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こどもは天からの預かりもの

こどもは天からの授かりものって言うけどわたしは少し違う。

こどもは天からの預かりもの。
これは、そう感じた一日のお話。

ある日のこと。
保育園からの着信に「あ、またか」と一言つぶやく。

「ももかちゃんが熱を出しまして…」

もともと平熱が高いんだから、少しくらい…と不満を漏らしながら迎えに行く。月に3〜4回は同じことの繰り返し。

でもこの日は違った。子育てに、人生に、あらゆることに怠慢だったわたしの人生を変えてしまうような一日になるとはね。

保育園から帰宅し、居間に布団を敷いて、TVをつけて、娘の好きなアニメをつけた後、キッチンでおかゆを作りながら。

「ももちゃん、オレンジジュース飲む?」

返事がない。ん?もう寝たか?
そしてもう一度、「ももちゃん、オレンジジュースいらない?」
TVに夢中になってるのかと思い、オレンジジュースの入ったグラスを持って、娘の名を呼ぶ。

背を向けた娘の肩をこちらに引き寄せた瞬間。

娘は白目をむいて、口から泡のようなものが吹き出ていた。

とっさに何をどうすればいいのかわからなかった。
体が冷たくて、硬直してるように見えた。
ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ、このまま死んでしまうのではないかと思った。

娘を抱きよせた。そしてキッチンでお粥を作っていた母に叫ぶ。
「ももがおかしい!救急車!救急車!早く!」

近所に大学病院があるのに、ぜんぜん救急車が来ない。いや、電話して数分しか経ってないのに、何十分にも感じただけ。

いてもたってもいられず娘を母に預け、外に飛び出した。そんなことしたからといって救急車が早く到着するわけでもないのにね。今考えるとあの時の行動全てが理解し難い。

すると、家の前の米屋のおじちゃんが、それまで挨拶すら交わしたことのないおじちゃんが、泣きじゃくるわたしを見て「よう、どうした⁈」と話しかけてきた。

「救急車が来ないんです、ぜんぜん来ないんです!どうすればいいですか!娘が、娘が…」

おじちゃんが走っていき、車を出してきた。

「すぐ乗れ!」
「はい!」と何度も頷ながら、マンションの2階にかけあがり、ぐったりしている娘を抱きあげて車に駆け込んだ。毛布やら保険証やらを準備していた母があとから追いかけてくる。

「早くのってよ!」と母に叫ぶ。

おじちゃんは「落ち着け!落ち着け!」と話しかける。「はい、はい!」と答えながら泣きじゃくる。

病院に着いた。おじちゃんに礼も言わず車を降りた。自動ドアが開いた瞬間、救急ですと叫んだ。そばにいた人が、廊下を指して、「この色の線を辿っていけばあるよ」と教えてくれた。

廊下の線の色、なんだったっけ。思い出せない。

その色を辿って走った。走っても走ってもたどり着かない。少しヒステリックに「救急外来はどこなのよ!」と叫んだ。

その時、看護婦さんが私を止めて、「どうしました?」と。看護婦さんが天使に見えた。

「娘が…」と顔を見ると、あれ?
娘が微笑んでいた。

体中の力が抜けて、座り込んで泣きじゃくった。サンダルを手に持った母も泣いた。あ、わたし裸足だ。

診察の結果は「熱性痙攣ではないか」って。
様子を見るために入院になった。

少し疲れた。病院のベッドで寝ている娘に覆いかぶさるように抱きしめながらウトウトしていたら、

ガタガタガタガタ…と振動を感じた。

また娘がおかしくなった。白目むいて震え出した。
通りがかった白髪頭の先生の腕を引っ張り、娘のもとへ。

落ち着いた様子で娘を観察していた先生は、
「すぐに脳波の検査をするように」と看護婦さんに指示を出した。偶然にも、その先生は小児科トップで、娘の病気においては権威のある方だった。

パニックだ。パニックだ。脳波の検査ってなんだ⁈
なんなの、ねえ、なんなのよー!
落ち着け、落ち着け、わたし!と言い聞かせながら検査の説明を聞く。

脳波の検査は動いてはいけない。子供は大人しくしていないことが多いから、薬で寝かせてから検査するらしい。
頭にたくさんの器具を貼りつけて検査が始まる。

待ってる間は、もう涙も出ない。

死んだらどうしよう、重い病気だったらどうしよう、わたしのお腹にいる時に何かあったのかもしれない。
妊娠中にコーラばっかり飲んでたのが原因かもしれない。

こんなこと考えながら、今までの自分の不摂生な生活を後悔した。

検査の結果は、いいものではなかった。

先生が話し始める。

生涯、完治はしないけど、うまく付き合っていけるようにしましょう
症状が出ないまま大人になる子もいる、比較的女の子は症状が軽い。
明日からの生活は…

白髪の先生。すごく親切に話してくれてるけど、頭に入ってこない。とても大事な話をしてるのにね。

先生の説明を聞いたあと、病院のカフェで母と話した。
すると母は「よかったね、この程度で」と一言。

でた~。母の楽観主義的思考。

娘のひどいアトピーを見ても「よかったね、これくらいで済んで」と言ってしまう人だ。

少し腹が立ったけど、でも母がこの人で良かったと思った。完治はしないって言われたけど、私もそう思ったからだ。

ーーよかったね、この程度でーー
ほんの一瞬とはいえ、娘がもう会えない遠くにいってしまうかもしれない恐怖を体験した。いまだにこの経験以上の恐怖や不安を体験したことはない。

ーーうん、この程度でよかった。ーー
笑う娘をまたこの腕に抱きしめることができたんだから。

そう思った瞬間に二人で笑った。クスクスッと笑った。

これまで、恋愛も、結婚も、離婚も全部自身の気持ち優先で、自己中心的で、わがままで、誰かのために生きていく、なんて考えたこともなかった私だったけど、この子のためにすべて捧げたいと素直に純粋に思えた。この日から、わたしはいい人間になりたいと強く願うようになった。

そして、娘の小さな手をさすりながら、心の中で思いっきり叫んだ。

神様、仏様、世界中の神様、ありがとう。

ありがとう!ありがとう!ありがとう!

娘を愛してる!愛してる!

そう言いながらなにか光のようなものが差した気がした。無神論者だけど、神様が見えたような気がした。

ももはほんの少し手がかかるかもしれないけど、あなたなら大丈夫だよ。しっかりと育てていけるよ。

って、神様がわたしにももを預けてくれたんだ。

なぜ、授かりものではなく、預かりものと感じたんだろう。直感的だけどそう感じてしまった。

だから、こどもはわたしのものではない、わたしの所有物ではない。
わたしのこどものことなんだから勝手でしょ!と言いながらしつけと称して虐待で捕まる親を見るとひとこと言いたい。

ーー こどもはあなたの所有物ではないよ ーー

わたし自身、これまで子育てが思い通りにならないとイライラしたり、怒ったりしてきた。でも天からの大切な預かりものなんだから、自分本位の子育てしてちゃダメだって思えるようになった。

天寿をまっとうするという言葉があるけど、わたしのそれは娘を幸せにすること。

この日から生きるための選択肢が変わった。

褒めるとき、叱るとき、この子のためにどう伝えればいい?
仕事を選ぶとき、この子の人生のお手本になれる仕事?
そう自分自身に問いかけるようになった。

あれから21年、今も問いかけ続けている。

中学を卒業してからは、今回のような症状は一度もない。そして昨年、大学を卒業した。

娘は心の優しい大人に成長した。

あ、米屋のおじちゃん。翌日、お菓子を持ってお礼に行った。

今もおじちゃんと娘は仲良しだ。入学式、卒業式、七五三、修学旅行、成人式、娘の人生のイベントごとには必ず二人で手土産を持っておじちゃんに会いに行く。

あともうひとつ。救急車を呼んだのに、おじちゃんの車に乗ってしまったこと、あとになって救急隊員の方に叱られました。ごめんなさい。

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