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もしかしたら、足がすくんだその先に未来が待っているかもしれないから

皆さま、大変お久しぶりです。

ちょうど今年の桜が咲く季節を目前にした頃、急にnoteの街に現れなくなってきたruriと申します。
私のnoteは初めましての方には、真っ白しろ、まるでどんな人かわからないnoteになっていますね。
(今後、皆さんのnoteへの訪問、自分の過去記事公開を含め徐々にnoteに戻ってこられたら、と思っています。)
そんな私を覚えてくださっている方には大感謝です🙇‍♀️

最近は時間に余裕がなく、大切な皆さんのnoteを拝読することもなかなかできず、今までの自分の記事も非公開にしてしまい、noteを休むのか止めるのか、なんだこいつな状態。
(一度は一旦noteをやめようかと考えたりしていました。)
にもかかわらず、気にかけてくれる方がいること、とっても嬉しく受け取っています。
コメント等で声をかけて頂けることがほんとにしあわせです。ありがとうございます!

さて、私はなぜ、こんなことになっているのかと少しばかり話させてください。よろしければお付き合いくださいませ。
かなりまとまりがない乱文になります。

まず、今まで生まれ育った場所を離れる決意をし、新たな場所で生きていくために、求職や引っ越しのため遠距離移動を繰り返す日々を今過ごしています。
もうどうなることやらと思う中に、やっと今、なんとかかんとか、それらがどうにかなりそうです。

今いるこの場所は、私にとって愛着もあり、大切な地。
であると同時にここ数年、人間関係を初めいろいろなことが、立ち行かなくなってきました。
何が原因かわからない。ただ何もかもが噛み合わない。フィットしない。
誰かが悪い訳でもなければ、自分が悪い訳でもない。
ただただ、自分に合わないようになってきた。
これからの人生、ここじゃないんじゃないか、そう思うようになっていました。
とは言え、慣れ親しんだ場所を離れて1人でやっていくと決め切るのは中々足がすくんでこわかった。
だから、自分との同じような対話を何度も何度も繰り返しました。

"この場所を離れたい。
でも慣れない街で暮らすこと、本当にやっていける?"と。
何よりも両親は私が遠くに行くことを、良いようには言わなかった。
(それは両親が悪いと憎んだり責めているわけではなく、ある意味当たり前のことかもしれません。)
また、身体の持病もあり身体が思うように動かなかった。

でもその全てが必要だった。
遠回りしなくちゃわからないことが沢山ありました。
雨露をしのぐ場所があること、身体が健康であること、生活を支えてくれる仕事があること、ライフラインがあること
などなど、自分が"当たり前"と思っていることにも気付かないほど、日々沢山の"当たり前"を与えられている自分であること。
何よりも自分のほんとの気持ち。

今生きている自分が、いろいろな方面からいろいろな方法で、人に、ものに、自然の恵み等に支えられて初めてここにいられるという実感。

だから、大変だけど、全てがその大変を上回る感謝が追いかけてきて結局は泣きながら笑ってたり、喜んでいる。

シンプルに、生きてるってすごいんだって今心に刻んでいます。

もし、大変じゃなかったなら、私はそれを当たり前なんかじゃなく、誰かや何かによって初めてもらってる大切なものと気づかなかったでしょう。
職がもし見つからなかったら、もし住むところが見つからなかったら、そういうことがよぎったから、有り難さが身に沁みる。

これから新しい地に行きます。
これからも"大変"がつづくでしょう。
大きく変わるのは、相当たいへん。

でも、私は足がすくんだその先に進んでみてよかった。
これからもこの道を引き続き、前に進んでいきます。

またこちらにて、皆さんに聞いていただく話もあるかもしれません。

以前の自分が記事をどのように投稿していたのか、もう忘れてしまいました。笑
遠い昔ではないのに。

ぐるぐる考えてしまう自分を、ちょっと捨てて、思い出は大切にしながら、あまり振り返りすぎず、待ってくれている明日に希望を持っていたいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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