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ここでもお寿司は揚げるらしい✴︎遊学日記week17@Chiapas, México

危ないと言われても、どうしても自分の目で確かめたくて訪れた場所で過ごした1週間。


8/5 心配事に囲まれて

25:00発のはずの夜行バスがやってこない。
心配すぎてキョロキョロしてたら、同じバスに乗る予定の家族を見つけて「来ないですね〜」って話しかけてみた。「来ないね〜」って言われたので、来てないことが確認できてとりあえず一安心。
にしても30分経ってもこない。何が起きてるの。
待ってたら25:50発のバスがやって来た。チケットを替えられるというので、受付に急いで行って替えた。26:00にようやく Juchitán, Oaxaca を出発。心配事がいくつか解消された。

・アナウンスをしっかり聞き取れずバスに乗り遅れる
→周りの方々に助けられながらバスの変更までして乗れた
・バスターミナルで危険なことが起きる
→緊張で眠りに落ちなかったので大丈夫だった
・隣の席の人が大きかったり匂いがキツかったりする
→メキシコ人には珍しい細型の優しいおじいさんだった
・夜行バスがキンキンに冷えすぎる
→ユニクロライトダウンありがとう
・バス強盗にあう
→何も起きなかった
・行く先の Tapachula が歩けないほど危険
→バスから見えるまちはそこまでピリピリしていない

出発前の心配事たち(結局全部大丈夫だった)

さて、行き先は Tapachula, Chiapas。グアテマラとの国境に近いまちで、最近治安がよいとはされていない。本当に行くの?とメキシコ人何人かに聞かれてびびっていた。でも行くことに決めたのは理由がある。

・日本から中南米への最初の集団移民先はメキシコ
・明治政府で外務大臣などを務めた榎本武揚が設立した植民協会が実施したもの
・1897年3月、岩手県や宮城県、愛知県などから集まった青年36人が横浜港から船に乗り、榎本殖民団としてメキシコ南部、チアパス州のエスクイントラという地域を目指し、同年5月に到着
・殖民協会がメキシコ政府から購入した土地でのコーヒー栽培が目的
・雨季が続いたことと、コーヒー栽培に向く高地が16年早く入植したドイツ系の人々に使われており、栽培の難易度の高さと風土病によって、メキシコに着いてから2カ 月もたたないうちに、10人が逃亡、1年後 にはさらに3人が逃亡した
・その後政府からの援助は打ち切りになるも、組合が発起しメキシコと日本の友好関係を保った
・現在日系人は南からタパチュラ/Tapachula, エスクイントラ/Esquintla、アカコヤグア/Acacoyaguaに多く暮らしている

榎本移民について
https://www.jica.go.jp/Resource/jomm/outline/ku57pq00000lx6dz-att/dayori47.pdf
https://www.jica.go.jp/Resource/publication/mundi/202010/202010_04.html
夜行バス、爆睡!

着いて、タパチュラ日系文化クラブの浜田さんがバスターミナルで迎えてくださった。
この1週間お世話になるのは、彼の日本語教室の生徒の女の子のお家。名前、年齢などなにも聞かされていなかったので、家族なのか、一人暮らしなのかもわからずドキドキしながら着いた。17歳の女の子で、6人家族のお家だった(うち息子2人は市外に住んでいるので、現在は4人暮らし)。滞在させてもらう代わりのルールは日本語で話すこと。日本語を習い始めて5ヶ月。ほんとに5ヶ月??と思うほどわたしの話す日本語を理解していた。

一度お家に着いて荷物を置いてから、とりあえずセントロに行くことにした。

市役所で見つけたもの

続いて市場へ。チアパス州は雨が多く降り、暖かい気候をもつ地域が広い。見たことないくらい大きなアボカドに出会った。野菜や果物の種類が多いらしい。そして他の地域では col と呼んでいたキャベツが repollo と呼ばれていた。

種もでかい!

暑くて水分補給、はじめまして、pozol。オアハカで飲んでいた tejate のような。同じくカカオが原料の飲み物みたい。

多分500ml、いつも思うけどメキシコの飲み物の量多い!

「ここまっすぐ行ったらショッピングモールだよ、行く?」と聞かれ、イエスマンなわたしは「行く」と答えた。お日様の下を1時間弱歩いた。涼しいショッピングモールに着き、大きなスーパーで小さいサイズのリンスを買って、ミニバスで帰宅。
飛行機持ち込み可能サイズのリンスを探していたのだが、どこにも売っておらず、妥協して売られている最小サイズ200mlを買った。シャンプーはあるのにリンスがないということは、メキシコ人はあまりリンスを使わないということだろうか。既に髪の毛が限界を迎えているので、これ以上悪化させないようにリンスは諦めたくない。
パンテーンのコンディショナーを買ったのだけれど、海外でパンテーンを使っても全然さらさらにならない、もはやパサパサになるような気がする。以前日本人の友人にパンテーンは信用ならないと言われたばかりなのに、どこにでも並んでるあの堂々たる姿にやられた。買ったのがなくなったら次こそは違うブランドのものを買おう。

夜行バスとお日様の下を歩いたので疲れてぐっすり1時間お昼寝した。珍しく夢を見ていたので多分なにか寝言を言っていたような気がする。思い出せないのが恥ずかしい。

お昼はお父さんが経営する食堂のお持ち帰りご飯を食べて、ゆっくり。

8/6 禅

タパチュラには3つの日系コミュニティが存在する。

1. 榎本協会/La Asociación Enomoto del Estado de Chiapas
2.チアパス日墨協会/Asociación México Japonesa De Chiapas
3. タパチュラ日系文化クラブ/Club Cultural Nikkei De Tapachula

タパチュラ日系コミュニティ

タパチュラとアカコヤグアについてネットで調べていたときに、どなたかの旅ブログで日系文化クラブの浜田さんの連絡先を見つけて、飛びついて連絡した。突然WhatsAppで連絡を送った日本の小娘に本当によくしてくださった。

🔗タパチュラ日経文化クラブのfacebook
https://www.facebook.com/p/Club-Cultural-Nikkei-De-Tapachula-Ac-100068061829577/

月 合気道
火 気禅→日本語クラス
水 合気道
木 気禅→日本語クラス
金 合気道

タパチュラ日系文化クラブのスケジュール
Plaza Mayaという施設の奥に!

日本語クラスの前に気禅に参加した。気禅という言葉は多分日本語にはないんだけど、禅、ストレッチ、筋トレを合わせたようなもので、汗びっちゃりになったけど、なんだか心身ともにすっきりした。
今日の日本語クラスは質問大会。お互いのこと、お互いの国のことについて質問する。文法も教えるけど、教科書は使わない。基本的に話しながら新しい文法や単語を覚えていくスタイル。この日びっくりされたのは、日本では結婚するとき女性が苗字を男性の苗字に合わせることが多いということ。

独身時:
・苗字は2つ
・名前もときどき二つ持っている人がいる(どっちで読んでもらうかは本人の判断)
お父さんの苗字 お母さんの苗字 名前① 名前②
結婚時:
・基本夫婦別姓
・旦那さんの苗字を入れたい時は de を使う(比較的まれ)
お父さんの苗字 お母さんの苗字 名前① 名前②
お父さんの苗字 お母さんの苗字 de 旦那さんの苗字 名前① 名前②
子どもができたときの名前:
旦那さんのお父さんの苗字 自分のお父さんの苗字 名前

メキシコの名前について

お母さんの苗字が忘れられるということにとまどいを覚えていた。日本では法律上、籍をいれるのであれば夫婦同棲でなければならない。自分が結婚した時、各所に名前変更の手続きをしなければいけないのが非常に面倒くさく感じる。ビジネスの場でもいろいろ困りそう。強制じゃなかったらいいのになぁとふわっと思う。
オアハカで滞在させてもらっていたお家のカップルの彼女が19歳で最近結婚したのだが、わたしはまだまだ結婚については考えられない。

8/7 通り道

浜田さん、前日の夕方にお会いしたチアパス日墨協会の代表の小向井さんとアカコヤグアに向かう。

タパチュラからアカコヤグアに向かう途中の大きな道にはところどころ検問所のようなものが設置されている。その建物の近くに列を作っているのは移民たち。
ベネズエラ、ニカラグア、エクアドル、ハイチ、アフリカ諸国からアメリカを目指移民らが、グアテマラとの国境近くにあるタパチュラにやってくる。街中の広場や市場でもメキシコでは珍しく多くの黒人を見かけた。
タパチュラは現在麻薬組織カルテルの争いも頻発しており、彼らと移民の人々のぶつかり合いも起きているらしい。彼らにとっては通り道であるタパチュラ、目的地までの長い道のりはいつも危険と隣り合わせだ。
メキシコに入ってきた彼らは、これから北へ北へと歩き続ける。ときに1ヶ月野宿して、不法ではあるが貨物列車に乗り込んで移動することも。メキシコの情報集めでXを見ていたときに出会ったアカウントがリアルなメキシコの一面を映し出していた。

🔗写真家 松本時代さんのX
https://twitter.com/jidaimatsumoto?s=11&t=OAYJimBcgyEwtyvcFBtf9A

タパチュラに着いて一番最初に立ち寄ったのは榎本中央公園。
がっつり改修工事中だったが入らせていただいた。

「夏草や つわ者共の 夢の跡」

次に伺ったのは、江戸村と呼ばれる日系資料館。最初に到着した35人の日本人の方々の写真が飾られており、「これはわたしの先祖で、」とお話ししてくださる。タパチュラ、エスクイントラ、アカコヤグアの日経コミュニティ同志の繋がりも強く、共同開催でお祭りを開くこともあるらしい。お餅が好きで、最近自動餅つき機をもらったからそれでお餅を作っている、という話が出ると、杵と臼があるからお正月はみんなで集まって時間をかけてお餅つきをしようという話があがった。こういうふうに互いの近況を報告しながら、助け合い暮らしている。

ただこの繋がりがいつまで保たれるかは定かではない。実際お祭りや日系小yムニティのイベントに参加する若い層は少なく、日本文化に興味のあるメキシコ人の方が若い層としては多いとのこと。もちろん若い世代でにソーラン節や日本の踊りを下の代に受け継いでいる子たちもいるが、その数は少ない。大学や就職を機にまちを離れ、遠のいてしまうことが多いらしい。いつまでも同じ形で残ることは難しいが、育てられている野菜たち、踊り、心持ち、残ってほしいと思う。

🔗榎本中央公園/Parque Central Enomoto
https://maps.app.goo.gl/UGnufH4ipFrffRud8

🔗江戸村/Casa de la cultura Migración Japonesa
https://maps.app.goo.gl/QNmWGMEiBDzVmCCJA

🔗Acacoyagua のお寿司屋さん2つ
https://www.facebook.com/sushikai23/
https://www.facebook.com/p/Tokkyu-sushi-100086504722224/?_rdr

その日の夕方。タパチュラで浜田さん以外に日本語が話せる日系人の女性とお会いした。そして彼女が60歳でタパチュラに夫婦で移住してきた日本人女性のお宅に連れて行ってくださり、お味噌汁と混ぜご飯をごちそうになった。さつまいもの混ぜご飯、市場でさつまいもを見つけ混ぜご飯にしようと思い立ったらしい。冷蔵庫には調理方法や食材の名称が日本語とスペイン語で書かれていた。日々和食をつくる彼女も、ごはんと一緒にだしてくださったのはメキシコらしいスイカのナチュラルジュースだった。

8/8 青春の1ページ

来週からユカタン半島のメリダに行き、Workawayで見つけたホストのお家にお手伝いをしながら手伝わせていただく予定だった。のだけれど、わたしの日程確定が遅すぎて確定の連絡をしたときにはいっぱいになってしまったとの返信が。仮押さえという概念はなかったみたいで、来週からの2週間の滞在場所を失った。自己責任、学んでいこう(ポジティブ)。

とりあえず滞在場所探しを始める。現地の生活を知りたいという思いがあるから、できる限りホームステイをしたい。同じくWorkawayで来週から2週間滞在が可能そうなホストを見つけ、連絡をする。そもそもWorkawayは100%返信が返ってくるわけではないので、同時進行で知り合いのツテを頼る。一旦できる限りのことをした。

日本語教室が終わって、帰り道。
「日本で自転車の二人乗りがだめなのはなんで?」と聞かれた。
「法律で禁止されてるんだよ。」と答えた。そういえば、わたしが小学生くらいの頃までは2人乗りなんて当たり前のようにしていたし、青春きゅんきゅん、家族ほっこりど定番の光景だった。漫画やアニメ、ドラマでもよく見るシーンだったように思える。それが今や海外で暮らす人々まで二人乗りが禁止されていることが当たり前になっていることにわたしは驚いた。
「こっちは全然当たり前なのに、変なの」とのこと。
わたしにとっては青春の1ページだけど、彼女にとってはちょっとおかしな1ページ。

8/9 気を引き締めて

昨日の宿探しの返信がいくつか返ってきた。
知り合いツテ①はバケーション中でメリダにいないとのことで没。
Workaway①はいいよとの返事をもらったのだがここで事件。メリダにいる友人から「この人知ってる?」とWorkawayのホストとのツーショットが送られて来た。よくよく話を聞いてみるとなんだか女関係がガバガバそう。Workawayのレビューが女性ばかりなのが少しひっかかっていたのと、男性一人のところに行くのは最終手段だなの思っていたので、体調を崩したことにして滞在の予定をキャンセルした。

現地の当たり前の生活を送りたくて、できる限りホームステイをしようと焦っていた。自分の身は自分で守らなきゃいけない。気をつけるだけ気をつけたら、危険な目に遭うかどうかは運だと思う。だからこそ、自分でコントロールできる部分は細心の配慮を忘れないようにしよう。

初めて見るタイプのスイカの切り方

まちなかを歩いているとすれ違いざまに CHIN! と言われた。ヨーロッパでよく出会うアジア人に対する差別用語「チンチャンチョン」。そういう類だなぁと。
どういうつもりで相手が言ったのかわからないし、間に受けてても自分が辛くなるだけなので、とりあえずちょっとだけ怖い顔を相手に向けた。

8/10 魚のフライとサルサ

お世話になっているお家のお父さんお母さんはそれぞれお店を営んでいる。忙しいからお昼はお父さんが経営する食堂のお昼を持ち帰って来て食べるか、各々自分で作ることが多い。

朝からぱちぱち、じりじり、ぐつぐつ、何かを火にかける音が聞こえてきた。今日の朝ごはんは魚のフライとお豆のスープ。お昼に時間をかけれないからか、朝からしっかりしたものを作ることが多い、8:00すぎから。今までの滞在先ではみなかった光景。10:00とか11:00とかならわかるけど。朝から揚げ物、体力持っていかれそうだけどこのお家では日常。

台所に立つのはお父さんとお母さん。
メキシコも昔はマチズモ思想が強く、「お父さんがいる『から』ごはんをつくる」とある家庭でぽろっと出てきた。おじいちゃん世代は結構、ダイニングテーブルで座って食事が出てくるのを待っている。
最近は変わってきている。日本もそうだけど、フルタイムで働く女性が増え、お互い助け合いながら生活している。
この日は揚げ物はお母さん、サルサ作りはお父さん。

メキシコに来て初めて訪れた海、Puerto Madero。榎本移民が着いた海。先日知り合った日系人親子が連れて来てくださった。メキシコ、初セビーチェ。ペルーのセビーチェを食べるのが楽しみになった。

日系人の方々は3世以降は日本に留学経験があるか、自分で相当勉強しない限り日本語を話せないことがほとんどである。タパチュラも100人以上の日系人がいるが、日本語を話せるのは2人。浜田さんは小学生の頃1年間日本の祖父母の家から学校に通い、帰国後も勉強を続けていたらしい。ペラペラというわけではないが複雑な話でない限り日本語で話せる。もう一人の方は花卉の技術研修で2年間日本で暮らしていた。電話でも意思疎通ができるくらい(個人的に、言語学習者において電話は結構ハードルが高い)、ぺらぺら。
名前も家族によって、日本の名前の方もいれば、メキシコの名前の方もいる。メキシコの名前の方の方が多い印象を受けた。
言葉や名前が変化するのと一緒に食べものも変化して来た。変化の様子は家庭や、所属するコミュニティによって異なる。だからこそおもしろいなと思う。

・2世の方がお母さんの時代までは、毎日トルティーヤではなくお米を食べていた
・醤油、オイスターソース、味の素は今でも多くの日系人のお宅で使われている
・今でも週3くらいで「日本食」を作る
・日本食は外でしか食べない
・Acacoyaguaには日本米と長芋を栽培し続ける家族がいる
・Acacoyaguaのまちの市場で日本米(arroz perla)を売っていて、地元の人々はみんな知ってる事実
・毎日温かいお湯を沸かして、1日分の緑茶を作る
・お餅が好きで、親戚が持って来てくれた自動餅つき機でよく作る
・お米や豆腐は現地スーパーで買えるけど、味噌やカレールーなどその他のよく使う調味料はメキシコシティに行ったときに買い溜めるか、少し高いけど中華系のスーパーで買う

この1週間で出て来た食の話

8/11 集まること、信じること

メキシコ人の約8割がカトリックである。
人によって信仰の度合いは異なる。一応カトリックだけど教会にはほとんど行かないという人もいれば、週に2回は教会に行く、街中でカトリックの祭壇のようなものに出会うと祈りを捧げる人。

ここのお家はかなり信仰深いカトリック。毎週日曜日に行う culto というものに一緒に参加させていただいた。わたしが現地の人のいつもの暮らしを体験したいと言っていたのを覚えていて、誘ってくれたのだ。
culto は毎回お話しする人が決まっていて、聖書を片手にお話しする人の指定したページを開いて朗読して、お話しする人がそれにまつわる日常の話をして、みんなで歌って、といった感じだった。誰かの悩みがあればそれにまつわる聖書の一部を引用してくる。参加している人は親戚複数名。そしてベネズエラからメキシコにやってきた家族、彼らは会の終わりに食事を提供していた(お金は払ったので販売、と言った方が正しいけど)。

複数人で時間を共有しながら、読み、聞き、歌う。人が繋がる貴重な時間だと思った。不安でどうしようもない時だけでなく、普段から心の支えになっているんだろうな。
それと同時に、「何の宗教を信じているの?」と聞かれた時に「日本は仏教と神道が主流で混ざったような感じで、そこまで信仰深くはないかな。」と答える自分にとっては少しだけぞわっとする体験だった。計り知れないようなパワーをその場から感じた。

パッキングを終え、ファミリーにバス停まで送っていただき、夜行バスに乗車。Tシャツとパンツをいただいた。旅人にはありがたい品物。
メキシコ人にしては珍しく落ち着いたファミリーだった(これを言ったらお酒入ったら別だね〜と笑われた)。いつでもここはお家だよと、1年いてくれてもいいよ、と言ってくれた温かいファミリー。ビーサンをたくさん噛んで小さな穴をたくさん作ってくれたわんこにもまた会いにこよう。

靴食べてるわんこ

日本とメキシコを行き来したような日々。
アカコヤグアのお寿司屋さんのお寿司はメキシコ仕様だった。
ドイツ人、日本人、中国人と移民がやってきたタパチュラ。今は中華系が一番多く、街中で赤い看板、少し違和感のある手書きの漢字看板、ドラゴンが飾られたショーウィンドウ、いろいろ見た。

@Tapachula, Chiapas

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