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イタリアン スイーツの強さ

神戸三宮駅と元町駅の間、トアウエストと呼ばれる地区の一角にあるお店「イタリア菓子のススメ」でスイーツを食べるのは、不思議な体験だ。
口に含んだ途端、イタリアとの回路がつながる。噛みしめるごとに、かの地の景色が広がる。

今日選んだのはトスカーナ地方の郷土菓子、カスタニャッチョ。ふんだんに使われた栗粉、松の実、レーズン、胡桃、ローズマリーの味と香りが、鼻腔を通って脳を直接刺激する。すると、麗しきトスカーナの景色が見えてくる。行ったこともないのに、見えてくる。

こういうことは、時々ある。例えば、あるフレーズを聴くと霧がかった夜空に浮かぶ半月が見える。ある楽器の音を聴くと鼻の奥に乾いた土の匂いがする。いわゆる「共感覚」というものかもしれない。

味覚にもこの現象が起こることがあって、今日カスタニャッチョと共に見えたのは、原材料が運んできた現地の記憶なのか、あるいは作り手のオーナーシェフが修行時代に見た景色なのか。いずれにしても、丁寧に作られた一品を頂くと、その向こう側とつながってしまうことがある。

そもそも郷土料理というものは、どこか押しが強い。
その土地々々で採れたものを伝統的な方法で調理し、地域の人々に長年受け継がれた味には揺るぎない信念がある。その場所でしか生まれ得ない、絶対的な必然性がある。それは、自由な越境から生まれるフュージョン料理とは一線を画す、ある種の融通のなさなのかもしれないけれど、そんな頑固さにやられるのは心地よい体験であるに違いない。
なぜなら、人間の思惑など入り込む余地のない自然の摂理から生み出されたものだからだ。当然つながる回路も太くて強い。

カスタニャッチョに添えられたジェラートを食べた時もそうだった。
苺の香り立つひと匙を口にした途端、あ!そうか、だからイタリアの人達は季節に関係なくジェラートを食べるのか、と腑に落ちた。彼らは氷菓という形を通して、それぞれの産地のそれぞれの季節の食材とアモーレの交換をしているんだ。
言うまでもなくアモーレに季節は関係ない。

スイーツを楽しみながら、オーナーシェフからイタリア修業時代のあれこれを聞かせてもらった。
そこにはやはり自然の摂理から生まれた、骨太で合理的でなおかつシンプルな人間の営みがあった。無駄な虚飾は排するけれど、大切なものは決してなおざりにしない頑固さも感じられた。
そんな迷いのない暮らしが羨ましかった。

食べると言うことは、美味しいかどうかを云々するだけの行為ではない。日々の一皿は、人間の歴史と営みの最終ゴールの姿でもある。
それを頂いて生きている私達の中には、どんな背景が蓄積され続けているのだろう。

神戸の片隅にあるイタリアへの甘い扉の先は、ぐるっと地球を一周して自分の足元につながっていた。

トスカーナの伝統菓子カスタナッチョと苺のジェラート
「イタリア菓子のススメ」@神戸トアウエスト


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