見出し画像

テストのための勉強はダメですか

こんにちは。CGムービー人理科です。

学校の勉強と切っても切れないもの、テスト。
テストのための勉強って、なんだかよくない気がするけれど、なぜそう思うのでしょう。動機づけの観点から考えてみます。

◆◆◆

2つの動機づけ

動機づけとは「 目標に方向づけられた行動を起こし、持続させるプロセス」とピントリッチは定義している。
動機づけには、外発的動機づけと内発的動機づけの2つがある。

外発的動機づけ・・・報酬を得ることを目標とする動機づけ。学習行動は手段。

内発的動機づけ・・・学習そのものに興味を示し、面白いから勉強するという行動。学習行動それ自体が目標。

テストのための勉強は、外発的動機づけに位置づけられる。よい成績をとるために、そして褒めてもらったり欲しいものを買ってもらったりするために、勉強する。

テストのための勉強がなんだかよくない気がするというのは、学びそのものに、学習者の意欲が見えないからである。
しかしそもそも、すべての学習に対して、はじめから内発的動機づけが得られることはまずない。
きっかけは、外発的動機づけでよい。そこから、みずからやりがいや楽しみをもって学習する段階へうつればよいのである。

デシは、外発的動機づけが内面化していく過程を自己決定の過程に応じて3つの段階に区別した。

① 外的制御・・・外発的動機づけによって行動を制御する段階。報酬・賞罰といった外発的動機づけを用いる。「テストでいい点を取りたいから、勉強する」

② 取り入れ・・・人から認められたい、高く評価されたいという思いで学習に取り組むようになる。「親によい子だと認められたいから、勉強する」

③ 同一化の段階・・・自分の将来のために学習が必要だと考え行動する段階。 「志望校に合格するために、勉強する」

たとえテストのためだったとしても、テストにでる内容を覚えるために、事象の意味や現象を理解しようとする行為は非常にいい行動であるといえる。
例えば、「太陽は東から昇って西に沈む」を覚えようとして、意識的に太陽の観察をするようになるなどである。普段何気なく見ていた日常に、一枚フィルターが入り、学習へつながる。

しかし、教師が「ここをテストに出すので覚えるように」と指示を出し、その箇所だけを丸暗記させる学習法には疑問を呈する。例えば、化学式をゴロ合わせで覚えて終わりなど。

これはもはや外発的動機づけにもならない。ただの言語の勉強である。言葉の羅列と出会うだけでは、科学の面白さは永遠に実感できない。


結論
テストのための学習自体が悪いわけでなないが、学習に必ずしもテストが必要というわけでない。

テストは何のためにするのか。点数や順位は何のために与えられるのか。
その先に、自ら学びたいと思わせる内発的動機づけが想定できることが大事なのではないだろうか。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?