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父のスケジュール帳

小学生の時、父が死んだ。

12歳、六年生の冬、ちょうど10年前の1月のこと。
父は突然、心臓発作で急死した。

けれどもずっと、あまり実感がなかった。

ここ1年くらいの間、自分の中で整理がようやくついてきたのか、受け入れられるようになってきたのか、分からないが、父の死の前後の記憶が鮮明になりつつあった。

その分、思い出せてしまう分、涙する機会も増えたし、誰かを大切だと思ったり幸せな思い出を作るのが怖いと思うことも増えたが、思い出せないよりはいいと思った。



今日、誰かの使っていない財布はないかと家を探し回った。浪費癖をどうにかしようと、現金の入る財布が欲しくなったのである。

そういえば父が使っていた財布なんてないかな、と仏壇のあたりを探していると、当時父が使っていた手帳が置いてあった。

高校の体育の先生で、長らく陸上部の主顧問も務めていた父は、平日休日、長期休暇の時期でさえ、毎日毎日働いていた。
一体どんな予定だったのだろうと気になって、手帳を開く。

会議、テスト、合宿、試合、毎日いくつもの仕事の予定が書き尽くされる手帳。

そんな中、3月のある日、父が亡くなった2か月後の欄に書かれた文字は「(私の名前)卒業式」。

その数ページ前には、「(姉の名前)卒業式」。
姉も、中学の卒業式を控えた頃だった。

その前後には仕事の予定がびっしり。

涙が出た。

忙しくて、運動会も参観日も入学式も、ほとんど来たことはなかった。来なくても、私を大切に思ってくれているのは伝わっていたから、それが不満だったことは一度もない。

けれども、無数の仕事の中、卒業式をきちんと手帳に書いてあるのが、なんだかとても切なかった。

彼は最期、どんな気持ちだっただろう。
今日○○入学式だなぁ運動会だなぁなんて思いながら会議に臨むとき、どんな気持ちだったのだろう。
手帳に「卒業式」と書き込むとき、娘の成長が嬉しかったりしたのだろうか。

あと2年経つと、父と過ごした年月より、父がいない年月の方が長くなる。いやだ。あと2年。時が止まってくれたら。


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