見出し画像

エッセイ:名前を思い出せない映画

 小さい頃に見たきり題名を思い出せないアニメ映画がある。恐竜ものだった。
 観たのはたぶん幼稚園の頃。年長組おゆうぎ会のビデオの隣に、手書きのラベルを貼り付けられたVHSが母親の本棚に収めてあったのを覚えている。あきらかに正規品ではなく、テレビか何かで放映されていたものを宅録したビデオだったので、少なくとも映画館で上映されるようなアニメではなかったはずだ。あまりにマイナーすぎるせいか、大人になってあらすじを検索しても一向にヒットしない。その肝心のあらすじすら薄ぼんやりとしたうろ覚え程度で、今さら作品タイトルを特定しようというのは明らかに無理寄りの無理な話なのだが、なぜだかその薄ぼんやりしたあらすじだけがずっと頭に残って離れないのだ。それも二十年以上も。
 何があったのだろう。
 供養がてら、覚えている範囲であらすじを書いてみようと思う。
 
 ここはアメリカ。のどかな町にどこからか恐竜が現れた。
 いやもっとまともな導入だったと思うのだが、肝心のイントロダクションはすっかり記憶から抜け落ちてしまっている。過去からのタイムスリップだとか研究施設から逃げ出したとか、そういう設定は多分あったのだろうが私の頭にあるのは突如として出現した四匹の恐竜がおっかなびっくり町をうろついている光景だけだ。ティラノザウルス、プテラノドン、パキケファロサウルス、ステゴサウルス。少なくともティラノはいた。正確に覚えていたわけではないが、仮にも恐竜映画なのだから恐竜の花形たるティラノくらいはいただろう。それぞれのボディカラーも赤、黄色、緑、あと一色くらいで、そのキッチュな色合いはいかにも低年齢向けアニメの様相を呈していた。断じてジュラシックワールド路線ではない。
 で、町を闊歩する恐竜どもが幼い兄妹と出会う。小学校低学年くらい、妹はもしかしたら幼稚園生かもしれない。仮に名前をボニーとクライドとしておく。この鼻ったらしの二人がどういうきっかけで恐竜どもと仲良くなったのかも全然覚えていないのだが、多分こういう映画にありがちな、ティラノ一行が道に迷っていたところを家のガレージにかくまってついでにママに内緒で冷蔵庫からくすねてきたアイスをご馳走してあげたらすっかり仲良くなった、とかそういう流れかと思う。正直この辺りはストーリー的には重要なのだろうが、似たようなプロットの映画はいくらでもあるのだから、紆余曲折あってボニーとクライドは恐竜どもとすっかり打ち解けた、という感じでいいと思う。この時点でまだ映画の三分の一も行っていないわけだし。
 そんな彼らの様子をじっとうかがう人物がいた。ねじまき博士である。むろん正式名称ではないし、博士かどうかすら定かではない。しかしねじまきにはちゃんと由来があって、実はこの博士、右目がねじなのである。プラスのねじだった。タイトルすら覚えていないくせにそういうどうでもよいところはしっかり記憶しているのが自分でもよくわからないが、ともかく眼球くらいのでかいねじが博士の眼窩にすっぽりはまっていて、ちょっと形容しがたい凄みをその表情に与えているのだ。手塚治虫の漫画に出てくるようなわし鼻で、禿げ上がった頭頂部に反して側頭部は白い髪をたてがみのようになびかせ、物陰からボニーとクライドと恐竜どもを観察してはにやりと微笑む。お察しの通り、ねじまき博士は悪役なのである。
 ねじまき博士のねじには不思議な力があって、ねじ穴から紫色の煙を吹き出しては周りの人物に催眠術を掛けることができる。博士はその力を悪用して恐竜を我が物にし、彼らの強大な力をもってしてこの世を手中に収めようとしているのだ。まったく意味がわからない。周囲の人を意のままに操れるほどの超能力の持ち主ならわざわざ恐竜を手駒にするまでもなく支配者層に食い込んでいけそうなものなのだが、いつの世も悪者はまわりくどい手段を取りたがるのだ。ひょっとすると恐竜どもを過去から現代のアメリカへ呼び寄せたのはこのねじまき博士だったのかもしれない。自分のものにするはずだった恐竜がこわっぱ二人の手に渡ったことが悔しくてならず、超能力をもってして奪い返そうという魂胆なのかもしれないが、それにしたって何故よりにもよって恐竜なのだろうか。そんなことを言い出したら映画の根幹部すら揺らぎかねないのでそのままにしておくが、結局のところ恐竜どもはボニーとクライドの協力もあってねじまき博士の追尾を振り切ることに成功するが、代わりにボニーとクライドが博士に捕まってしまう。せっかく友達になれた二人を見捨てるわけにはいかないと博士の根城に攻め入る恐竜どもだったが、ねじまき博士はそんな彼らに交渉を持ちかけるのだ。自分のものになると約束するのなら彼らを解放してやろう、と。そう言うなりねじまき博士は、不気味なねじまき顔を兄妹の方へぐっと近づける。催眠を掛けようとしているのだ、と察したクライドがボニーの目を手で覆い隠そうとするが、そのクライドですら博士のねじから目をそらすことができない。
 壁に映る二人の影が徐々に縮んでいく。背は丸まり、首は落ち込み、腕は長く伸びていき、呆然とする恐竜どもの前にいるのは二匹のチンパンジーだった。投げ与えられた一本のバナナを巡って争うチンパンジーの隣で、にやりと不敵に笑うねじまき博士。彼らを元に戻したいなら、自分のものになるのだ。催眠術とはなんなのだろう。これはもう遺伝子操作ではというのは置いておいて、いくら退化したところで人間がチンパンジーにはならないだろう。せめてボノボだと言いたいところだがこのアニメが作られた時代にボノボはそこまでメジャーな霊長類ではなかっただろう、じゃあやっぱりチンパンジーで合ってるんだ、いや合ってるって何が、そんな私の思考を置き去りにして恐竜どもは深くうなだれながら博士に従うことに決める。恐竜どもの求めに応じた博士により無事に人性を取り戻したボニーとクライドは、自分たちがチンパンしていた時にどのような話し合いがなされたのかを知らず、ただ去っていく恐竜どもの背中を寂しげに見つめることしかできないのだ。
 
 恐竜どもが去ってからしばらく後、町で怪物が暴れているとのニュースが届く。例の恐竜どもである。ねじまき博士の催眠術により理性を失ってしまった恐竜は獰猛な本性をむきだしにし、博士の命ずるままに町を蹂躙し始めたのだ。博士の目的はやっぱり世界征服だったらしいが、画風もさっきまでのアニメ調タッチからゴツゴツしたリアル路線に切り替わり、これが序盤にストロベリーアイスをぱくついていたのと同じ恐竜どもとはとても思えない、いや思いたくない。ボニーも同じことを思ったようで、変わり果てた恐竜どものあまりの様子に恐れおののくばかりだが、兄であるクライドは心通じ合った恐竜たちを見捨てることなどできない。自分たちの力で彼らの心を取り戻そう、と妹を励まし、果敢にも恐竜軍団へと立ち向かっていくのだ。一体どういう試みがなされたのか、そこもはっきりとは覚えていないのだが、唯一覚えているのはボニーやクライドが笑顔で恐竜どもにハグをした途端、それまで白目をむいて猛り狂っていた恐竜どもがにっこり笑顔で二人にハグをし返すシーンである。このシーンがやたらと不気味だったのだ。どう不気味だったのか、それは恐竜の表情の変化があまりにもシームレスだったせいだと思う。普通ならハグをされた後にハッと我に返る描写があってもいいはずなのにそれがない。白目をむきながら二人を八つ裂きにせんと振りかぶった手をそのままにシームレスにハグへ移行、にっこり笑顔で二人に頬を寄せる恐竜ども。こわい。いや多分洗脳が解ける一匹目はティラノだったはずで、ティラノの際はもう少しきちんと催眠が解ける描写がなされていたはずなのだ。二人の呼び掛けにふと我を取り戻し、僕は今まで何をしていたんだ、ごめんよ二人とも、仲直りのハグ。多分そんな感じのことが行われていたはずなのだが例によって記憶になく、覚えているのはティラノ以下の愉快な仲間たちによる豹変と言ってもよいくらいの表情とタッチの変化。それがやたらと異様だったのだ。
 思えばこの映画、肉体や精神の変異に対して並々ならぬこだわりを感じる。ボニーとクライドが博士の催眠にかかるシーンも、あえて二人の影だけにフォーカスすることで肉体変貌の不気味さをより一層際立たせていたのだ。ヒトからチンパンに変異する過程をわざわざ描写するなんて面倒くさいという理由も相当にあったのだろうが、少なくともこの映画が私の印象に深く残っている理由の一端は主要人物のぬるりとした存在の変貌にあるのだと私は今更ながら納得した。
 ボニーとクライドの愛により自我を取り戻した恐竜ども。喜ぶ二人を背に乗せ、ねじまき博士の根城をめちゃめちゃに破壊する。悪は滅びた。平和が訪れた。最後には必ず愛が勝つのだ。その後恐竜どもがどうなったか、恐らく元の時代に帰るなりして二人とはお別れをするのだろうが、その肝心のクライマックスシーンが一切印象に残っていないのはこの映画のエンディングがあまりにも衝撃的で不気味だったからだろう。
 全てを失い、茫然自失として天を仰ぐねじまき博士。彼の頭上には何羽ものカラスが円を描きながらゆっくりと舞い降りてくる。俺はカラスが嫌いだ、誰ともなしに呟いたその言葉を言い終わるが早いか、無数のカラスが博士の全身に留まる。次の瞬間、弾かれたように飛び立つカラスの後には誰もおらず、あの大きなねじがぽつねんと地面に転がっているのみなのだ。今際の際の呼吸のように、紫色のもやをかすかにたなびかせるねじ。舞い戻ってきた一羽のカラスはそのねじを無造作にくわえあげると、もやを振り払いどこへともなく持ち去ってしまう。
 
 これで終わりである。
 生きているうちにタイトルだけでも知りたいのだが、どこかにこの内容の映画を観たことがあるという人がいたらぜひ詳細を教えていただきたい。散々書いてきてあれだが、これが自分の中で勝手にあったことになっているだけの夢とかだったらすごく怖いな。劇中にまとわりついてきたシームレスな精神の変貌は、ここにも影を落としているのかもしれない。

この記事が参加している募集

#映画感想文

67,587件

江古田にコーヒーおごってあげてもいいよ、という方はどうぞこちらから。あなたの善意がガラ通りの取材を後押しします。