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憧れの自家焙煎コーヒーに挑戦してみたら、汗だくで豆と格闘し、無心で我と向き合う修行のようだった話

コーヒーを飲むのは1日3杯まで、と決めている。

カフェインの摂り過ぎは睡眠の質に影響すると聞いて、買い置きがあれば午後はカフェインレスにする。豆をミルで挽いたときに漂う香り、お湯を注ぎぷくぷくと粉が膨らむ様子が愛らしい。

今日は、コーヒー好きの私が、ずっとやりたいと思っていたけれどなかなか手を出せずにいた「自家焙煎」に挑戦した話。

やってみたら思っていた以上に気力体力を酷使する体験だったこと。そして、豆との対話を通じて自分と向き合うマインドフルネス体験だったこと。
何より、自分で焙煎した豆を挽いて飲むコーヒーは格別だったことをお伝え
したい。

劇的ビフォーアフター



きっかけは主催イベント

この9月に起業10周年を迎え、記念イベントを主催した。その来場者へのプレゼントとして自家焙煎したコーヒーを用意したい!と思ったのがきっかけだ。書籍名にちなんで「場づくり珈琲」を自分の手でつくってみたい。実は出版時からそんな野望もあったので、ちょうどいい機械だと思った。

イベントの来場予想は多く見積もって20名。20名分のドリップパックをつくるには一体どれだけの豆が必要なんだろう?そんなところからのスタート。

8年ほど付き合いのある友人が自分で楽しむために自家焙煎をしているのを知っていたので、彼に頼んで一緒に作業してもらうことに。生豆は別のルートで、これも知り合いを頼って調達ができた。豆を焼くと水分が抜けて皮が剥がれて2割ほど軽くなる。自分で飲む分も入れて300gの豆を準備した。

今回指導してもらう彼のことを”師匠”と呼んでいる。
師匠は販売目的ではなく自分で楽しむ目的のため、自宅の台所にある家庭用コンロで、手網を使ってパチパチと焙煎をする。「手網を使ってパチパチ」。その大変さを私はまだわかっていなかった。

いざ焙煎開始

生豆を初めてみたが、白くて硬くて、匂いも「豆」感が強い。これがあのコーヒーになるのか?と疑うほど。
手網で1回に焙煎できる量は最大100g。網に並べた豆が重ならず、網を振ったときに満遍なく攪拌されるギリギリの量らしい。まずは100gをお皿に入れて、ハンドピックと呼ばれる手作業で傷んでいる豆を取り除くことから始まる。気になり出すとあれもこれもと取り除いてしまい、ともすれば1割くらい目減りしてしまうので、ある程度の許容範囲でピックしていくことが大切だ。せっかくなのでピックした傷んだ10粒ほどの豆も記念に持ち帰ることにする。

残った状態のいい豆を網に入れていざ焙煎! 台所の前に立ってコンロに火をつけ、まずは師匠にお手本を見せてもらう。この時はワクワクしていた。

師匠の説明では、1回あたり13分ほどの焙煎時間とのこと。豆を冷やす時間が3分ほどなので合計16分。今回は300g弱を焙煎するのでそれを3回繰り返す。時間だけ見ると1時間ほどの作業だ。頭では理解した。

師匠のお手本。見るのは簡単。

熱さとの戦い

まずはじめに来たのが「熱さとの闘い」
想像して欲しい。9月のまだ熱い季節に、クーラーをかけずに台所でフライパンを振る様子を。フライパンはフライパンが熱を受けるのでまだ身体への熱は少ないが、手にしているのは網なので、中火で温められた空気がそのまま上に上がってくるイメージだ。

13分の焙煎時間のうち最初の6分ほどで豆がパチパチと音を立てるタイミング(「ハゼ」と言われる)があり、それが来るのを注意深く見ながら、火加減を調節したり網を上下に動かしたりしながら、ひたすら振り続ける。
コンロは一定時間すると自動で弱火に切り替わったり、そうかと思うと中火になったりするので注意が必要だ。豆の焼け具合(ムラがないか、焦げていないか)を見ながら、熱さとの戦いは続く。
網で擦れて皮が剥けて方々に飛び散るのもエンタメ感があって面白い。(と感じる余裕があったのは最初だけ。)

まだ余裕があった頃

筋力との戦い

このハゼが来るまでの6分、さらに3回転のうちの初回で慣れないこともありすでに腕が筋肉痛で、まだこの作業が続くのかと途方に暮れた。途中で網を振る手を止めることもできないしまだ先は長いので無理は禁物。早々と師匠にバトンタッチした。
私はすかさず隣の部屋へ駆け込み、扇風機の風で身体を冷やした。腕をブラブラと振り疲れをとるのも同時進行で。「熱いですよね〜」なんて笑いながら師匠は間を繋いでくれている。
すでに汗が全身(主に上半身)から吹き出ているのを感じる。例えるなら、野球やテニスや卓球の素振りを100回やっているようなもの。コーヒー豆の焙煎は立派なスポーツだ。

そんなことを思いながら2分ほど休憩をして、戦場へ戻る。まだ腕の痛みは取れていないが、師匠に任せてばかりもいられない。
最初のハゼ(これを1ハゼと言う)の後、残りの6分ほども焼け具合を注意深く見ながら耳を澄ませて、次のハゼ(2ハゼと言う)を待つ。1ハゼよりもパチパチという音が大きくなり、いよいよゴールが見えてくる。もう腕が限界を迎えている。師匠、早く「終わり」を告げてくれ。


気力との戦い

すぐさまドライヤーの冷風を当てて豆を冷ます。どうか豆と一緒に私の身体も冷やして欲しいと強く思う。
あまりに私の疲労がすごいので、冷ましの工程は師匠に任せて私は自分の身体を冷ます工程へ。ありがとう扇風機。

あなたがいてくれてよかった

豆も身体も冷めた頃、第2ラウンドのゴングが鳴る。正直なところこれをあと2回やるのかと思ったら気が遠くなった。そんな時に目的に立ち返る。そうだ、私はイベントにお越しくださる方への感謝を込めて場づくり珈琲をつくっているのだ。ここで投げ出してはいけない。気を取り直してリング、ではなく台所へ向かう。

豆の声を聴きながら自分の腕の動きにも意識を向けながら、網を振り続ける。そのうち意識と無意識が混ざり合って、手が自動的に動いているようにも感じられる。夢中、没頭、無心、そんな言葉が当てはまりそうだ。

今となったらどうやって後の工程を乗り切ったのかあまり記憶にないくらいだが、第2ラウンドはひたすら無心で焙煎し(初回の失敗から学んで、ハゼを見落とさないように注意深く取り組んだため)、第3ラウンドではミスチルの「Innocent World」を脳内再生して桜井さんと共に13分を乗り越えたことは覚えている。
「♪いつの日もその胸にぃ〜流れてるメロディー」
第3ラウンドで焙煎した豆には、桜井さんの魂が注入されている。
流れているメロディーの裏で私の身体に流れているのは大量の汗。

師匠の撮影センスすごい
そのままかじっても美味しい

戦いを終えて

全身汗だくの私とともに、香ばしい自家焙煎珈琲豆が出来上がった。
3ラウンドを戦い切った達成感、目の前の艶々とした豆の放つ美しさ。ただ一心に「場づくり珈琲をお世話になった皆様へ届けたい」と願いながら豆と向き合った時間。なんとも心地よい疲労感に包まれる。

ふと思う。この体験は何かに似ていると。そうだ、サウナだ。
大量の汗、熱さと冷たさの繰り返し。そのルーティーンの間に雑念が消えて、心身が浄化されていく感じ。修行にも近い。
サウナのような手軽さはないが、この体験には自分だけの自分好みの豆を仕上げる特別な楽しみがある。

そんなマインドフルネス感を味わっている暇もなく、現実に戻る。
3日ほど寝かせてから飲むと良いと言われ、その場では飲まずに持ち帰ることに。師匠から1杯ごとのドリップパックに仕立てるグッズを譲り受けて、あとは自宅作業となる。
試しに1つ封入作業をやってみたが、まあまあ手間がかかる。これを20セット。。。また気が遠くなる。しかしすべては「場づくり珈琲をお世話になった皆様へ届けたい」その一心だ。

今書いていて、願いや思いを超えて何か「執念」のようなものを感じるが、ものづくりと言うのはこういうものかもしれない、と良いように解釈しておくことにする。

あとはもくもく自宅作業のターン

やっぱり想定外は起きる

後日談となるが、20名分で考えていたところ参加者が大幅に増えてしまった嬉しい誤算によって、当初見積もっていた作業日数で終わらなかったことを記しておく。
それに加えて、封入作業(熱で圧着して止めるシーリング作業)に失敗して袋が足りなくなったり、ラベル印刷の途中でプリンタのインクが出なくなったり、夜な夜な続く作業をしながら、「できれば時間を2週間前に巻き戻してやり直したい」と願う私だった。
余裕を持って準備するのは大事です。

買った方が早い、誰かに頼んだ方が早い、そもそも開催5日前にそんな手作業やってるのがおかしい。その他もろもろツッコミどころと反省はあるが、初めてのことにハプニングはつきもの。それも含めて「初体験」の醍醐味を味わいたくてたまらないのだ。

デザインしたまではよかった。


もう一つの想定外。
それは、とてもとても美味しく仕上がったこと!
内心、スカスカで酸っぱくて美味しくない仕上がりだったらどうしよう、と不安だったが、そんな心配は無用だった。(師匠おかげです。)

参加者が増えた分を自分用から融通をした結果、自分で飲む分が減ってしまって「もっと焙煎しておくんだった」と後悔したが、追加で1ラウンドできる気力も筋力も時間もなかったので、次の機会を楽しみにしておく。

最後に「場づくり珈琲」を手にした皆様へ。
汗は混入していないのでご安心ください。

念願の「場づくり珈琲」

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