、男性器ある性自認女性を受け入れなくてはならない」などという馬鹿げた判決がワシントン州で出てしまい、世論の怒りを買っています。もはやアメリカの社会対立は先鋭化して、「文化戦争」と呼ばれるまでに至っています。逆にもはや、イギリスは混乱を止めるために、スナク首相が先導するかたちで、「性自認」による性別の取り扱いを止めることになりました。

 このような海外の状況を裁判官は把握しているのでしょうか?今はネットを通じて、海外の「行き過ぎた性自認主義の是正」の動向も入ってきます。いかに「男性器ある女性」「性自認による性別」というものが、社会の混乱と対立の火種にしかならないか、海外も弊害に気がついてどんどんと「性自認による性別変更」は問題が多すぎる、と是正を始めています。

 私たちはまだ十分、海外の状況を見て「日本はどうあるべきか」を考える余裕があるはずです。先に静岡家裁で「子宮ある男性」を容認し、手術要件を違憲とする判決がでてしまいました。しかし、まだ最高裁が「手術要件は合憲だ」と判断することで、社会対立を回避し、広く世論に「どうすればいいか?」を訴えて、より良い解決を探ることができます。

 最高裁が賢明な判断をされることを、多くの国民は切実な気持ちで願っています。

4 白百合の会 森奈津子 性的少数者として、運動・裁判について。

 LGBT当事者グループ「白百合の会」代表の森奈津子です。職業は作家です。私は1990年代より、バイセクシュアルであることをオープンにしたうえで、主に女性同士の愛をテーマとした小説を発表してきました。
 日頃から申しあげていることですが、「LGBT活動家」と呼ばれる方々は、実は私たちLGBT当事者の代表ではありません。私たちは、彼らのだれ一人として、代表に選んだことはないのです。そもそも、LGBT活動家になるには、資格は一切必要ありません。その人が「LGBT活動家」と名乗れば、その瞬間からLGBT活動家になれる。その程度の肩書です。
よって、LGBT活動家の皆様が、あたかもLGBTの総意であるかのように主張していることは、実はその方の個人的な意見、もしくはLGBT活動家の間での合意であるにすぎません。
 そんな、LGBT活動家は、こう主張しています。「性別適合手術は断種手術で、人権侵害である」「手術なしで法的な性別を変えられるようにすべきである」
 しかし、LGBT当事者のほとんどは、これに賛同していません。 性別適合手術を終えて、戸籍も心の性に合わせている性同一性障害の方々ですら、反対しています。
 なのに、なぜ、彼ら性同一性障害当事者の反対の声が表に出ないのか。それは、彼らはすでに、性別適合手術を終えた体で、社会に埋没しているからです。過去に男性だった、あるいは女性であったことを明かすことは、彼ら自身にとって、大変な苦痛をともない、それまでの生活を自ら破壊する結果にもなってしまいます。彼らは、政治的闘争に身を投じることもない、平凡な一人の人間として、生きることを望んでいるのです。LGBT活動家に反対する声すらあげられない、真の弱者です。
 一方、LGBT活動家は違います。彼らはLGBTであることを公にし、政治的主張をし、活動家として企業や行政から支援金や助成金を得て、学校や企業でLGBT講習や講演会をして報酬を得ることが、仕事なのです。このような、たった数百人のプロのLGBT活動家のために、日本社会を混乱に陥れてはなりません。
 私たちの大切な仲間である性同一性障害の方々を守るためにも、性同一性障害特例法の手術要件の維持を心より望み、また、明日の最高裁でも合憲との判決がくだされることを、願っております。
 本日は、発言の場をいただきまして、心より感謝申しあげます。

5 No!セルフID女性の人権と安全を求める会 石上卯乃 手術要件の削除後にはどうなるか。

6 性暴力被害者の会 郡司真子 性犯罪の深刻さ、生得的女性とは。

 「性暴力被害者の会」は、性暴力被害者による任意団体です。性暴力被害者に冷たい司法や社会を変えることや被害者視点の法整備、性暴力二次加害を規制する法整備を目指すために運動を続けています。どこからも支援を受けずにサバイバーが自主的に集まりテーマごとに連帯し声を上げてきました。
 2023年9月の最高裁弁論において、抗告人自身は、「世の中に訴えたいとか、社会を大きく変えたいわけではない」と、代理人弁護士が説明しました。しかし、抗告人の願い通りの最高裁決定が出ると、社会が大きく変わってしまいます。今回の最高裁の決定だけで、国会で法改正することなく、自分の気持ち次第で、性別が変えられるセルフID国になってしまいます。すでにセルフID国になった国々では、女性と子どもが危険に晒されています。
 LGBT理解増進法をめぐって、「女性と子どもの安全を守って欲しい」と私たちは、声を上げてきました。私たちは、性暴力被害サバイバーだからこそ、「身体男性の加害に怯える女性」に寄り添ってきました。性被害の影響により、身体男性を見るのも、女性専用の空間を同じくすることに恐怖を感じる症状は、トラウマの影響、PTSDの症状として、医学的にも明らかになっています。身体男性への恐怖は、「ぼんやりした妄想」でもないし、「無知による根拠のない不安」ではありません。被害者自身が自分に向き合って自身の力てだけで簡単に解決できる問題ではないのです。私たちは、性暴力被害に遭った当事者として、事実と研究成果に基づき、トラウマの追体験(フラッシュバック)を強いられる差別と女性スペースで性犯罪が実際に起きていることを問題視しています。
 また、性別を自称だけで認めてしまうことは、発達特性と性自認の揺れに関する問題があります。自閉症(ASD)の子どもや大人が正しい療育や医療に繋がれないまま、ジェンダーイデオロギー活動家にグルーミングされ、間違った性転換治療や手術を受けさせられ、後々後悔し、裁判に発展していることは、海外で多数の事例が報道されています。イギリス、スウェーデン、アメリカ、カナダなどでは、発達特性と性自認の揺れに関する研究成果から、行きすぎたジェンダーイデオロギーと性自認至上主義による包括的性教育を否定する動きが活発化しています。今年9月と10月には、世界規模のデモがありました。日本でも10月21日に新宿で市井の女性たちが連動したデモを行い、「子どもと女性の安全を守って下さい」と、声をあげましたが、そんなあたりまえの願いさえも「トランス差別だー!」と、トランスジェンダリズム活動家らから酷い妨害を受けました。ここ数年、私たち性暴力被害者による「身体男性が怖い」という声や「なりすまし犯罪が怖い」という声も「差別だ!」「トイレや風呂、女性スペースの話をすること自体がトランス差別だ」と、糾弾され、口を塞がれてきました。今回の最高裁判断次第では、一般の女性や性暴力被害者の声を弾圧するトランスジェンダリズム活動家の動きは、より活発化するでしょう。
日本では、発達特性ある人の幼児期、思春期、青年期に起きる性の違和感や性自認の揺れに加え、逆境環境、子ども期の性暴力被害からの性自認の揺らぎについての研究が、まだ進んでいない中、性自認の自称だけに頼る性別の決定は、あまりにも不安定で危険です。実際に、そういった生きづらい子どもたちを親に内緒で家出させグルーミングする団体についても問題になっています。
 今回の最高裁判断により、自称だけで性別を決められるようになってしまうと、まさに欧米諸外国で多発しているように、性犯罪加害者のなりすましを防ぐことが困難になります。そこで犠牲になるのは、脆弱な女性と子どもたちです。性犯罪が起きたとき、日本では、警察で受理されることが、まず、かなり難しい状態です。さらに、立件や起訴に繋げるのは、かなり高いハードルがあります。日本の刑法は、まだまだ、被害者に冷たく困難な壁があります。いったん性被害に遭うと、警察に行ったり、裁判で立ち向かうことさえも被害者にとっては、たいへんな心身の負担になりますし、そのサポートもまったく足りていません。
 性別を気持ちや自称だけで変えることを許さないで下さい。
 女性と子どもの生存権、安全と尊厳を無視しないでほしいのです。
 性暴力は、絶対に、1件でも起きてはいけないのです。
 セキュリティに穴をあけてはいけません。
 女性と子どもの安全を守って下さい。
OneNote の詳細や入手方法については、 http://www.onenote.xn--com-u63b4bubm7e8b71am013a7lrd

7 平等社会実現の会 織田道子 被害者のトラウマ、女性スペースの重要性

8 有志 武蔵大学社会学部教授 千田有紀 性別変更の意味とフェミニズム

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10月24日 女性スペースを守る連絡会の活動報告


女性スペースを守る会

2023年10月26日 20:09



戸籍上の性別変更に手術を事実上の要件とする性同一性障害特例法の規定が違憲かが争われた家事審判に関連し、市民らが24日、最高裁に要件の維持を求める署名約2万筆を提出した。最高裁大法廷は25日の決定で憲法判断を示す。


性別変更規定、見直しも 手術要件で25日憲法判断―最高裁大法廷

 市民らは、東京都内で記者会見。署名は8月からインターネットなどで集めたという。今回の審判は被告に当たる「相手方」がおらず、最高裁が申立人側の主張しか聞いていないことも批判している。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2023102400951&g=soc
性別変更の手術要件維持求める 市民ら、最高裁に署名提出

2023年10月24日17時56分



性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更する場合、生殖能力をなくす手術などを要件とする特例法の規定の必要性を訴える当事者団体が24日、最高裁大法廷(裁判長・戸倉三郎長官)による25日の憲法判断の決定を前に、規定を「合憲」とする決定を出すよう求める2万筆余りの署名を最高裁に提出した。

 団体は「女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会」。手術を経て男性から女性に性別変更した美山みどりさん(61)は提出後に東京都内で記者会見し「私たちは手術をすることで社会に受け入れられてきた」と訴えた。仮に最高裁が違憲判断を示し、要件が撤廃された場合には「女性たちの信用を失い、差別が一層深まる」と話した。

https://www.47news.jp/10034692.html
署名2万筆「合憲判断を」 性別変更手術規定で当事者



いよいよ明日、最高裁において特例法の手術要件に、「合憲か違憲か」の判断がなされます。私たちは性同一性障害当事者として「手術要件は合憲だ」「男性器のある女性を生まないで欲しい」と、多くの女性たち、身近な女性たちの立場を気遣う男性たち、また活動家たちに怒る性的少数者たちと連携して、署名活動を通じ、世の中に私たちの思いを伝えてきました。



その署名の数は20102筆にもなります。
寄られたコメントには、女性スペースを何としても守りたい、性被害の拡大に怯える女性たちの声、子供たちへの性加害を心配する親御さん、また家族制度の混乱を心配される方、そして突然政治的な対立に放り込まれて自分たちはいったいどうなるんだろうか?と身の心配をする「埋没」した戸籍変更済みの当事者の仲間たち。そんな多くの声が「手術要件を違憲としないでほしい」「男性器のある女性を法が認めることがあってはならない」と口々に求めています。

「人権」という言葉は美しいし、また大事なものです。
しかし、私たちは「特例」として、手術という条件によって、今まで社会に受け入れられてきました。これは私たちが社会と交わした約束なのです。
それを最高裁が、上告人の一方的な言い分を聞いただけで「手術を要求するのはかわいそうだから」といった理由で、手術条件という約束を覆して「違憲」などという判断をすることがあってはなりません。いくら家事審判という特殊な形の裁判とはいえ、社会に対する大きな影響、戸籍事務への影響を考えた場合に、偏った情報だけで判断するようなことがあれば、大きな問題です。もし「違憲」という判断をするのならば、「裁判所の独断」「司法の暴走」と世論が裁判所を非難し、司法の権威が地に堕ちることは必至です。その重大性と国民の懸念を、裁判官はしっかりと受け止めているのでしょうか?

海外は医師の診断だけで性別の変更ができる、と上告人と支持者たちは主張します。
私たち当事者には常識なのですが、1日診断と呼ばれる、患者の言いなりで性同一性障害の診断書を発行するモラルを欠いた医師がいるのです。こんないい加減な診断が、実は横行しています。診断書があれば性同一性障害だ、と法廷が信用して果たして大丈夫なのでしょうか?



また、性ホルモンを使っていれば不可逆的な変化が起きるから、手術をしなくても大丈夫だ、と主張します。そんなことはありません、約4週間で性ホルモン剤は代謝されて体から出ていきます。また、女性ホルモンを使っていれば、勃起も射精もしないか、といえば、私の体験から言えば、そんなことはありません。また、治療を中止して子供を産んだ北海道の方の話も報道されていますね。
やはり手術という条件は、しっかりとした法的性別を変えるための「担保」であり、客観的な基準となる大事な条件なのです。これをなくしてはいけません。

さらに海外の状況、というのなら、アメリカを見てご覧なさい。アメリカではこの問題が大きな社会的分断のテーマとなっています。「女性用の入浴施設も、男性器ある性自認女性を受け入れなくてはならない」などという馬鹿げた判決がワシントン州で出てしまい、世論の怒りを買っています。もはやアメリカの社会対立は先鋭化して、「文化戦争」と呼ばれるまでに至っています。逆にもはや、イギリスは混乱を止めるために、スナク首相が先導するかたちで、「性自認」による性別の取り扱いを止めることになりました。

このような海外の状況を裁判官は把握しているのでしょうか?
今はネットを通じて、海外の「行き過ぎた性自認主義の是正」の動向も入ってきます。
いかに「男性器ある女性」「性自認による性別」というものが、社会の混乱と対立の火種にしかならないか、海外も弊害に気がついてどんどんと「性自認による性別変更」は問題が多すぎる、と是正を始めています。

私たちはまだ十分、海外の状況を見て「日本はどうあるべきか」を考える余裕があるはずです。先に静岡家裁で「子宮ある男性」を容認し、手術要件を違憲とする判決がでてしまいました。しかし、まだ最高裁が「手術要件は合憲だ」と判断することで、社会対立を回避し、広く世論に「どうすればいいか?」を訴えて、より良い解決を探ることができます。

最高裁が賢明な判断をされることを、多くの国民は切実な気持ちで願っています。

https://note.com/gid_tokurei/n/n6c2ff81aba96?sub_rt=share_b
10/24 司法記者クラブでの会見要旨

GID特例法を守る会

2023年10月25日 13:35