残夏

 残夏(ざんげ)という言葉がある。
 それはよく、晩夏の昼下がりに現れる。
 南東の低い空に、取り残されたままの積乱雲。秋風に混ざる一筋の熱風。蝉が鳴くはずだった、九月の無音。
 根元から枯れていく庭の胡瓜の蔦は、その葉先をまだ青々と残して虚しく空を目指している。互いに絡まりあいながら、とうとう枯れゆく蔦を見て、私は何となく安堵する。
 夏が死ぬ。夏を殺す。強烈な生命力で空を覆う季節は、やはり瀬戸際も鮮烈らしい。終わりゆくものには価値を。終わりのないものには禁忌を。そうしなければ、私たちはとても生きることに意味を見出せない。
 
 午前五時、まだ日は登らない。暗い廊下の先、玄関の摺りガラスからぼんやりと、外の青い空気が滲んでいる。灯りがなくても歩けるが、文字を書くには暗すぎる。寝息に静まった部屋は寒く、八月のぬくもりは寝覚めにつたう、疎ましい首筋の汗とともに風に霧散した。
 今夜、嵐が来る。夏への餞に、ひと踊りして見せるつもりなのだろう。部屋に残る夜の空気。
 五時五分の窓辺、八月と同じ涼風。路肩から消えた、空を仰ぐ蝉。

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