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planetary ×××

――彼らは、いつかずっと前に自分が、だれかに支えられていたことを忘れてしまった。

 4つの楽器と、4人の人間を積み込んだ狭い車内。外は夜の海。オレンジ色に輝く電燈が彩る長い吊り橋を、車は走り続けている。
 橋の行く先、海の向こう側には、これから我々の向かう小さな陸地が、イモリの背のように黒い姿でごつごつとした輪郭を夜空に浮かび上がらせている。そこにぽつりぽつりと、星より頼りない灯りが陸地の海岸に沿うようにして転がる。十三夜を過ぎた月は冷たい風を吹かせ、雲を空の端へ押しやり、星を消してゆっくりと歩いた。のっぺりとした藍の底にあるのはもう満ちる月ただ一つ。

 助手席のギタリストは望遠していた。彼は次の新月が来る頃に、名前のない黒いエレキギターを携えて海を渡る。遠い遠い場所へ行く。わたしには彼が、あの海に浮かぶ白い月に行くように思えてならない。
 あまりにも遠い。

 運転席に座るトランぺッターはステージから降りたときから、少し消沈していた。祟った身体の不調によって冷静に――不必要なまでの冷徹さで己の演奏を分析してしまったという。「熱」を欠いた演奏のつらく惨めな気持ちがわたしには少し分かるような気がした。分かるような気はしたが彼とわたしの水準は大きく異なっていることだろう。
 調和を一瞬でも乱すことへの恐怖、スポットライトの強烈な明かりの隙間から見える客席。彼はステージの最前線で戦っているのだ。その背中が苦しそうに震えていたのを、流れていく路灯に照らされて思い出した。

 トランぺッターの沈鬱を汲んで、ギタリストは将来の話をした。先立つ尊敬する人のこと、それに向けられた心無い言葉。彼は、とても丁寧な人だった。誰かからの施しを、決して忘れない人だ。彼の生き方は堂々として表情豊かであった。
 橋はようやく終わりを見せ始めたことに気づいた。振り返れば均等一直線に並ぶ道灯りが、橋の始まりへ吸い込まれていく。静かな寝息。月はもうすぐ南中する。

 ギタリストの後ろに座るサクソフォニストは、この旅ですっかり疲れ切って眠っている。ステージでの彼は素晴らしかった。わたしの音を聞けと言わんばかりに高々とサックスを掲げる大胆な動きで聴衆の目を集め、ベルの先から激しく、快活で、時に艶めいた音を絶やすことなく溢れさせた。
 あらゆる楽器はその瞬間、瞬間に奏でられる調べの、数多ある未来の可能性を提示している。誰かの示した可能性を手繰り寄せ、乗じ、唯一無二の旋律は花火のような一度きりの姿を形作っていく。未だ来ない0.5秒先へ、提示される未来の一つを選択し、重力のない宇宙で指揮を執るのは、彼の饒舌な表情であり、喋々しい指先であった。彼の指は宇宙空間を進む路を指し示し、わたし達に重力を授ける。
 お喋りな彼が眠ってしまった今、前席に座る二人の声だけが、車の中でぽつりぽつりと心地よい。
 時刻は午前一時だった。ちょうど十二時間前に演奏した音が頭の中で跳ねまわる。
十六分音符が詰め込まれた小節。3―4―3―3―3
3―4―3―3―3
3―4―3―3―3……

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