見出し画像

日記

スマホアプリに日記が10年分溜まっている。
毎日書いているわけではない。

思いついたら書く。

毎日書いている時期もたまにくる。
しかし、書くことが自分の中で義務になっていることに気がつくと
途端に冷める。
そこで一旦辞めてしまう。

またなにか書きたい出来事があったら、書き留める。

そんなこんなでいい加減に続けていたら、気づけば10年分溜まっている。
書いてない時期も多いけど、
それでも見返せば過去の出来事に再会する。

特に自身の恋愛に関しては、感情露わに書いてある。
随分と忘れてしまっている出来事や感情のことが多く記されており、
正直、読み返すと小ゲロを吐きたくなる。

その日記の中で時に私は映画の主人公のごとく熱く、
時には悲劇のヒロインとなって、思いの丈をぶちまけている。
正直、読み返すと大ゲロを吐きたくなる。

ただまぁ、今よりもっと幼かった自分の書いていることだ。
読み返すと自分のことながら甘酸っぱく感じるようなことも書いている。
もはや他人の恋愛話を聞いているような気分にならないこともない。

ただ、直後に猛烈に苦い思い出が脳裏を横切るので、やっぱり他人の話ではない。
思い出した恥ずかしさに、
私は部屋においてあるサメのぬいぐるみを抱いて、
ジタバタするしかなくなる。

日記には他にも様々なことが書いてある。
楽しいことばかりじゃない。
むしろ楽しくない、嫌な感情のほうが日記に溜まっている。

昨日見た変な夢の話、
モヤモヤして放り投げられないままの気持ち、
何があったわけでもないのに不安にかられた夜のこと、
思い出したくもない失敗、
悲しい別れに、
失望したこと、させたこと。

たくさんの感情が、思惑が真っ直ぐに書いてある。

そんな日記を、読み返したくない気持ちも反面に持ちながら、
たまにベランダで酒を呑みながら読み返す。

そして、思うのだ。

過去のことが詳細に思い出せたって良いことなんて何もない。

あの日の後悔が、あの日の熱量のまま、目の前に再現される。
鬱陶しくてたまらない。

なのに何故、書き続けているのだろう。
なのに何故、読み返すのだろう。

なぜなら、きっとそれは、
人間という奴が日々の出来事をどんどん忘れてしまうからだ。

どんなに熱量のあった気持ちも。
どんなに憎らしく思った気持ちも。
どんなに焦がれた気持ちも。
どんなに大切だった気持ちも。

行った場所、食べたもの、会った人、話したこと、感じたこと。
多くのことを忘れてしまう。
忘れたくても忘れられないことがある一方で、
忘れたくなくても忘れてしまうことがある。

そんな「過去」が重なり合うことで、人は形作られているはずなのに。
忘れたことにすら気がつかないで、そうして新しい日を迎える。

だから、私は、なんだかんだ言いながら過去を見返しているのだと思う。
私が、私自身が、どんな人間であったのかを確認するために。
そのために思い出したくもない、それでも忘れたくない、
アンビバレンツな感情に付き合うために。
私は、日記を書き、書くのを辞め、読み返し、また書き出す。

-----------------------------------

そして、どんなに格好いい風を装っても‥
恋愛のイタく、恥ずかしい思い出は、正当化出来ない‥
できるかなって思ってnote書いたらこれだよ!

色々思い出したので、
今夜は枕に顔を埋めて、ジタバタしながら寝る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?