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小説【都合の良い幻想】

「好きです。付き合って下さい。」


3分前の出来事だった。

会社を出てから家に着くまでの最初の路切前。
顏も名前も知らない男性からのいきなりの告白。
...言葉すらでない。

おそらく私より若いだろう。

だけど、自信があるのか重く考えていないのか
余裕がある分、実年齢より上に見えるのだろうと私は頭の中で推測していた。

「聞いてますか?!」

男性は少し強めの口調で言うと私の顔を覗き込んだ。


「今日、初めて会った人とは付き合うことは出来ない。」

私は男性の圧力に押されながら一歩下がってから言うと、

男性は腕を組んで少し考え込み

「そうですね。」

そう言って微笑むと、後ろを向いて歩いて行った。





「好きです。付き合って下さい。」

昨日と同じ時調帯、同じ踏切前。
昨日と同じ男性、同じセリフ。

思考停止している私に男性は言った。

「今日は初めてじゃないですよ。」

あー...なるほど。

私が昨日、会った初日には付き合えないと言ったから、今日は初めてじゃないから良いだろうということか...

私は軽く息をつくと男性に言った。


「何も知らない相手とは付き合えない。」


男性は必死に何かを考えている様子だったが、それを横目に私は家へと足を進めた。


「じゃあ僕とデートしてくれませんか。」


後ろから聞こえた声に振り返ると男性は大きく手を振っていた。




翌日もその翌日もまたその次の日も男性は踏切前で私にデートを強請った。


「...分かった。デートしてもいい。」


もうこの状況に飽き飽きしたのか、それとも少しでも男性に心動かされてしまったのか...

自分でも分からないままデートを了承した。

ただ、〝デートしてもいい〟そう言った時の男性の本当に嬉しそうな満面の笑みは判断を私に肯定させた。


その週の日曜日。
私は男性とデートする為に、いつもより早起きし、支度をしていた。

何故だが気分は悪くなかった。

玄関の全身鏡で身だしなみをチェックし、靴を履いた瞬間_


携帯が鳴った。


『今すぐ会いたい』

元彼からだった。
私を散々傷つけ、あっけなく捨てた酷い男。

私は返信をしないまま携帯を閉じて家を出た。



「来てくれてありがとう。会いたかったよ。」


私は元彼の家にいた。

元彼と体を重ねながら、私は今日約束した男性のことを考えていた。

デート楽しみにしててくれたんだろうな。
きっと明日からは、あの場所に彼は来ないんだろうな。

...もう会うこともないだろう。




「彼女、今から帰って来るから急いで出て!」



滞在時35分。
私は無言のまま服を着ると、何かを察したのか
元彼は私を抱きしめた。


「ごめん。お前が好きだから会いたくなっちゃったんだ。ごめんね。」


好きだから...

好きだからを盾にこの人はいつも私に傷をつける。
私がそれを突き破れる武器を持っていないことを知っているからだ。




私は元彼の家を出ると公圏のブランコに小刻みに揺られていた。



...分かっている。
私を傷つけているのは私だ。


日も落も始めた頃、私は何となくあの踏切に向かった。
別に期待しているわけじゃないけど。


「あ!遅かったですね!何かありました?!大丈夫ですか。」



男性はいた。

何時間、待っていたのだろう。
この人は怒りもせずに私を心配している。


「来ないとは思わなかったの?」


私は男性に尋ねる。


「思わない!連絡手段もないし...それで来ないってことはないかなって。
そんな酷いことはしないでしょ。
だから事故にでも巻き込まれたんじャないかって心配で...」



この人は恐らく、いや...恐らくではなく良い人だ。
良い人で人の闇に気が付かない。
知りもしない。

きっと誰かに裏切られたこともなく、真っすぐに生きている。
真っすぐに生きて来れた人。


「...元彼の家にいた。」



...だから傷つけたくなる。



「そっか...」

男性は悲しそうに、でも優しく笑いながら言った。

「それでも、あなたが好きです。」


大きな愛で育った人間は人を愛する事が出来るのだと、昔かが言っていた。
この人は大切にされて、裏切りや汚れを知らず生きてきたのだろう。
でも、そういう人間は何かあっても人も自分も許せる。

私とは違う人間_

私は別れを告げると男性の元を去った。


「明日も待ってます。」

男性のその言葉を出会えた奇跡にすると心に刻んだ。


私は滲んで歪む視界の中で元彼が言った唯一忘れられない言葉を思い出した。



好きに理由はないっていうの嘘だと思う。


理由のない感情は都合のいい幻想だ_


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