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最近読んだ本とか

『潜水鐘に乗って』 ルーシー・ウッド (訳:木下淳子)

久々に読んだ海外文学。昨年の12月18日に刊行されたらしい。ルーシー・ウッドという作者も全く知らなかったのだけど、表紙が綺麗で手に取ってみた。中身も短編集だし、久々の読書にはちょうどいいかな、なんて軽い気持ちだった。
これはあとがきを読んで知ったのだけど、イギリスのコーンウォールという地にある伝説や伝承をモチーフに書かれた短編とのことだった。

『潜水鐘に乗って』 綺麗な表紙

読み切った感想は、正直、何がどう面白かったのかよくわからなかった。
ただ、よくわからないけど読んだときに想像した脳内の描写──自分は本、特に小説を読んだとき、映像を眺めているように錯覚することがある。しかも香り付きのイメージ。香りも、全部想像だけど感じた気持ちになる。当然、全て妄想だし実感ではないんだけども、自分にとっての読書体験は文章、文字を覚えている、というよりは映像のような実体験の感覚のような感じで覚えている、そんなイメージ──がなんとなしにリフレインする。
それは文章が与える美しい印象と、なんとなしに感じる神秘的な雰囲気、そういったものの影響なのだと思う。
あと、わからないなりに好きな話はあって、短編の中だと浜辺の洞窟で暮らす叔母とその甥の不思議な暮らしや感じていることなんかを描いた「浜辺にて」とか、それなりの年齢の母と娘が旅行する「願いがかなう木」とかは、他の作品に比べてきちんと物語として面白いものがあって、引き込まれた。
なんか、こう作品内に出てくる不思議な妖精とか人魚とか、自分が説明しようとするとどうしてもホラー染みた感じになってしまうのだけど、この文章で読むと非常に神秘的で、そういった部分に元の小説の良さをきちんとローカライズしてくれた感じがあって、そういった部分はとても良かったなあ、と今こう読後感や作品を思い出しながら文章にしてみると、気付きました。
幻想的な世界観に馴染めず読むのは少し大変だったけど、もし同じ作者の他の書籍が単行本になったら、手を出してしまうかも。

『死を受け入れること 生と死をめぐる対話』小堀鷗一郎 養老孟司

次の本は対談本。小堀鷗一郎さんと養老孟司さんが、死についてお話をなさっていたとのことで、少し気になったので借りてみました。
個人的にも死というテーマは自分の根幹にあって、それはなんかテーマが格好いいとかそういう話ではなくて、もう少し真面目に、小学生の頃にひいおばあちゃんが亡くなって、その時に死ぬってどういうことだろう、と深く考えたことがありまして。
ちょっと思い出話になるんですが、当時、自分は東京に住んでいて、母方の実家は青森にありました。津軽。太宰治が住んでたところらへんです。訛りがすごいとこらへんでもありますね。ひいおばあちゃんというと、小学生の自分からは、お菓子をたくさんくれて、お年玉も他の人より多めにくれる優しいおばあちゃん、という感じでした。それが、ある時に亡くなったと連絡があり、青森に急行することになります。当時は夜行バスで帰った思い出です。葬儀やなんやかんやは、自分にはよくわかりませんでした。ただ座ってて、ひいおばあちゃんがいないことだけわかるような感じです。それで、死ぬってどういうことだろう、って考えたときに、なんだか夜行バスで移動しながら寝ているときの、自我のない時間をイメージしたんですね。当時の自分にとって、夜行バスでの移動は魔法のようでした。寝て、起きたら青森。寝てる間は真っ暗なのに、目が覚めると全然違うところにいる。
目覚めない眠り。でも当たり前のように日常って続きますよね。じゃあ自分ってどこに行くんだ?と。自分にとって死は自我の移動のようなイメージなのかもしれないです。肉体から、どこか別の場所へ。
それから今まで、そのイメージがどうにも怖い。これを意識すると、今でも眠れなくなります。
そんな考えがあったりして、死生観、死に向き合うというのは自分にとって大事なテーマといいますか、悩みの種なんですね。

『死を受け入れること 生と死をめぐる対話』

そういった事情もあって、お二人の対談は非常に興味深くて、さっと読める分量の中に多くの発見がありました。
本書では終末期医療について、死について、昔の東京大学についてなんかが色々と語られています。

個人的にいろいろとメモしたものが手元にあるんですが、養老孟司さんの「死は常に二人称として存在するんです」という言葉が腑に落ちました。一人称の死は体験を語れる人がいません。自分が怖いと感じる死のイメージも、あくまで自分の死についての体感を想像したに過ぎませんから。

次に興味深かったのは終末期医療について。
小堀鷗一郎さんは本文中で、「生かす医療」、「死なせる医療」、またその転換期である「ターニングポイント」について語られていました。「生かす医療」はなんとなく想像がつきますが、「死なせる医療」かと。
これは確かに非常に難しい問題だなあ、と。
例えば90歳を過ぎた親戚が大きな病を患ってしまったとき、それはご老体に鞭打って治療するべきなのかどうか、と考えると、難しいなあと思います。
確かに医療で治せる病気だったとしても、そのあとずっと寝たきりになってしまうこともあるかもしれない。
またそれだけご年配だと、そもそもの治療自体が難航してしまって、苦しみながら亡くなってしまうこともあるかもしれない。
逆に、何の後遺症もなく自分で立ってご飯を食べれるまで回復する、ということもあるかもしれない。
治療にはたくさんお金がかかるし、結果が良くなるとも限らない。
本文中で小堀鷗一郎さんは「死に至るプロセスは人それぞれです」といくつかの例を挙げて説明してくださっていました。

あとはお二人とも「老い」について語られていたとき、衰えていることが「体感ではわからない」や「自分では落ちたと思ってないのですが、結果でわかります」等、さらっと恐ろしいことを仰っていました。
老い、それを大きく感じるほど年齢を重ねてはいませんが、ちょっとしたことで感じたりするなあ、と思うことはあります。
例えば時間。若い時は一日がもっと長く感じたのに、1時間とか、1日とか、あっという間に経ってる。これは一種の老いだなあ、と。

それから人生観ではないんですが、本書を通じて養老孟司さんのマインドが非常にいいなあ、と思って。
それは例えば東大での教授選抜でのお話で「今の結果から、さらにいい結果を生むように考えるしかない。そうすれば、結構楽天的に生きられます」というのがあって、これは割と自分の考えと同じだなあ、と。こんな考えがあるせいか、彼女にはたまに怒られるんですが。。
逆に自分から文句だったり、不満だったりっていうのがない部分はあるかな、と思っています。どうやったって、結果は結果として各時点で存在していますから。それを踏まえて、どう環境をよくしていくかとか考えればいいんじゃない?と、常思ってます。

色々思い返してみて思ったけど、やはり養老孟司さんの『バカの壁』と『死の壁』はどこかで読んでおこう。。

最後に

自分は近所の図書館で新入荷コーナーのようなところから読みたい本を表紙とかあらすじを軽く見てサッと選ぶので、選書に脈略がなかったり、本を読み切ってもそこまで感じ取れないときがあります。
あんまり深く考えずに、これからも読み切った本については感想なんかを軽く書いていければなあ、と思ってます。


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