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自分のものさしなんて、たかが知れてた/神さまからの最高のパスの話

私は、看護の仕事をしながらこれまでスピリチュアル的なことを学んでいた時期が結構長くあった。今は、全く離れてしまっているけど…。

長い年月、教えてくれたμさんにはいつも褒めちぎってもらっていた。
そこまで褒めちぎらんでも・・・というくらい。
何かネガティブなことが起こっても私のせいではなく、どちらかというと外的因子のせいだと言われていた。

でも、そろそろアホな私も自分で気づく。
そんなわけはないやんねーと(笑)

その後にまた別の人(Yさん)に月1くらいで半年間学ぶ機会があった。
この辺りでスピリチュアルなことを学ぶのは最後でいいかなと思えた。


ただ、この最後の半年の学びは、衝撃だった!
(褒められていたはずの私が、けちょんけちょんに言われた半年だった)


今、起こっていることは、まさかの全部自分のせいだったということを知ることになった。

外側のせいにしていたら楽だったのに。


ええっ?自分っ?ジブン・・・。

自分の思い方の問題だけだった。

       *

       *

私は、おっとりしているとか穏やかだと言われることが多い。
でも自分では、ちゃんとわかっていた。
その一方で、おっとりとは、相反するまぁまぁな“せっかち”だということを。

そのけちょんけちょんYさんが以下の話をしてくれた時には、抵抗したけど、認めざるを得ず、すーっと自分の中に入ってきた。
スピリチュアル色が満載なのでおとぎ話と思って聞いて頂こう。

・・・・・・・・・・・

肉体になる前のずっとずっと昔の話のようだ。
3次元がなくエネルギーのみの時のお話らしい。
ある神さまがリーダーで「みんなで発表会をせーへん?」ということになった。
一人一人が出し物をして楽しもうや!という流れのようだ。
そこには50人の人(エネルギー)がいた。
その神さまは、順番に出し物をする人を発表して、名前を呼ばれた人が次々と披露して行った。
「1番○○さーん」
「2番▲ 太郎さーん」
次々に名前を呼ばれそれぞれが用意していた出し物を神さまの前で発表した。
「32番▽子さーん」
中々呼ばれない。



「47番□×さーん」
焦りしか感じなくなっていた(らしい)。


48番も呼ばれないとわかった時に私は神さまに馬鹿にされていると思った(らしい)。
大トリ50番目だった私は、それを待たずに違う時空に行ってしまった。
                         【完】

この物語の意味をおわかり頂けただろうか?

私の中には、どんなしょうもない概念があったのか・・・。

そう、
<順番は最初の方がいい>という概念。

或いは、なんでも早い方がご馳走!という考え。
主役は、最初という薄っぺらい考え。

神さま(・・・宇宙という言い方でもいいかも知れない)は、にゃむが、一番最後の方が最高に輝けることを知っていたから最後にしたのに…。
神さまは、私の場合は、魂の気質から「後の方に強い」ということを知っていたのだ。

その意図を知らずに・・・。輝くチャンスを失ってしまった。

例えば、32番目に呼ばれた人は、32番目がその人にとって最高の順番だったのだ。

私の浅はかなものさしを基準に行動したり、傷ついたりしていたわけだ。

私たちの棲んでいる世界は、ありとあらゆる場面に順番という後から作られた概念がある。それに翻弄されて生きているのかもしれない。

<早い>という概念は、人生を軸にした場合人生の前半という意味で<若い>ということにも置き換えられると言われた。若い方がいい、歳をとるとダメという思いがどこかに・・・。

今、このようなSNSというツールの中で若い人たちのエネルギーを感じることができる場がそこらじゅうにある。
その若いエネルギーが眩しかったり、羨ましいと思うことがある。

この話を聞いてからは、それはそれで素敵。
でも歳を重ねることだっていいと思える。
(といいながらもやはり若いのは魅力的!とまだ思うけど)

占いをしてもらうと若い頃から何度も「大器成」と言われてきた。
よっぽど大器成なのだろう(ほんまかいな)
若い頃は、「えー、今じゃなくて、人生の最後の方なんや〜」とがっかりしたものだった。
今<>に成ってからは、もういい加減<>やけど?と待ちの状態(笑)。

いずれにしても私の場合は、最後の方がいいらしい。
今が、人生のどの辺なのかはわからないけど後半には違いない。

その人には、その人にとってちょうどいい場所やタイミングがあり、それを感謝して享受することができるかどうかということなんだろうと思う。

        *

高齢化社会に向かっている今、後半で輝くという生き方は、誰もの希望になれるので、神さまは、そのモデルになる人を探しているのだと。

神さまが、モデル探しをしているとは知らなかった!スカウトされるように頑張るか!

後半に強い自分をどうすれば満喫でき、生かしきれるのかを楽しみながら考えていく。いろんな概念を突破していく時代でもある。

神さまって私たちに最高のパスを渡すことしか考えてないらしい。


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そのパスを最高と気づくかどうかなのではないかなと思う。

葛飾北斎の生き方の如く人生の後半も楽しみながら。彼は、75歳の時に110歳までの目標を自ら掲げた人でもある。

「73歳にして禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟り、86歳にして(その腕は)ますます進み、90歳にして奥意を極め、101歳にして神妙ならん。110歳にして、一点一格が生きるがごとくならん」

       *

これまでの流れから今、もしこのような経験をしたらあなたは、どう感じるだろう。

車を運転していて自分のところでちょうど赤信号になった。
次の信号でもまた自分のところでちょうど赤信号になった。

赤信号を2回経験したあなたはどんな気持ちだろう?


相当急いでいる時はいろんな気持ちがやってきそうだけど、

それでもさっきの話を思い出すと「あ、今は待ったほうがいいってことね」と思えるようになる。

最高のパスを渡してくれているんだからねと信頼することができるようになる。

わかりやすい例として、お客様の話を思い出した!そのお客様は、ある日、地下鉄の駅の階段で転んでしまい、電車を1本乗り遅れてしまった。もし、階段で転んでいなかったらそのお客様は、地下鉄サリン事件の電車に乗るはずだった。

ただ、この場合、事件に遭った人は、神さまから最高のパスをもらわなかったのかと疑問に思うかもしれない。

神さまの意図を知る術もないけど、『死』や『病気』は、相当な悲しみではあるけど、神さまから見たらそれらは、『悪』ではなく、循環・巡りの一部なのだと思う。

その人に必要で最高なパスだったと信じることで時間を経て、感謝が生まれるのかもしれない。

            *

このnoteでは、あまり子供の頃の話は書いたことがないので、少しだけ触れてみたい。

私は、小・中・高校と大器晩成なので(・・・と開き直る)、勉強は得意ではなかった。
言い訳をすると小学校の時に長期の入院生活をしたから。それ以来、勉強についていけなくなっていた。入院中に勉強を教える時だけは、鬼ババと化した母に大嫌いな算数を教えられ心底吐きそうになっていた。腎臓の病気で吐くのではなく算数で吐くみたいな。そして、その流れを背負い看護学校を受けた。倍率も30倍近くあり、勉強嫌いの私は見事に落ちた!呑気な私も流石に落ち込んだ。

1年遅れで次は同じ学校に受かったわけだけど、後になって思うのは、それは最高のパスだったということ。
その時の同じ学年の友達と出会うためだったんだとわかる。
(学校に入ってからと看護師になってからは不思議と勉強嫌いはなくなった)

1年前に受かっていたとしたら・・・あの学年の人たちとは、私は毛色が全く違っていたと思う。神さまは、あの人達と一緒になるのは違うとわかっていたのだと思う。

そして、そのパスがあったからこそ次々に出会っていく流れも変わっていった。

全部必要だったとわかる。

      ✳︎

10数年前くらい前だったかなぁ・・・ある曲に出会った時に、改めて、「あー、起こっていることは偶然じゃないんやなぁ」と思えた。


関西の人たちは知っている人もいるかもしれない。ロックバンド「おかん」というグループ。
神戸の小さなライブハウスに何度か聞きに行った。
(最近、とんとご無沙汰していたので知らなかったけど、2018年から無期限の活動休止をしていた。)

当時の私には、おかんの曲は、結構刺さった。



『人として』 ロックバンドおかん作詞:DAI   作曲:DAI
・・・・・・・・・・・・・
数え切れない程の人とすれ違う中で
 人として出会えたこと 痛く幸せに想う 
  *
 無表情に流れ行く人波の中 
あなたに会えたのはなぜだろう
  *
 出会うことの無い僕たちならば 決して 
言葉交わすこと無く過ぎ去っていただろう
  *
 数え切れない程の人とすれ違う中で
 人として出会えたこと 痛く幸せに想う 
  *
 目の前に居る人がそこに居て
 当たり前になっていた 
あの日あの時「奇跡」とも言える瞬間が無ければ 
笑い合うこと無かったよ
  *
こんなに沢山の感情分け合ってきたのに
 全て無かったかもしれないと想うと 
怖ささえ覚えるよ
 ほんとに会えてよかったよ
  *
 数え切れない程の人とすれ違う中で
 人として出会えたこと 痛く幸せに想う
  *
 あの日生まれなかったら あの街に住んでいなっかたら
 あの電車に乗ってなかったら あの日が休みじゃなかったら 
あの会社じゃなかったら あの学校に行ってなかったら
 あの日晴れてなかったら あの夜星が降ってなかったら
 あの時話し掛けなかったら あの時気付いてなかったら
 あの時覚悟決めなかったら あの時叫んでなかったら
 あの時別れてなかったら あの時「好き」と言ってなかったら 
痛み喜び感じずに僕は あなたを知らないままだった 

  *
 数え切れない程の人とすれ違う中で 
人として出会えたこと 痛く幸せに想う
  *
 大切なあなたへの歌を唄いたい 
人として出会えたこと痛く幸せに想う

この太字のところの歌詞が好き。

    *

ということで今回は、ちょっとスピリチュアルなお話になったけど、たまにはね・・・。

このnoteを読んでくださるかたの1人や2人、もし、私と同じ勘違いをしている人がいたとすればその人にこのnoteが届けばいいなぁと思う。

いや、本当は、自分自身、もう一度思い出して何処に書き留めておきたかっただけなのかもしれない。

       ✳︎


自分のものさしなんてたかが知れてた。

そもそも、ものさしなんていらなかった。

私達は、誰かと比べることもなく、順番や順位を競うこともなく、この壮大な宇宙の中でただただ自分らしく人生を楽しむ為にやってきたのだから。

そして、いつも最高のパスを出して貰っていることさえ思い出したらいいだけだった。


















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