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hereではなくthere③

旅人が見るものや聞くことはほんの一部。そしてときに興味は暴力性をもち、刃となって誰かの心を傷つけることがある。
ただ、知りたいを見て見ぬふりして、自分の中で引っかかっているなにかを見えないように布をかぶせて、楽しいだけを持って帰るのことはしたくない。


ようやく本題、というか、'hereではなくthere'、このタイトルでnoteを書き始めたきっかけ。


遠い国の話

インド2週間の滞在は観光半分、勉強半分だった。

インドの都市部と農村部の経済格差の現状を見たい、話を聞きたい、そんな思いを持った友人とともに旅立った。
個人的なサブテーマはカースト制度が今のインドにどのような影響を与えているのか、旅人のわたしが感じることができるものなのか見てみたい、だった。


高校3年生にとき、古文の先生がおすすめしてくれた本。イタリア、カナダ、インドで暮らす3人の女性の日常との闘いが描かれた本。混ざり合わないはずの3人が物語とともに結われ、繋がっていく。

ここで描かれるインドのスミタは不可触民。自分の子どもには教育を受けさせたいという思いで、逆境に立ち向かっていく。

「カースト制度」
高校生のわたしにとって、この言葉は遠い国の昔の話だった。この本を読んで、遠い国の今の話に変わった。遠い、だけでは終わりたくなかった。


大学生になって読んだ、同じ著者の本。

教師を辞めたフランス人女性がインドで学校をつくる話。
好きな本を選んで、読むことができる、そして思ったことをこうやって書くことができる。これを阻むいくつもの壁がこの本には描かれていた。

自分で確かめたい。遠いまま置いておきたくない、そう思った。


知らないというとげ

サブテーマ、カースト制度による現在のインドへの影響に関して。

そもそもカースト制度とは

カースト制度は、インドの宗教「ヒンズー教」に基づいて、古くから社会に根付いている身分制度を指します。単純にいくつかの身分で階級分けするのではなく、「ヴァルナ」「ジャーティ」と呼ばれる二つの概念が存在するのが特徴です。

ヴァルナは、いわゆる身分のことで、四つの階級に分かれています。ジャーティは、血縁・職業などで結束された共同体を表す言葉です。インド全体で、2,000~3,000のジャーティがあるといわれています。

https://hugkum.sho.jp/458367

研究者でもなんでもないわたしが聞いたこと、肌で感じたこと。

デリー近郊出身で、現在日本に留学している方の話

  • カースト制度の名残は感じられない。日常生活でカースト制度があるから何か不都合を受ける事や、差別的な待遇を受けることはまずない。

  • 互いのカーストを聞くことはタブー。

  • カースト制度の事実は知っていても高校に上がるまでは気にする機会はない。

  • カースト留保制度※でカースト上位の大部分が大学入試に苦戦している(※指定カーストと指定部族の人々を対象として,高等教育機関への入学許可数・公的雇用数・各種議会での議席数などを人口比で一定の数値まで優遇する制度)。

  • 経済的な余裕のない高位カーストがカースト留保制度の被害を被っている。

  • カースト制度や留保制度に賛成な人は、それによって利益を受ける国家公務員や政治家などが多い。

  • カースト制度は政治家がうまいこと利用していると気づき、反対する人が増えている。

  • カースト制度ではなく収入をもとに様々な判断をするべき。

ガヤのある集落で聞いた話

  • 村は新しい価値観が入って来づらく、カースト制度が根強く残る地域が多い。

  • コロナ禍、ボランティア団体が支援物資を配りに来た際不可触民出身の人々は列の最後尾に自然と並ぶ。

  • カースト優遇で入るには子どもが勉強するための相当な時間とお金が必要。

  • 大学に行くという選択肢が当たり前ではない。高校まで進学できるだけでも本当についている。

都市と農村部でカースト制度に対する認識が大きく異なる。
実際、都市部のスラム街で暮らす人々の中にはカースト上位出身の人もいて、指定民族出身の人がITなどの近年発展しているビジネス分野で大きく成功している例もある。

ただ、都市に住む人が「カースト制度の名残を感じることはない」そう言ったことは、わたしをドキっとさせた。

インド国内の経済格差や教育格差がカースト制度のみから生じているわけではないが、少なくとも農村部では、大きく関係しているだろう。国内で共通の認識がないなかで、格差を是正することは難しいのではないか。

それだけではなくて、わたしも日本で知らない問題がたくさんあって、知らない間に彼らを不遇な立場に追いやるような言動をしているのではないか。


hereではなくthere

自分が見聞きしたものを、そのままとどめておきたくない。知る責任として、というほど立派な気持ちではないけれど、映像に残すことを渡航前から計画していた。

映像制作に無知だったわたしたちは、とりあえずカメラを回した。

帰国後いろいろ考えた末に、たくさん話を聞かせてもらった教育者の方々に焦点を当てた作品にすることにした(撮影技術の拙さゆえにその方向でしかちゃんと映像作れないとも思った)。

as long as children are there to learn

タイトルはちょろっと考えてみて、あ、いいかもと思ったものが通った。

あとあと考えると、自分が見たものと距離をとっているような気がしてむずむずする。hereではなくthereという言葉を選んだわたし(ここのthereはこっちあっちのあっち、の意味ではないけど)。

as long as children are here to learn

教育者が何を思い日々インドの教育現場で奮闘しているのか。彼らの立場から考えたら、hereの方がしっくりくるんじゃないか。


現地で話を聞きながら、彼らが運営している学校/放課後学校を見て、わたしがずっと考えていたこと。

彼らのモチベーションはどこからくるのだろう。
自分とは血のつながりのない子どものために、人によっては所縁のない土地で日々奮闘している。なんで、どうして、何が彼らを動かしているのか。

純粋な思いだったけれど、子どもとわたしの間に線を引いていること、教育者とわたしの間に線を引いていることに、うんざりした。


今の自分にできること、やりたいと思うこと。これが今のわたし(そんなもんかよ、と少しいやになる)。

  • 身近な人に話す

  • ドキュメンタリーがわたしの知らない人にも届いてほしい

  • もう一度訪れた場所を尋ねたい

  • できる限り見聞きしたことを忘れない

まだ考えきれていないし、うまく言葉にできない。

ただ忘れたくなくて、そしてここからいろんな人の話を聞けたら、自分の中のもやもや、とげとげしている部分が溶けていくと願って。

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