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大学教務に電話して、女性が出たことに安心している自分に気づいた。

私は今、大学院一年目。
先日事務手続きに躓き、大学教務に電話をした。

なんらかの手数を掛けることは分かりきっていたので、恐縮な気持ちで。

書類には担当者の苗字しか書かれていなくて、しかし何となく、おじさまを想像していた。

電話に出た声は、女性だった。

その瞬間、胸のあたりがじわっと広がる感じがして、視界がやわらぎ、目の前がきちんと見えるようになった。それまで私の身体は固まり、目は泳いでいたのだろう。

状況を、苛立っておらず馬鹿にした様子もない声色で確認し、静かに、簡潔に指示をくれた。
お手数をおかけしてすみませんと私が言っても、「ほんまにやで」とでも言わんばかりの面倒そうな返答が返ってくることはなかった。

私は本能的に、男性を恐れている。

・・・・・

もちろん、男性だから学生の質問に苛立つ、女性だから学生の質問を馬鹿にしないというわけではない。人による。
しかし教務のおじさまは、もちろん私が話したことのある数人に限るが、全て、いつも、質問の途中からすでに苛立ったような声と顔をした。

これはおそらく、単に「そんなこと聞いてくんな」だけではない。
質問を許さないような簡単なことを聞くほど、私もポンコツではない。

おじさま自身も把握しきれていないことを聞かれるのではないかという恐れ。

これが原因としてあると、私は勝手に見立てている。だから私が口をひらくたび、何を聞かれるのかと恐れ、それを隠すため苛立ったような高圧的な態度が出る。

おじさまもおじさまで大変なのだ。
分かりませんと、堂々と言えない人間に育ってしまったのだから。毎日必死に、分からない自分が露呈しないよう生きている。

だから、そう見立てるようになってから私は、対面のときは高圧的な態度を取られてもあまり怖くない。あぁ、彼も恐れているのだろうな、大丈夫ですよ、あなたが答えられなくたって、馬鹿にしたりしませんから、と思いながら話す。

・・・・・

今回は、電話だった。
ダイレクトに声が届き、しかも周りに人はいない。私と事務員の、2人だけの会話空間。

その相手が、男性であること。

電話の前の無意識の緊張は、この事象に対する恐れだったように思える。

生物として物理的強さで決して敵わない存在の声が、一対一の空間で鳴ることへの緊張、不安。

男性に乱暴に扱われた経験などないし、どちらかといえば昔から相手が男性かどうかに関わらず意見もはっきり言う方だ。

しかし今回の電話の一件で、自分の、本能的な男性への恐れが垣間見えた気がした。

生き物しての男女は、同じになんてならない。

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