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今年一年の振り返り

激動、本厄の2020年。
Twitterのつぶやきと共に振り返ります。

この長編の日記を読み終えた方には
Chakiマニア2級の称号を与えます。

これは、頑張った自分を労う、自分のための日記。

睦月

前年12月から休職の身となった私は、
市内の姉夫婦の家に居候させてもらい、
新年の幕が開けた。

1人になると、何をしでかすか分からなかった。
1人だと、食事をしなかった。
誰かに見張っておいてほしかった。

この時期、休職していることは
親に明かしていなくて。

だから、お正月の帰省で
「いつものように」元気よく振舞うことには
多大なるストレスがかかり

3が日を終えて姉の家に戻る頃には
帰りの車内で過呼吸を起こし、
ボロボロの身だった。

姉夫婦の家に住むようになって
6週間が経過しました。

«メリット»
・湯船に浸かる習慣が出来た
・辛い時は食事を作ってもらえる
・1人じゃない
«デメリット»
・苦手な音や匂いの調整が難しい
・充実した生活を見て辛くなる
(2020年1月4日 from: Twitter)

姉夫婦は平日はバリバリ仕事をこなしては、
週末になるとキャンプや山登りに出かけていく
超アクティブ(またの名を、じっとしていられない)人間。

私と真逆のタイプ。
間近に見るその光景は、時に眩しすぎた。

年末年始はかなり腐ってて、
意外にも気持ちが落ち着いたのは
「スマホゲーム」だった。
タップし続けるだけで
確実にレベルアップしていく、
猫がレストランを経営するゲーム。
テレビも読書もSNSもしんどい中で、
久々に余計なことを考えず、
無心になれる時間が作れた。
(2020年1月6日 from: Twitter)

何も、出来ない時期。

日中は姉夫婦の家のソファに寝そべって過ごし。
昼食を作っては食べ、自分の分の洗濯をして。
それくらいの最小限のことだけ、をしていた。

たまにアパートに1泊して、
また姉の家に戻るような生活を送っていた月。

日中は苦しくて悲しくて
絶望の淵に立たされていたのだけど、
夜が来たら、
絶望の方からほんの少し距離を置いてくれた。
苦しみも、悲しみも、絶望も、
払拭することは到底できそうになくて。
仕様のない僕の友達だ。
嫌な奴だとは思うものの、
旧知の仲として、
のらりくらりとやっていくしかないね。
(2020年1月14日 from: Twitter)

この時に初めて観た「日日是好日」。
メンタルダウンしていた私に
「在りのままを受け容れる」ということの意味を
教えてくれた、人生の大事な映画の1本となった。

まだまだ不安は続く。
今夜、小さな衝撃が起きて、
久しぶりに涙が溢れました。
手を伸ばせば届く距離にあって。
後悔が詰まってる。
まずは私自身が自分の感情を認めてあげて、
そっと寄り添ってあげよう。
無理に蓋をすることのないように。
そこからさらさらと流れ出すものもあるでしょう。
(2020年1月18日 from: Twitter)

この頃は知らなかった
「マインドフルネス」の言葉。

いま振り返ると、私の生活の色んなところに、
その鱗片は落ちていた、ようだ。


* * * * *

この頃、HSPに関することもツイートしていた。

自分がHSPなんじゃないかと気付けたのが半年前。

・調べ物は徹底的にする(仕事は丁寧だけど遅い)
・人混みが苦手(他人の感情が一気に流れ込んでくる感覚になる)
・大きな音や光が苦手(花火や台風、雷、テレビの音)
・マイノリティに共感しがち
・事故のニュースで不安定になる
・他人の食べ物の匂いで気分が悪くなる(自分の食事の時は大丈夫)
・天気や季節の変わり目で不調になる
他にも沢山。

「病弱、ワガママ、自分勝手」と
色んな言葉で括られてきたけど、
気質だと気づけた瞬間に
視界がクリアになった。
他人に「HSPだ」と伝えたところで
理解はされないけど。

でも自分で理解できたこと、まずはそこが大きい。
今の職場で「お前は気が付きすぎる。
周りのことよりまずは自分の仕事に専念しろ」と
言われて身動きが取れなくなり、
一気にバランスが崩れちゃったんだよね…。
この不安を抱えたままで
今の職場に戻るのは怖いな。
もう少しだけ先の話ではあるけど。

自分で出来る(今の職場で許される)対策や
上司に理解しててほしいことを、
苦しくなりすぎない範囲で考えていこう…。
多少は苦しいけど、
そのうち対峙しなきゃならない
課題ではあるから。

その代わり、自宅は絶対
私を守ってくれる空間にする。
癒しを詰め込んだ要塞にする。
揺るがない心の支えを作る。
(2020年1月19日 from: Twitter)

自分の「揺るがない居場所」を欲していて。
それがこの時は、自宅、だった。

家での「一人」の過ごし方に
どんどんフォーカスするようになっていった時期だった。

1月31日。
職場復帰を目前に、私は大量の荷物と
一緒に姉の家に連れて行っていたウサギを車に押し込み、
自宅アパートへと戻った。

如月

12月と1月の療養を経て、職場復帰した。

復職に当たっては産業医との面談が必要となるのだが
彼の放った言葉は、私の心に爪を立てて食い込んだ。

医者に「HSPだと思うんです」と相談すると
「勝手な自己診断をするな」と一蹴されるのだけど、
私の中の認識としては
「怒りっぽいんです」「潔癖症です」と
相談するのと同等だと思っていて。

短気や潔癖を名乗るのに、
いちいち医者の診断なんて取らないよね。
一昔前に「アンガーマネジメント」が
流行ったのは許容されて
「HSPマネジメント(仮)」が否定されるのは
とても悲しく思う。

自覚して、他者との向き合い方を見直すのは
大事なことじゃないんだろうか。
(2020年2月6日 from: Twitter)

「復帰できるか」を判断する面談の中で
「HSPという気質と向き合いました」と伝えた矢先だった。

「勝手な自己判断」
「自分で病名つけたがるよね」
目の前の医者が言い放った冷たい言葉に
私は凍り付いた。

「まぁ、自分でHSP?とやらを調べて、得意なお勉強、頑張ったらいいんじゃない?」
産業医は当番制で、
彼は精神科医ではなかった、とは言え。

自分を認めて受け容れようとしていた私に、
彼はナイフを突き立てた。

何とか復帰のOKは貰ったものの。

ああ。
「あなたみたいな人間が一番タチが悪い」
この面談の中で、
産業医の彼は、
確かに私にそう言った、のだった。

「一番タチの悪い人間」との
レッテルを貼られた上での復帰は
ノロノロと重たい足取りだった。

* * * * *

この月にどんな仕事をしていたのかは
正直あまり思い出せない。

多分決算関係の報告書作成、とか
そんな事務的なこと。

体調不良は続いていて
週5勤務のうち、週1~3は年休を取る。
そんな状況にあった。

そんな2月下旬。
「あのウイルス」の国内での流行を迎えることとなる。

弥生

私の部署に
あのウイルスに関する相談窓口が設けられた。

2月。所在なさげだった私の仕事の意欲は
このウイルスに駆り立てられることとなる。

連日、窓口にお客様が来る。
大きく変わる日常に困惑しては、
話しながら涙を流す人も少なくなかった。

言葉や仕草、一つひとつに気を配りながら
窓口応対を進めた。

「この状況だと何とも出来ません」と
口にするのは簡単だったが
「何とか出来る方法を探してみましょう」と
寄り添う方法を選んだ。


* * * * *

当時、6人ほど窓口スタッフがいる中で。
2回目に来られた方から
「Chakiさんに聞いてほしい」と
指名を受けることが増えた。

他のスタッフでも対応可能な状況だったのだけど
私が他のお客様の応対を終えるまで
待っていてくれる方が
この時、多くいらっしゃったのだった。。。

私の「寄り添いたい」気持ちは
きちんと相手に届いていた。


* * * * *

砕身したのは窓口応対だけではない。
窓口応対マニュアルと、
お客様に記入いただく書類があった。

そのマニュアルや書類の内容は、
国の動向によって
毎日のように情報更新されていくものだった。

会社の本部から、
数日おきに窓口応対のFAQが届く。

「○○のようなケースの顧客について、
前回までは認めないとしていたが、
今後は認めることとする」という資料が
それはもう山のように送られてきた。

周りのスタッフは「あとで読む」と言って
机の上に積み上げるそのFAQを、
私は一人熱心に読み込んだ。

目の前のお客様を1人でも多く救うためのことが
そこには大量の文字で書かれていた。


資料を読んでいない他の職員は、
私の口からその内容を把握していった。

本部から毎日大量に届く書類も。
私は一人ファイルに綴り
インデックスシールをつけては
蛍光マーカーを引いていったのだった。

そうして綴じていった1冊のファイルは
いつしか他の職員から
「虎の巻」と呼ばれるようになった。

「まだ今の時期は必要ない」、
上司がそう口にする
申請書を先回りして作成しては。

数日後、その申請書が
急遽必要となることがあり
「もう作っています」と
差し出す場面も幾度となくあった。

…私は、こんな地道な仕事を得意とする、
そんな人間だった。


* * * * *

仕事では使命感で燃えていたが
プライベートの方はぐちゃぐちゃだった。

昨夜は帰宅して大号泣した日でした。
この1年間好きだった人が、
来週には遠距離だった彼女と同棲を始めます。
以前から聞かされていた話だけど、
その日が近づく度に胸が痛んで涙が溢れる。
生きていれば叶わない恋の一つや二つはあるよ、
と自分自身に言い聞かせてはいるけれど。
(2020年3月13日 from: Twitter)

自慢ではないのだが
これまで異性には不自由しない人生を送ってきた。

―18歳から現在に至るまで
ほとんど彼氏を切らした期間のなかった私が。

全てを捧げるほどにのめり込んだ。
生涯に一度あるかないか、の大失恋を経験したのが
この時だった。

この人が、私の全て、だった。
昨年度は、丸ごとこの人に捧げた1年間だった。


* * * * *

一人でも過ごせるように自宅を整えては。

絶望の春の中に、少しでも光を見出そうとしていた。

卯月

新しい部署に異動して、
今年度がスタートした。

気分一新、心を落ち着けて。
…というわけにもいかず、
この部署でも例のウイルスの対応に追われていた。

この部署の通常業務の流れすら
把握することのないまま
緊急の会議に参加しては。

他県の同列の会社に電話をかけては
対応状況の確認をする。

問合せの電話をすること、
それ自体は苦痛ではなかったのだが。

部署異動をすると、使う専門用語がガラリと変わる。
意味の分からない専門用語が飛び交う
電話をすることの疲労感は色濃かった。


* * * * *

仕事の引継ぎにも苦慮する羽目になる。
前任者がいわゆる「整理の出来ない子」だった。

「とりあえずこのファイルから探してください!」
「どこかに入ってるんで!」と
渡されたぶ厚いファイルは
20冊ほどあっただろうか。

例えとしては非常に悪い表現なのだが。
他人のゴミ屋敷に入っては
「リモコンを探してください」と
言われるような状況だった。

通常、自分の仕事を進める際には
去年の資料を眺めて流れを把握しながら、
今年の分を進行していく。

去年の1つの資料を探すために
30分~1時間を費やす日々。

向かいの席に座る、
同じ時期に異動してきた同期は
スムーズに引継ぎを終えて、
サクサク仕事を進めていた。

別に、私が悪いわけではない。
と頭では分かってはいるものの。

「もしかして私の仕事のやり方が悪いのか」という
劣等感は、常に私の後をついて回った。


* * * * *

新しい部署は
環境面の変化も大きかった。

会社の敷地内にいくつか棟があるうちの、
一番メインの棟で。
人口密度が異様に高かった。

昼休みにトイレで歯磨きをする女性スタッフが
トイレの外まで溢れるような状況。

HSPという気質を持つ身としては
仕事の合間に一人になれる瞬間が欲しかった。

トイレに駆け込んで
整える時間が欲しかったが
ここの部署では
一人にはなれないことが分かった。


* * * * *

想い人をなくした喪失感と、
職場が変わった二重のストレスは
私に強い負荷をかけていた。

これは躁うつなんでしょうか。
大声で怒鳴り散らし、号泣して過呼吸。
気分が良くなって歌い踊り、
眠くて動けなくて食が細る。
居眠り運転しかけたのはヤバかった。
(2020年4月5日 from: Twitter)

もう、生きる希望は、
どこにも残っていなかった。

それでも。1か月。2か月辛抱すれば。
状況は好転するはず。

それに期待するより他、なかった。


* * * * *

4月のTwitterには、
手料理の投稿が増えている。

恐らく、食欲も落ちていた時期。
21~22時に慣れない仕事を終えて帰宅し、
心には常に空虚感があった。空虚感しかなかった。

Twitterに食べ物を投稿して
「ちゃんと食べてるね」と言ってくれる
フォロワーさんの存在が有難かった。

朝からロボット掃除機を走らせて、
モップ掃除で援護射撃を。
お花の水換えをして、
ウサギ小屋に散らかった干し草もお片付け。

食器を片付けて、洗濯機も回したところ。
トイレ掃除も終わりました。
あ、押入れの中も整理したんだった。
生活は、整えるから、整う。
(2020年4月25日 from: Twitter)

食べること。生活を整えること。
そうやって、日々を紡いだ。そんな月。

皐月

職場。人間関係には非常に恵まれていた。
4月に来た部署は芸術を扱うところで
スタッフの過半数は芸術肌の方だった。

楽器の演奏者。ポスターのロゴをデザインする方。
写真家。書道師範。演劇家。
狭い部署だけど、濃厚な人材が揃っていて。

明るいオタク気質な方々なので
打ち解けるのは早かった。

鬼滅の刃の推しメンについて
係長(50代女性)と熱く語り合う、なんていう
楽しい場面も増えた。

好きなアイドルのYouTube動画を観漁っては
漫画を読み。

年明けよりも少しずつ、
出来ることは増えてきていた。

* * * * *

自分を騙しだまし、過ごした5月。

職場の人間関係がいいから大丈夫。
希望してきた部署だから、頑張らないと。

でも、前の年に上司に言われた言葉が
トラウマとなってこびりつき。

「大丈夫」「やれる」「頑張る」、
もう、一人でも、ちゃんとやれてる。

自分への鼓舞を繰り返した。

おはようございます。
身体がダルい。重い。微熱。
仕事行かなきゃ…。
(2020年5月26日 from: Twitter)

鼓舞、しつつも。
体調不良の波は、そこまで押し寄せてきていた。


* * * * *

料理は4月よりも意欲的に作れるようになった。

この先に待つ、落とし穴にも気付かずに。

水無月

母親に「そのうち仕事を辞めるかもしれない」と
頭出しをしてみたら
「そんなことを言うもんじゃない」
「結婚しないのがいけない」と窘められました。

昨年適応障害で休職してたことも
希死念慮が出るまで追い詰められたことも
話してないからこんな発言が出たんだろうけど。

福利厚生がしっかりしているからと言って、
死にたい気持ちを抱えたまま
働き続けないといけないですか。
無理矢理にでも結婚すれば安泰ですか。
お母さん、私、いつ階段を踏み外すか分からないよ。
(2020年6月1日 from: Twitter)

6月のツイートは、こんな始まり、だった。

どうしよう。今の仕事が嫌いすぎる。
でも辞めたら生きていけない。
次の仕事を早く見つけなきゃ…。
(2020年6月3日 from: Twitter)
完全に仕事に行けなくなっちゃってる。
髪のセットまではしたんだけど、
そこから身支度が進まない…。
(2020年6月4日 from: Twitter)
今日も仕事休んでしまった。
なんてダメな人間なんだ。。。
(2020年6月5日 from: Twitter)

溢れ出した本音。
本当は、今の仕事が嫌だった。
自分を騙し続けていた。

私はまた、動けなくなっていた。

そして。この6月5日から
再び休職に入ることになった。

親に病気のこと、休職のこと、
ついでにウサギ飼ってること、
全部話した!!!!!!!
(2020年6月6日 from: Twitter)

遂に、両親に病気のことをカミングアウトした。

母親に「実家に戻っておいで」と言われた。
「ウサギも連れて、帰っておいで」、母はそう言った。

ぽろりと病気のことをカミングアウトしたら
親が張り切ってしまい、
ウサギを連れて
自宅に強制送還されることになりそうです。
アパートでひとり鬱鬱と過ごすよりは
気分転換になるのかしら…。
そしてウサギと実家のイヌは共存できるんやか…?
(2020年6月7日 from: Twitter)

様々な葛藤を抱えつつも
一人で過ごすのは、やはり不安だった。
そして。実家に帰ることを決意した。

…帰ってみた実家は。
「居心地の好い場所」では、なかった。

父親の気遣いが。母親の優しさが。
この時の私には、痛かった。

実家が田舎ということもあり
遊びに行くような場所もなくて
ただただ寝て過ごすより他なく。

退屈な時間は、思考を歪ませた。

「ウサギの調子が悪そうだから」、
そう理由を付けては
(実際、環境の変化で体調不良の様子だった)
わずか1週間ほどで
実家からアパートに舞い戻った。


* * * * *

いよいよ、本格的に、一人、になった。
どうせしばらく休みなんだから
自分の好きに過ごしてみよう、そう思ったら
ほんの少し、肩の荷が下りた。

おうち時間を、ゆるゆると楽しむ日々の中。

6月下旬。姉の紹介で、
メンタルケアの方と会うことになった。

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突然、私のもとに
溢れんばかりの愛が、降ってきた。

「自分にアメをあげる」
「人に会わない」

「ぐーたらダラダラしてみる」
「脳みそを休ませる」

「本は読んじゃダメ」

このケアリストさんとの出逢いが、私の転機となった。

最近は自分の好きなことや
興味のあることをひたすら探しているのだけど、
共通するのは「発信者」でいたいということ。
HSPならではの感受性を使って
出来ることがあるような気がするんだよね…。
人の役に立ちたい思いも人一倍あると思ってて。
こういうことを考える時間は楽しい。
(2020年6月27日 from: Twitter)
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」の歌詞の意味が
ずっと分からなかったんだけど、
廃れた生活を送る中で
甲本ヒロトという人物の優しさが
スっと降りてきた。
世間体が醜くかろうと
強さ美しさ潔さってのは
根っこの部分に存在してて、
あ、なんか生きてていいのかもな、って
少しだけ思えた。(2020年6月28日 from: Twitter)

6月末。少しだけ、目線が上がった。
私のツイートから、ネガティブな発言が減ってきた。

文月

Twitterで、HSPのアカウントの方との
繋がりが増え始めた。

何がきっかけだったのか、
今となっては分からないけれど。

Twitterでやり取りをする相手が
少しずつ増えてきた。


* * * * *

そしてこの月、精神科を転院した。

この転院も
大きなターニングポイントの一つとなった。

6月まで通っていた精神科は
先生との相性が合わず、
「我慢して薬だけ貰いに行く場所」だった。

……尤も、ここ数年はことごとくドクターとの相性が合わず
転院の繰り返しだったのだが。

久しぶりに
「私の話を聞いてくれる」先生と出会った。
薬のことを、真剣に話し合ってくれた。

少しずつ、少しずつ、好転、してきた。


* * * * *

ケアリストさんは
私に色んな知識を与えてくれた。

満月や新月が身体にもたらす影響。
風の時代のこと。
スピリチュアルなことを、いくつもいくつも。

この人が
私を、呼び覚ましてくれた。


* * * * *

私の1年を振り返る上では
このことも避けては通れないのだろう。


7月18日。
三浦春馬さんが、自死、された。


きっと彼は
エンパスさん、いや、逆エンパスさん
だったのじゃないかと思う。

そうでなければ
こんなに私の胸が痛むはずもなかった。

突然舞い込んだ訃報は、私を錯乱させた。

数名のフォロワーさんに話を聞いてもらって
気持ちが落ち着きました。
SNS上では病気の部分を話してるから言えちゃうけど、
実際の友人にはどこまで話せるか分からない。
みんな1人か2人、本音で話せる相手を見つけてね。
相手がいなければ私がする。
自分が救われるために。
相手の異変に気づけるように。

あれだけ交友関係も広そうで愛されてきた方は、
どれだけ自分の不安や弱さを
さらけ出せる相手がいたのだろうと思うと無念で。
誰か、誰かが引き止めれなかったのか、と。
(2020年7月18日 from: Twitter)

上がりかけていた気持ちが、下方に引っ張られていた。

昨日から人との距離のはかりかたが分からなくて、
戸惑い、泣いてしまいます。
昨晩の同期との電話は
眠剤で寝ぼけまなこの時間帯だったので、
朝になってダメージ受けちゃって。
せん妄に近い状態で
色々喋ってしまったことを深く後悔してます。
人付き合いの自信をまた一つ無くしちゃった。

昨日から、錯乱していて。人を頼ろうとして。
怖くなって、突き放して。
呆れられて、失望されるくらいなら、
いっそのこと、最初から関わらない方がいいのでは、と。
(2020年7月19日 from: Twitter)

私の休職を知った同期が。
𠮟咤激励の電話を掛けてきたことがあった。

「お前は本当に自分のことを話さないよね」
叱られて。

「お前はキャリアアップする人間だから」
「早く戻ってこい」
激励の言葉は、この時の私には、
痛く突き刺さった。

私の持つ孤独や闇の深さなんて
身近な友人に話せるわけもなかった。

だからいよいよ、近しい人間には
心を閉ざした。


だけど。Twitterでは本音を話せる子が
ぽつぽつと増えてきた。

ああ。思い出した。
この頃は人と会話をすることがほぼ皆無に等しく。
声が掠れて出なくなった。
そんな月でもあった。

葉月

8月に入った。

母が「ケアリストさんの所に同行したい」と言い出した。
様々な不安が頭をよぎったけれど、断り切れず。

母はスピリチュアルなことは受け入れない人で
どう転ぶのかが分からなかった。

ケアリストさんと「母はこういう人物です」という
入念な事前打ち合わせのもと、
3人で会話することとなった。

母を交えての会話で興味深かったのは、
私の記憶にない幼少期の話が出来たこと。
私は自家中毒になることが多かったらしいんだけど、
HSCに見られる特徴の一つらしい。
「娘さん、HSPの中でも重度だから色々しんどかったはずですよ」と
学校を休みたがりだった
子どもの頃の私まで救ってもらえました。
(2020年8月7日 from: Twitter)

結果は「吉」と出た。
「こんな素敵な人が近くに居てくれたら安心」、
母は私にそう告げてくれた。


* * * * *

ケアリストさんに、どんどんスピリチュアルな方へ
開眼してもらうことが続いた。

8月上旬は、頭痛や眩暈、猛烈な眠気に襲われていた。
周りの人が(これまでより)一気に嫌いになった。

8月8日。ライオンズゲートが開く時。
この前後は、強くその影響を受けていた。


* * * * *

ケアリストさんから
あなたはライトワーカーで、文章を書く人。
そう教えてもらったのもこの頃だった。

それまで「不要だ」と思って数年使用していなかった
壊れていたパソコンを買い直した。

「スマホとタブレットがあれば十分」と思っていたけれど
パソコンがあることによって、文章が書きやすくなった。

noteのアカウントを作った。
記事を下書きするも、どんな風に書けばいいか分からず。
何本か、下書きには8月の日付の記事が眠っている。

* * * * *

8月は、浮いたり、沈んだりの月。

料理が楽しくなり、パソコンの前で調べものをしては
図書館に行って、借りてきた小説を読み耽った。

多い時は1日で4冊の本を読み終え、
また次の本を借りるために、足繁く図書館通いをした。

方や、眠れない生活が続いていた。
病院で処方される睡眠導入剤は、
全く眠気を運んでこなかった。

3時に眠れたら早い方で。
明け方6、7時になって眠りにつく日が続いた。

「昼夜逆転」、規則正しい生活を送れないことの不安。
社会から落っこちてしまったという感覚が
私を強く苛むことになった。

この時は、10月の復職を予定していて。
生活リズムが狂ってしまうことは
社会生活の復帰の困難さを暗示しているように思えた。

長月

来月、仕事復帰する。
そう思ったら、不安がこびりついてきた。

8月下旬は「眠れない」という一点だった悩みが
「頭痛」「腹痛」という症状も重なってきた。

9月は、通っていた精神科で
初めてカウンセリングを受けることになる。

朗らかな女性のカウンセラーさんが
ニコニコ微笑んだり、一緒になって怒ったりして
私の話を聞いてくれた。

この人は、頼れる人だ。
直感的にそう思った。

そして、このカウンセラーさんと相談の上
休職を12月まで延長すること、とした。

まだ休んでいいんだ。
そう思ったら、ふわり。肩の荷がまた下りた。


* * * * *

9月下旬。半年ぶりに美容室に行った。
半年も、髪を切っていなかった。

3月から激変した生活を改めて感じた。

月1の美容室、ネイルサロン、フェイスエステ。
まつ毛パーマやまつ毛エクステ。造顔マッサージ。

去年までは、色んなところに足繁く通っていた
あんなに、美容オタクだった私が。

人と会わなくなったことにより、
こんなにも身なりに気を遣わなくなってしまった。

溜め息が漏れた。

半年ぶりに短くした髪は、
気分を少しだけ上げてくれた。


* * * * *

パラダイムシフト。
価値観や世の中の流れが大きく動いていく時期。
耐えられなくなる人が続出してしまう時代だから、
せめて「この1、2年の辛抱」だと
思いとどまってほしいなぁ…。
自戒も込めて。
(2020年9月27日 from: Twitter)

呟く内容は、自分に向けて
そして、外に向けて、のものが増えてきた。

神無月

私の中で、風の時代に向けたアクションが
大きく動いた月となった。

「質問箱」を作成し、noteの記事を初投稿した。
そしてInstagramのアカウントを作り直して投稿を始めた。


最初に投稿したnoteの記事が、コチラだ。

noteの書き方が分からなくて、悩んで。
2か月間眠らせた上で
何回も書いては消して世に送り出した、そんな記事。

「他人に理解されないものを抱えて生きること」
これが、私が世に送り出したいと思った、最初の記事だった。


* * * * *

趣味だった珈琲が
少しずつ楽しくなってきたのもこの頃だった。

神社参拝をして、神様のメッセージを感じることも
日常の一部と化してきた。

少しずつ、少しずつ。動き出した。


* * * * *

10月8日。
この日、私はとあるフォロワーの女の子にDMを送った。
たわいもない話で。

その会話の中で、彼女がこう言った。

いつかChakiさんとツイキャスとかでもいいので
飲み会してみたいかもです

ツイキャス
その存在は知っていたけれど、
私にとっては無縁の世界だった。

友人とのZoom飲み会でさえ嫌厭していた私が
全く知らない子と公開配信で会話するなんて。

そんなの、誰が聞くの?というのが
最初の正直な感想だった。

しかも彼女はひと回り以上年齢が離れていて
共通の話題があるようには思えなかった。

でも。「風の時代」というワードが頭をよぎった。
オンラインで、繋がること。
せっかくの好機だと思い直した。

いくつかのやり取りの上で
10月下旬に、ツイキャスをしよう。
彼女と、そう約束した。


* * * * *

その連絡は、突然、来た。
10月中旬、母から祖母の容態が良くないと聞き。

10月22日に「今夜がヤマ場だ」との連絡があって。
10月23日。祖母は帰らぬ人となった。

例のウイルスに阻まれ、
半年以上面会できなかった中で
祖母は静かにその生涯に幕を閉じた。

5、6日ほど実家に戻り。
バタバタとした時間を過ごした。

冠婚葬祭にトラブルは付き物で。
色んな身内の機嫌を損ねないよう奔走した。
両親の疲労の色も激しく、私はそのケアに回った。

祖母の死は言うまでもなく辛いものではあったけれど
思ったよりメンタルの回復は早かった。

この半年で、良くなってるのかもしれない。
少し、そう感じた。


* * * * *

そして10月31日。
約束していた女の子とのツイキャスが始まった。

この時のことは、あまり覚えていない。
ただ「雪崩に襲われた」ような感覚を受けた。

そこには彼女のフォロワーさんがたくさん居て。
私の知らない方ばかりだった。

ツイキャスで会話をしている最中に
スマホからTwitterのフォローの通知がどんどん届く。
その場にいた人たちが、
続々と私のフォロワーになっていった。

こんな…世界、なの???!
戸惑いと、嬉しさが、相挨った。

この日の突風が、
私の生活を、また大きく変えていく。

霜月

一気に増えたフォロワーさんは
どんどんその繋がりの輪を大きくしていった。

永くTwitterをやってきたけれど
これまで実際にリプライのやり取りをする相手は
ごく限定的だった。

その輪が。ツイキャスで繋がった縁を通して。
グン、と広がったのだった。

私のリプ欄が、色んな人の名前で
埋められるようになってきた。

推進力が、増してくる。


* * * * *

導かれるが、ままに。
そんな思いがどんどん色濃くなってきて。

ある日、急に思い立った。
「天照大御神に会いに行ってみよう」

私も。天岩戸をこじ開ける時が来ている。
これもまた、直感的なものだった。

どんどん、日を追うごとに。
自分の直感に、感性に、正直になってきた。
いいものをキャッチするセンサーが強くなってきた。


* * * * *

11月のTwitterの投稿を見てみたけれど。
ネガティブなワードが、消失していた。

ふざけた投稿をしては、
キャッキャと笑い合う機会が増えた。

Chakiさんって、これまでのツイートを見たら
もっと真面目な人かと思ってたよ。
この月は、そんなことも言われた。


今振り返って思う。

ここに来るまでのツイートは
「自分がいること」の存在証明だった。

ちゃんとご飯を作って食べました。
部屋の掃除をしました。

きちんと生活を送っていることを
誰かに見ていてほしかった。

だってね。休職するようになってからは
LINEなんて届かなくなって。電話も来なくて。

Twitterで発信でもしない限り
「私が生きていること」はどこにも伝わらなかった。

ここで。呟いて。写真を投稿して。
それに「イイネ」をもらって。
それで辛うじて、繋ぎ止めてきた。

私を見つけてくれた人がいて。
光のチカラが。強くなってきた。


―そして、ツイキャスでみんなと会話することは
気付けば日課となっていた。


* * * * *

noteにおいても、大きな出逢いがあった。

noteを始めた当初は予想だにしなかった
他のクリエイターさんとの出逢い、があった。

ここで人と繋がるなんて。
私を見守ってくれる人が、ここに居たなんて。

追い風が、どんどん、吹いてくる。

師走

「師も走る」師走。
今月のことは、正直あまり覚えていない。

家に一人で籠っているにしては
あまりにも忙しく、充実した日々を過ごしていた。

noteに記事を投稿するのが
ルーティンになってきた。

「よくそんなに書くことがあるね」と言われるけど
私の中から溢れる言葉は、とどまるところを知らなかった。

変化、変化、変化、の1か月。

「オンラインゲームしてみない?」と誘われては
いそいそとアプリをダウンロードして
どんどん新しい世界を拡げていった。

(Twitterで海外フォロワーさんと仲良くなって
語学力が上達してくれないかなァ…)と
ぼんやり妄想を抱いていたのだけど、
一人でオンラインゲームに突っ込んでいったら
驚異的なスピードで英語のスラングを習得していってる。
(2020年12月8日 from: Twitter)

躊躇することがもったいない。
そう思うようになっていた。

導かれるがままに。声の呼ぶ方へ。


「決して悪い方にはならない」という
妙な自信、確信があった。


クリスマスイブ。
気付けば、10月最終日に出会った人たちと
げらげら笑いながらZoom飲み会をしていた。

春に、私には無縁だと思っていたZoom飲み会を。
見知らぬ人たちと楽しむ日が来ようとは。

その画面越しに、私を見つけてくれた人たちが
「実在」していることを知った。

嬉しさと愛おしさが、溢れる。


* * * * *

私のラッキーは止まらない。

noteでも、更にクリエイターさんたちと繋がった。

他の方が企画される【コラボ企画】にて私が詩の朗読をすると
面白がってくれるTwitterの友人がちらほらと出てきた。

書くこと。話すこと。発信すること。繋がること。
そして、人と人を結ぶこと。

私に出来ることが1つ、また1つと増えていく。


* * * * *

そして、大晦日を迎えた今日も、
1日パソコンの前で忙しくしている。

おせち作り。年末の大掃除。
そんなものは全て放棄して、この記事を書いている。
これが今の私にピッタリの大晦日だ、と思いながら。


なぜかここ数日、
Twitterのフォロワーさんが急に増えた。

Chakiちゃんって変な子だね!
初対面の人に、そう言われるようになった。

「そんなことないよぅ」と口を尖らせては
ふざけたコメントを返し、遥か彼方で笑っているであろう
フォロワーさんを思い浮かべてはニヤリとする。

1年前の私は、想像だに出来ないことだった。

noteを書いては、Twitterでリプを返す。
これが私の、私らしい、1年の締め括り方となった。

* * * * *

皆さん。私ね、この1年でここまで来たよ。
みんなのおかげで毎日笑ってます。
毎日笑っているし、毎日嬉し泣きしています。

それほどに。日常に愛が溢れる環境にやって来ました。
私もちょこっと頑張ったけど。
皆さんが、この環境を作ってくれました。

私って、こんな人間だったんだ。
オンラインで出会った皆さんが
たくさんの気付きを与えてくれました。

読んでくれている方の中には
今年頭の私と似たような状況にある人もいると思うの。

私、ここで分け与えてもらったエネルギーを
どんどん増幅させてるから。

だから、あなたも私に教えてください。
助けを必要としていること。
そしてどうか、私と繋がってください。

今の私なら、あなたの力になれる。

2021年

あと数時間で、年が明けます。

年明けには仕事復帰が待っていて、
不安は尽きないけれど。

Twitterで「お帰り」と言ってくれる人が出来たから、
どうにか前に進めそうです。

年明けには、noteで繋がったクリエイターさんとの
オンライン朗読会にも参加を予定しているので
どんな出逢いになるんだろうと、
今からワクワクしています。

きっとまた、楽しい1年になる。
これは、間違いようのないもの。

* * * * *

ようやくnoteの執筆も終わりました。

今夜はZoom飲み会の予定です。
最近出会ったばかりの人たちと
この1年を振り返って、笑おうと思います。

大好きな日本酒を片手に楽しんでくるね。

それでは皆様、よいお年を。

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