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-私の「あるべき、」がこわれたとき-

去年の今頃。正社員メンバーが5名だったところから一気に組織が急拡大した。それまではなんとなく阿吽の呼吸で会話できたけれど、人数が増えるほど価値観も多様化して思わぬところで解釈のズレが生ずることも出てきた。これはいち早く「どうにかせねば」ということで会社全体の指針と認識を揃えるべくPARK田村さんへご依頼してとても素敵なCORPORATE MISION&VALUE、SERVICE SLOGANを作っていただいた。

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特に私はCORPORATE MISSIONであるこの「あるべき、こわそう」は自分の人生の指針に置きたいほど大事にしている。

だから今日は事業と自分の人生を通じてなぜこれを体現したいのか、自分の人生から振り返ってみた。

-この世界の普通ってなんだろう-

私は海外で生まれ、幼少期海外を転々としている。「羨ましい」とよく言われるのだが、残念ながらあまりいい記憶はない。

自分だけ周りの子たちと比べて、肌色も顔つきも違うし、なぜか全く友達もできない。母が昔「歩くだけで差別されて、産後うつになりかけたわ」と言われてその時初めて「自分に友達ができなかった」理由を察した。

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そこから日本に帰国するともっと大変だった。自由奔放に育った自分の言動全てが「規格外」からなのか、理解されないことが多かった。当時通っていた幼児教室が息苦しくて脱走すると、母から「お願いだからいい子にしなさい」と怒られるし、周りからも「変わってる‥」と言われ、毎日が本当に苦痛だった。でもどうにかしてこの世界に適応しなきゃいけなかったから「どうすれば自分は人から受け入れられるのか」とか「この世界の普通ってなんだろう」と人一倍考えるようになり、そこからちょっと複雑な幼少期を過ごした。

-みんなにとっての「いい子」になりたい-

暗黒の幼少期を経て小学校から引っ越した私は「新しい自分」に生まれ変わるべく、母・先生・友達から全方位にとって「いい子でありたい」と思った。「世間のルール(評価基準)はなにか」十分に観察して、その期待を遥かに越えていく。

だから小学生の頃からなるべくお金がかからない地元で1番の公立高校に進学すると母に宣言して勉強したり、習い事も母が通わせたいものを優先して毎日取り組んだ。また友達が面倒臭くてやりたがらないような部活やクラス、学校の代表も文句言わず担当し、地元のやんちゃな子たちともうまく関係を築いて、絶対にいじめの標的にならないよう調整した。

毎日誰にも言えないような血が滲む努力をして築いた「自分のキャラクター」だったけれど、自分の内面は常に「みんなの期待に答えられなくなったらどうしよう」と揺らぎがあった。学校の成績がよくなくなったら母はがっかりするだろうし、先生からは徐々に期待されなくなっていく。一目置いてくれてる友達は「いつものちーじゃない」とか言うんだろうか。そんなことばかり考えていた。

-人生の歯車がとことん噛み合わない-

自分の本心と行動が分離していたので、どんどん自分を追い込んで行き結局、受験は失敗した。この15歳の時に改めて「自分の人生って何なのか」を考えた。学校のなかで評価を受けそうなことばかりやってきたので、特にやりたいこともなく、当時の私にとって「自分の人生を生きる」とは「やりたくないこと」を母に伝えることだった。そこで人生で初めて「これ以上、勉強は辞めさせてほしい」と母に泣きながら訴えたのを今でも覚えている。

そこから全く勉強しなくなったものの、堕落せずに済んだのは幸いなことに勉強以外の自分のエネルギーを注げる部活を見つけたからだった。

そこで音楽やダンスなど自分を表現できるものに夢中になり、自分でお金を貯めてアメリカの遠征まで行った。それがきっかけで「将来、舞台で食べていきたい」と高校の先生に相談したところ「それだったら、いい大学に行って広い世界を見た方がいい」と言われ、それを信じて大学受験レースへと舞い戻った。

そんな感じで流れに身を任せて進学したので、実際の大学生活が自分の描くゴールにどうすればたどり着けるのかが分からなくなった。

それでもなんとか大学生活に何かしらの意味を見出したいと思って、1番充実していそうなダンスサークルに入り、アルバイトをして過ごすという世間的にウケが良さそうな過ごし方をした。

そうするうちに就活の頃には、自分の個性や目標、それを追いかけるだけのエネルギーもすり減り、「いかに安定した大企業に入るか」「いかに将来稼いでくれそうな男性と結婚するか」という会話を平然とするようになった。

そして「自分が本来どういう人間なのか」「どういう人生にしたいのか」ロクに考えもせず、周りを観察してみんなと同じような「安全な道を選んでおけば大丈夫」と自分に言い聞かせて、銀行に就職した。

-本当の自分を取り戻したい-

社会人になるとより一層、理想と現実の折り合いをつけるのが上手になった。それほど社会や自分の人生に期待もしてないし、朝から理不尽に怒られる先輩を見ても「仕事ってそんなもんだ」と割り切れる自分もいた。

選択肢を広げるために大学進学をして、幸せになるために安定した会社に入ったはずなのに、それによって余計に「そこから外れることが怖い」と選択肢を狭め、窮屈になっている気がした

本当は学校教育や世間の価値基準と個人がどう生きるかを、別のものとして考えなきゃいけないにもかかわらず、それに気づかずなんとなく流されて生きたことで、自分の人生を失っていた。

小学生の頃からずっとその違和感があって「もう限界だ」なんとかしてこのレールから降りたいと思い、銀行を辞めようと決めた。

-私の「あるべき、」がこわれたとき-

いざ人生を再スタートさせたいと思ってけれど、自分の人生の取り戻し方がわからなかった。そんな時の突破口になったのはリクルートの最終面接だ。

当時面接をしてくれた人事部長(のちの恩師)が、「自分の先入観で人を判断したくないからあえて書類は見てない。そのままの君を教えて欲しい」と言われ、「人」として向き合ってくれたことと、「なんでそう思ったの?」というとにかく「なんで?攻撃」を受けまくり、嘘をつけない状況に追い込まれ、冷や汗をかきながら誰にも話してこなかった自分の暗黒の幼少期や受験や就職の失敗談も白状した。

その時までの自分は人生における「苦しみや葛藤」は悪しきものとして捉えており、絶対にその恥ずかしい一面を世に晒してはいけないと必死だった。「ありのままの自分」を愛せてなくてずっと苦しかったし、自我を抑え義務感で評価を得るために走り続けた人生だった。

だから人生で初めて第三者に「弱み」を吐き出し、それに対して「非常に人間臭い素晴らしい人生だね」と肯定されたときは涙が出るほど嬉しかったのだ。

そして最後に「世間の期待に応えて生きる人生か、自分の心の本音に沿って生きる人生かこれからどちらがいいですか?」

という質問を受けた。

その時に自分のこれまでの人生が、なぜ「歯車が噛み合わなかったのか」これだけでハッとさせられた。

「自分がどうしたいか」を無視して周りからどうみられるかを気にしながら義務感で生きてきたからうまくいかなかったのか。それまでの自分の人生観がガラガラと壊された瞬間だった。

「自分はどうしたい?」と徹底的に向き合うこと。これがきっかけで、私は自分でも驚くくらいのエネルギー量で生きれるようになった。

また、自分の人生が肯定されることがこれほど「生きる力」を与えるのかと驚愕した2時間半の面接だった。

そしてこの時、私は「たまたま運良く」そういう人に巡り逢えて人生を変えられたけれど、「この体験を再現性を持って世の中に広めていきたい」と当時強く思ったことを、今サービスとして実現できていることはとても嬉しい。

-人生の幸福度は何で決まるのか-

入社してからは「肩書きや経歴で先入観を持つな、人間を見ろ」と、とにかく叩きこまれた。

ただ私が担当していた20代転職支援の対象層にはフリーターやニート、大学中退といった経歴の人たちも含まれており、今でこそ思わないけれど少なからず「なぜそうなってしまうのか」当時は理解できなかった

けれど一人一人の人生背景を聞いていくと自分の想像を絶する世界があった。父親の会社が倒産してお金がないから大学を中退して働かなくてはいけないとか、家族が突然失踪したとか、その人自身がコントロールしきれないアクシンデントによって人生の選択肢が狭められることもあるのかと驚いたし、これが「人を先入観だけで判断してはいけないということか」と腹に落ちた体験だった。

「人間を見ろ」ということは表面的な情報で「良し悪し」で評価判断するのではなく、「なぜそうなったのか」背景まで知り尽くしたうえで、その人のvalue(持ち味)を見出すこと、また「それを踏まえてどうしていくのか」向き合い切ることなんだとこの仕事を通じて痛感した。

またどんなに大変な状況であろうと言い訳せず「自分の人生をどうにかしよう」とする求職者の姿は、いつのまにか自分にとっても励みになっていた。

これまでの私は自分の人生の選択肢が狭まったと感じた理由を、「こうした方がいい」と言ってきた家族や学校のせいにしていたところがあったし、敷かれたレールを元に「生きることが正解」みたいな風潮を作っている日本社会の文化や仕組みのせいにしていた。

本当は家族がいるだけでもありがたいし、学校に通えたり、常に自由な選択肢があっただけでもありがたいはずなのに、そんなことにも感謝ができず、卑屈になって生きていた自分が恥ずかしいなと感じ、働きながら他責にして生きる人生を二度としないと誓った。

いろんな就業決定を見ていく中で、結局人の人生を豊かにするのは自分の人生を肯定できること、自分のことが好きになって自分の意志で生きていけることなんだと感じた。

そして人生どんな状況に陥ったとしてもそれができれば、満たされて生きれると理解できた一方で、同社内にいた高年収であるはずの社員や有名企業の友人が辛そうに働く現象を不思議に思った。

結局、人生の幸福度は何で決まるのか。

-論理を知り、論理を超えた選択ができるか-

そういう質問を恩師にした。今思えばよくこんな面倒臭い質問にまともに考えてくれたと思うのだけれど。

世の中の構造として「偏差値が高い学校に進学した方がいい」「有名企業に入ったほうがいい」「市場価値を上げる業界や職種に転職をすべき」などがある。もちろんそれによる恩恵はある。全く否定しないし、正しいとも思う。でもそういった「何を選べば社会的に評価されるのか?」という構造を理解した上で、それでも敢えて「自分が何を選びたいか」を自分で決めることはもっと大事だ。

だってある程度人材業界に関わっていると、どうすれば社会的評価を得られるかは分かるし、その情報は今や誰でもネットで気軽に手に入る。それでも人が迷うのは結局ルールを知っても、自分が敢えて何を選びたいかが分からないということなんだろうと思う。

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だから論理を理解し、論理を超えて「自分の意志で選択ができるか」が生きていく上でとても大事なのだろうと言う結論に至った。

-あるべき、こわそう-

あるべき、こわそう

「あるべき、こわそう」

これはCORPORATE MISSIONでもあり、私の人生のテーマだ。

生まれてすぐ世界に受け入れられにくかった私だけれど、自我を抑えて生きる方がもっと辛かった。いつだって人の可能性を最大化させる障壁は、自分に対するネガティブな思い込みや社会常識、他人軸のこう「あるべき」という固定観念にある。その「あるべき」が障壁になっているのであれば、私はそれが何だろうと壊したい。そしてもっと自由に自分の意志を表現して生きる世界を私は作りたいと思う今日このごろ。

おしまい。

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