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北朝鮮:“名門大”に行くまでのルート解説(平壌演劇映画大学シリーズ②)#62

こんにちは。

私は、月曜日の朝にnoteの記事を書くと決めています。
子どもを保育園に送った後、近所のスタバに陣取り、ハワイアンミュージックを再生するところから1週間のスケジュールはスタートします。

なぜ、ハワイアンなのか。
24年ほど生活した北朝鮮の音楽は、金一家や革命などのワードが頻繁に出現する激しいものでした。ハワイアンは音楽のテイストが緩〜く穏やかで、とても心が落ち着くのです。
普段は幅広い音楽を聴きますが、作業用BGMとしてこれを超えるものはないと思っています。

さて、今日もハワイアンを聴きながら、先週の続きを書いてみようと思います。

私が平壌演劇映画大学に行けることになったのは、今になって振り返っても”運命のイタズラ”としかいえない出来事でした。

高等中学校5年(北朝鮮は中高が一体化になっていて6年間)が終盤に近づいた頃、私の卒業後の進路について両親は悩んでいました。

以前も書いたことがありますが、私は体調不良により高等中学校3年の1学期まで学校にほとんど通えなかったのです。

3年生の2学期あたりから、ぼちぼち通学するようにはなったものの勉強についていけず、英単語の試験などは隣のクラスメイトの答案を盗み見することもありました🤪
悪いことだとわかってはいたのですが、私は学校に行けない期間が続いていたから仕方がないと開き直っていました。

当然、クラスメイトもそのことに気づいています。
北朝鮮の全ての人々は、週に一度は生活を振り返り、その後にお互いを批判するという決まりがあります。その時間に私は一部のクラスメイトから批判されることになりました💦

そこで羞恥心を覚えた私は夜遅くまで勉強し、少しずついい成績を取るようになっていきます。
特に理数系の科目は、高等中学校4年生の2学期にはかなりいい成績を納めるようになり、得意科目になっていました。

そして、北朝鮮で何より大切なのは金一家の革命歴史、革命活動の歴史。ただ、こちらは小学校から内容にほぼ変化がないため、年代表などを丸暗記で問題ありません。
私の成績は最下位から少しずつ上がり、それが楽しくて成績にこだわるようになっていきます。クラスメイトからも「途中まで学校を休んでいたのにすごい」と言われるようになりました。

ただ、どうしても苦手だったのは英語の文法です。
英単語は覚えてしまえばいいのですが、文法は理解しないと正答が導けません。克服できないまま卒業になってしまったのでした。
今も英語に対する苦手意識は根強いままです😅

そのため、入試に英語の科目がない大学を聞いて回ったら、美大だと言われました。私は小さい時から絵を描くのが好きだったので”これだ”と思い、平壌美術大学に行きたいと両親に告げました。
しかし、両親は”今まで美術をやってこなかった人間が美大に行けるわけがない”、”卒業後はどうやって生活していくのか”と反対しました。
両親は1〜2年浪人しても、住んでいた地域の医大に行ってほしいと考えていたのです。しかし、当時の私は医大は行きたいと思えませんでした。
(今考えると、両親のアドバイスの真っ当なこと😅)

ちょうどその頃、私が住んでいた家の近くでTVドラマを撮ることになりました。
古くて汚い旅館の一角を借り、多くのスタッフたちが数ヶ月に渡り泊まり込んでいたので、友達と何人かでそこに遊びに行きました。

俳優もカメラも不思議。

それがその時の印象でした。好奇心を刺激された私は、休日や放課後に(時には一人で)何度も遊びにいきました。

TVドラマ主演の新人女優は私より2〜3歳上でした。
何度も行ったせいか少しずつ仲良くなり、私の家が近かったこともあって遊びに来るようになったのです。後ほど分かったのですが、彼女は平壌演劇映画大学ー俳優学科の3年生で、大学のトップ2(個人情報のため詳しい情報は省きます)に入る幹部の娘でした。
彼女は旅館の環境が劣悪すぎて辛かったようで、撮影がない時は家に来て食事をしたり、くつろいだりするようになりました。

人の縁って不思議ですね。
何の意図も、作意もないこの一件が、私を思わぬ場所に連れていくことになりました。

彼女に自分の進路について相談をするような場面も訪れ、そこで私は平壌演劇映画大学に扮装(=特殊メイク)学科があることを聞きました。そして、映画大学の扮装学科の入学試験は金一家の科目と簡単な美術試験、体力試験、面接のみだと知ったのです。

映画大学に特殊メイク専門の学科があるというのは、平壌に長年住んでいた人でも預かり知らぬことでした。
とはいえ、秘匿されていたわけではない(私は入学後にベラベラと自分の所属をしゃべっていました)ので、理由は単に特殊メイクが裏方であることと、その生徒数の少なさにあると思います。
彼女とのやりとりで偶然耳にしなければ、私がその情報を知ることはなかったでしょう。

撮影が終わった彼女は感謝の言葉を述べながら、「平壌に来た時は遊びに来て」と住所を書き置きして帰りました。

その後も彼女とは時々電話をするような間柄が続き、1年ほど経った頃に私の母が彼女の家を訪ねることになります。私が卒業間近の時でした。
彼女の両親は“娘がお世話になった”と歓迎してくれたそうです。

母はそこで、
・扮装学科は隔年で学生を募集するが、現在は平壌在住者のみ対象
・次の募集では地方枠(1人分)が新設される予定である
という情報を仕入れます。

また、平壌には多くのお金持ちが住んでいて、結婚式などのメイクアップはそれなりに良い報酬を得られるため、人気の職業であるいう噂も耳に入ってきました。

北朝鮮には移動の自由がないため、他の地域に行くには「通行証」というものが必要です。
特に平壌に行くには特別な「通行証」が求められ(賄賂も高額)、地方在住者にとって平壌の生活は、未知のものであると同時に憧れでもありました。

母はこれだと思い、私に高等中学校の卒業後に2年間、美術の先生にお金を払って個人レッスンで勉強させてくれました。

【豆知識:北朝鮮の大学入試について】
学生の募集については、各地域の役所に学生課という部署があり、毎年そこに朝鮮中央党の教育部からあらゆる大学の学部・学科における入学枠が通達されます。

その中で自分の希望に近いところを選ぶわけですが、応募が多い時は(もうおわかりですね)賄賂が有効です🤩各地域に割り当てられた枠をもとに高等中学校の先生たちが推薦するということになります。

高等中学校の最終学年に大学へ進学したい人向けの共通テスト(かつてのセンター試験)のようなものがあり、一定の成績を納める必要がありますので、それなりに勉強が必要です。
まあ、それすらも賄賂があればどうとでもなってしまう世界ではありますが…

北朝鮮の大学進学率は15%です。その中で浪人者は「現職生(ヒョンジクセイ)」と呼ばれ、枠が少ないため特に大学進学は厳しいです。男性が浪人した場合、進学先が決まらなければ即、軍に入隊となります。義務徴兵制度のため、10年以上を兵役に服することになります。

それから1年半ほど経ち、映画大学の幹部が私の地域に扮装学科の枠を出してくれました。
えぇ、母がその方に数百ドルの賄賂を差し上げたことは内緒でございます😅

私が住んでいた地域でその枠について知る者はほとんどおらず、競争相手はゼロです。役所の担当者にも賄賂を払って、その枠をあっさりとゲットしてしまいました。
当時、私の身分は現職生(浪人生)だったのですが、公式プロフィールは高等中学校”在学中”に修正させていただきました。賄賂で。

北朝鮮では高等中学校や小学校の時に親の都合で子供を1〜2年留年させることは多くあります。これを北朝鮮の方言では“ムッゴタ”といいますが、当時の私は“2年ムッゴタ”ことになります。

大学の入試は簡単なものでしたが、一番大変だったのは体力試験。広い運動場を一周するもので体力がない私にはとても大変でした💦

大学に行ってから知りました。私はリーズナブルな賄賂(?)で大学にたどり着いたことを。平壌在住者が一般的なルートをたどった場合の半分以下の金額だったと聞いています。
そして美術試験では私が一番いい成績を取ったと言います。おそらく美大と違い、美術を専門にしていない人がほとんどだったからでしょう。

いろいろなことがいい方向に動いて、そもそも片田舎で育ち出身成分(階級)も悪い私が映画大学に入れたことがあり得ない奇跡なのですが、良いことばかりは続きません。

もともと、階級が違うのです。
分不相応な大学に入学してしまった私には、過酷な運命が待ち受けていたのです…(つづく)

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前回の記事では”学生生活や退学に至る経過などを書く”と前振りした気がしますが、入学したところまでしかたどり着けませんでした😭

もし期待してくださっていた方がいたら、申し訳ありません。
(どこまで進めるかわかりませんが)次回をお待ちてください。

では👋。

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