湯屋に詠う-勝どき湯-
正しくは知らないが、匂いと臭いは不快に感じるかどうかの違いで使い分けるという話を聞いた。
香水の匂い
卵の腐った臭い
自分から発する臭いは本人がなかなか気づき難いともいう。加齢臭、口臭、体臭。
見えない敵と戦いながら今日も湯屋ではカランしかりサウナしかり、どこかでそんな臭いとも人々は戦っているのである。
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勝どき湯
中央区の南部に位置し、月島や築地、銀座は勿論、湾岸エリアのアクセスも良い。高層マンションも多く並びファミリー層が中心で、スーパーやコンビニも多い。
そんな勝どきで一見、周囲と同様のマンション。ただここの地下には銭湯がある。
住民用のエントランスとは別の入り口から階段を下ると、広い受付と下駄箱。感じの良いスタッフの挨拶にはいつも気分が良くなる。
そういえば、はじめて此処を訪れたとき、何も言っていないのにオリジナルのタオルを貰った。何かのイベントだったのか何のか未だにわからないし、それから数十回訪れていても同じようなことはない。ただこの街で一人暮らしをはじめて間もなかった自分には「ようこそ」と言われた気分になった気がして、とても嬉しかった。
受付で検温と有事の際の連絡先を記載して、ロッカーのカギを貰う。使った後はスタッフが丁寧に消毒してくれているのには頭が下がる。
脱衣所は洗面所が二つ、有料のドライヤー、それに最近置かれた昔ながらの体重計にロッカー。どれくらいが最適なサイズなのかはわからないが、浴場のサイズにマッチしていると思うし、コロナ禍の後は上手く入場コントールをしてくれているので、大混雑ということもない。
ただ最近では若者が集って訪れる光景がこの銭湯にも見え始め、やかましいなと思うのと同時に自分が歳をとったことを思い知らされる。
浴場には浴槽が二つ、熱めの浴槽と水風呂。洗い場は立ちシャワー二つのほかに20ほどあるが、現在は距離を置いて使うようになっているし、サウナももう休止になってから随分経つ。
サウナがなくても温冷交代浴はこの銭湯でも人気で、老若問わず、しっかり冷えた冬の水風呂に足を入れる人が多い。
桶は黄色いケロヨン桶。勢いが良い蛇口からお湯と水をバランスよく注いで手ぬぐいを浮かべると、なんとも良い気分になる。並びにお父さんに連れられて初めてきた子供が壁に固定されたシャワーヘッドに触り首をかしげている。そう、こういうのもあるのだよ。
少し熱めのお湯はジャグジーがきいていて、その勢いで浴槽のなかで円を描くように僅かな流れがある。あまりジャグジーの勢いを受けない手前の壁際が私のお気に入りだ。
目を瞑り10分ちょっと失礼することにする。
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加奈に詠う
昨年、有明にできた大きな無印良品。そこのレストランで加奈を見かけた。平日の昼間、一人食事をしていた。
別れてからもう7,8年か。一瞬(まさか)とは思ったが、何度か通りかかり遠目でも彼女であることは確信が出来た。
確か結婚と離婚を経て、猫を飼って都心にマンションを買ったと友人伝いに聞いた。付き合いはじめから結婚という言葉をよく口にしていて、私もそのつもりで彼女に内緒で準備をしていたところがあった。
些細なきっかけでお互いは向き合うことをやめ、また再び向き合う術を探ろうともしなかった。縁がなかったといえば綺麗にまとまるが、彼女と別れたとき、もう自分は一生独りかもな・・・と察した。それは彼女に限らずきっとこの先も誰と付き合っても、その上手くいかないときに向き合うことを避けるんじゃないかと思ったからだ。そう思うと恋愛やその先の景色への興味は一段となくなり、女性と二人になるのは会社の同僚か、たまに気の合うエステティシャンを誘い、食事に付き合ってもらう程度になった。この街に暮らしていると未だ小さい子供を連れた家族も多く見かけるので「こういう人生もあったかな」とは思うが、きっと私にはなかったんだと加奈が遠回しに教えてくれたような気もする。
加奈には話し掛けなかった。私がそこに併設されたスーパー銭湯で身なりを綺麗する前で、髭も無精で服も適当、何より目的もなく会社を辞めて無職の身、過去の男とはいえ、付き合っていた頃「定職にさえついてくれていたら他は何も求めない」と言っていた加奈の条件とかけ離れ過ぎている今の自分が小恥ずかしく対峙できる自信がなかった。
加奈のことも仕事のことも、結局“もうひと踏ん張り”をしてこなかったことに気づいたのは、ここ最近の数カ月だ。どれも選んだことに後悔することはないが、それがいつも同じような苦しみをまた生む。人生なんてそんなもんだろうし、それまで踏ん張ってきていて、最後どこかで諦めただけだろうと慰めることも出来るが、今は周りが眩しく青く見え、突然の劣等感や孤独感に苛まれる日も少なくない。
続ければ夜は明ける、ただ今は深く暗い。この暗さと付き合いながら、また夜明けを淡々と信じて進むほかないのだ。
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帰り際のおばあちゃんにスタッフが「おやすみなさい」と声をかけている。ロッカーのカギを返し「ありがとうございました」と明るい声を背中に受けて階段を上がる。
高層マンションの夜景に深く息を吐いた。
また明日だ。
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