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おいしいがもつチカラ

(コーヒーを淹れる父を見て)
私「コーヒー飲みたい」
父「だと思った」

昨日の朝の愛おしい一場面

昨日の食事

夜ごはん:大学の友人と食べた粉ものパレード(お好み焼き、もんじゃ、たこ焼き、焼きそば)。
昼ごはん:バイト先の賄い。鶏肉煮込みのチーズ焼き、豚と野菜のタレ炒め、とんかつサンド(自分ではさむ形式で欲張ったらあふれた)。ジューシーピーチティー。
朝ごはん:いつもと違う駅からの帰り道に見つけたパン屋さんのパン。お父さんが入れてくれたコーヒー。

「うんまっ」「おいしいぃ」「おいしいね」
今日一日で両手におさまらないくらい出てきたこの言葉たちが、誰かの心を温めることもあれば、誰かの喉を締め付けることもある。

『おいしいごはんが食べられますように』

友人に勧められて読んだ本。タイトルと表紙からは、きのう何食べた?のようにほのぼのと幸せな食卓の様子が描かれているように思うが、1ページ目から予想を裏切られる。

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。

職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。

あらすじ

おいしいが棘になる

「ぐつぐつ煮えていく鍋を見つめている間、おれはどんどんどんどんすり減っていく感じがしますよ」
「おれは、おいしいものを食べるために生活を選ぶのが嫌いだよ」
「人を祝うのも、飲み食いしながらじゃないとできないって、だいぶやばいな」
「おいしいって言ってなんでも食べる人の方が、大人として、人間として成熟してるって見なされるように思う」

二谷

二谷は食事に合理性を求める。お腹が空かないなら、食が生きるために必要ないなら食事をとらなくていいと考えている。彼の「おいしい」は事務的なものであり、誰かの「おいしい」という言葉は棘となり、彼を少しずつ刺していく。

「どうなんでしょう。よりきちんと生きるのが、好きなのかもしれないです。食べるとか寝るとか、生きるのに必須のことって、好き嫌いの外にあるように思うから。」
「そういう、自分で作ったあったかいものを食べると、身体がほっとしませんか」

芦川

芦川は食に丁寧さを求める。手間をかけて料理をすること、食べることが心身を満たすと考えている。彼女の「おいしい」は味だけじゃなくてそこまでの過程も、「おいしい」を共有する環境までもさす。あたたかい空気をまとった「おいしい」は鋭利な姿に変わることがある。

わたしにとっての食べもの・食べること

二谷が誰かとの食事を好まない一方で(そもそも二谷は食事自体を好まないけれど)、わたしは一人の食事を好まない。
一人なら食べなくていいやと、誰かと食べる次の食事を待つことが多い。一人でいて食べたくなるのはカレーくらいで、Instagramで「〇〇(地名)カレー」と検索をかけてときめくお店があったら訪れる。

(この前一人で行ったこのカレー屋さんがほんとうにおいしくて、心のなかで何回もおいしいを呟いた)

わたしにとって食べることは、そこでの食べ物だけでなく、食べものをきっかけに生まれる会話や食べることを介して弾む空間も含む。だから色々聞きたい、話したいと思う人には「ご飯いこう」と言ってみる。
「おいしい」という言葉に「楽しい」という思いをのせることもある。「おいしい」という言葉に「ありがとう」の気持ちをのせることもある。
でもこの「おいしい」が誰かの心をすり減らしているのかもしれない。そう思ったらどうしていいのかわからなくなって途方に暮れた。


急に一人になった今日のお昼。お腹が空いたけど一人ぼっちだったわたしは困って立ち止まっていた。そんなところに現れた友人はヒーローみたいだった(結構本当に気分が上がってにっこにこだった気がする)。3人で食べた昼ごはんはおいしかった。

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